第39話

小一時間くらいそうしていただろうか。冬歩はようやく泣き止んだ。


「悪いわね……世話をかけたわ」


「気にすんな」


「そうね。瑪瑙に謝るなんて、愚行だわ。ごめんなさい」


「ごめんなさいを聞いてイラついたのは生まれて初めてだな」


少しは落ち着いたのだろう。罵倒にキレが戻ってきた。


「これからどうするんだ?」


「やることは変わらないわ。私は小説を書いて兄さんに想いを伝え続けるだけよ。受け入れてもらえるまでずっと……」


「そうか……」


つまり、灰銀と同じくNTRに向けて邁進するということだ。いばらの道だが、ぜひ頑張ってほしい。


何かの本で読んだが、小説家というのは悲しい生き物らしい。書きたいものを書けない、伝わらない。そして、その葛藤で自殺をする人間もいるそうだ。


一方、俺たち読者はそんな苦しんでいる作家を見ていることしかできない。そして、その葛藤すらエンタメで”楽”として消費される。


それが一般的な作家と読者の関係なんだろう。


実際、俺だってこれから冬歩が書くであろう本が楽しみで仕方がない。


ただ、それでも冬歩には伝えておかないといけないことがある。読者ではなく、ただの枯水瑪瑙としてだ。


「俺は今回の告白を大成功だと思ってる」


「は?喧嘩を売ってるのかしら?」


視線で俺を殺そうとしている。怖いわ。


「考えてもみろよ。冬歩の作品を俺との恋愛小説だと思ってた春樹が何冊読んだって想いは伝わると思うか?というかプロポーズしたのだって、そういう考えがよぎったからじゃないのか?」


「……そうとは言い切れないんじゃないかしら」


顔を背けた。


そのぐらい素直になれよ……


まぁ小説家としては文章で自分の想いを伝えたいのだろう。自分の口で告白したことはある意味では小説家としては敗北を意味する。


ただ、恋愛的な意味では大きな一歩だ。


「あのクソ鈍感な春樹がようやく冬歩を意識し始めたんだぞ?これからお前の作品を読むときは嫌でも意識しちまうさ。そう考えると大きな一歩じゃないか?」


「……一理あるわね」


「それに、どっかのアイドル曰く、NTRの真髄は今カノよりも幸せな未来を見せることらしい。それなら、文章で春樹に最高の未来を見せ続けてやれよ。そんでいつか悲願が成就した時は一発ぶん殴ればいいさ。『私以外の女とよくも付き合ってくれたわね?』ってな」


「最後の物まねは不愉快よ」


涙の痕は消えていないが、完全に調子を取り戻したようだ。


冬歩が弱っているなんて馬鹿みたいだ。いつも通り厚顔不遜な態度で俺を見下していればいい。


『魚屋通いの猫』さんにはそうであってもらわないと困る。


「好き勝手いってくれたけど、瑪瑙が叶さんを味方したのが、私がフラれた原因ではなくて?」


ジト目で見てくる冬歩。


「俺が一因なのは事実だが、叶さんを選んだのは春樹だ。だから、俺は悪くない」


苦しすぎる言い訳なのはわかってる。それに、さっきまでの発言を台無しにする最悪の行為の自覚くらいはある。


「そういうことにしておいてあげるわ。これは『貸し』よ?」


「待て待て。その『貸し』は今回の尾行で返したぞ」


少なくともそういう契約だったはずだ。


「誰がそんなことを言ったかしら。私が兄さんと結ばれるまで永続的に『貸し』続けるわ」


「嘘だろ……?」


契約書を読まなかったらこうなるのか。最悪だ。闇金よりも質が悪い。


「コホン、ところで」


「なんだよ……」


俺が未来に絶望しながら冬歩を見ると、せわしなく指を絡ませながら、顔を背けた。


「万が一よ?万が一、ずっとフラれ続けたら、どうすればいいかしら?」


「は?」


「仮よ仮。結婚適齢期を超えて、私がフラれてたら、瑪瑙はどうしてくれるのかしら?」


なんだその地獄。俺はそんな時まで冬歩に『借り』続けなければいけないのか……


「さっさと答えなさい」


「分かったって。俺は死ぬまで冬歩の味方だよ。まぁ、フラれた時は、憎まれ口くらいは聞いてやる」


「━━━」


春樹に冬歩のことを頼まれたし、何よりも『魚屋通いの猫』さんには返しきれないほど恩がある。それらを複合的に考えると、こういう答えになる。


……のだが、冬歩はお化けでもみたように呆けていた。そして━━━


「瑪瑙のそういうところ━━━本当に大嫌いよ」


「そうかい……」


それならいい。これで冬歩は大丈夫だ。


最後の笑顔に見惚れてしまったのは心にしまっておこう。

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