8 セルフ○○だと聞かされた後

 自問自答の時間だ。自分でシャンプーを泡立てる。

 接触無し、セルフ脱衣、セルフ洗体で、プレイ内容は言葉責めのみ。……嬢から提供される性的刺激はあくまで「言葉」だけであり、それ以外で興奮することは徹底的に制限されている。

 どんなプレイになるのやら想像もつかない。……言葉だけで絶頂まで導かれるなど、催眠術にも近しい。まさしく珍体験の類だ。ムラムラとは程遠いが、多少なりともワクワクしている。

 ……ただ、一概にワクワクしている場合でもないのだ。

 というのも、この場をセッティングしたのは俺自身でなく、黒白であるからだ。

 黒白は何の意図があって彼女を指名したのか?

 それについて考えていると、悪い意味でドキドキしてくる。……だって、黒白は俺に珍体験するよう仕向けたくせに、俺に対して何らの事前説明もしなかったのだ。

 勝手に俺の名前で風俗を予約し、相談もしないまま特殊な嬢を指名して、説明もなく珍体験させる。……到底、純粋な厚意とは思えないのだ。

 真っ先に浮かぶのはドッキリの線だ。俺がアタフタしている様を想像してほくそ笑んでいるとか、そこらへんな気がするが、……そのくらいの悪戯心ならまだしも、それよりもっと悪質な、悪意とかに該当するモチベーションでこの状況を作り出していたとしたらどうだろうか。

 ……いや、どうでもいいのか、そんなことは。

 どんな意図だ意志なんだと、風俗にまで来て気にすることじゃあない。そんなものは今から絶頂する人間のメンタルではないのだ。

 勝手に一人で萎えている分には好きにすればいいが、ソープランドにいる内はもっと絶頂に対して意欲的でなくてならない。そうでないと嬢にも失礼だし。

 俺は体を洗い終える。……サングラスは洗体に際して外してしまったが、外したままでいいだろう。プレイ中にサングラスだけしているというのも不自然だし、ここまで薄暗ければ顔の傷も目立たないと思う。多分。

 バスチェアから立ち上がって体を拭く。うみちゃんはベッドで寝転んでスマホを弄っていたが、俺が拭き終わる頃には体を起こして横座りになっており、微笑んで枕を叩く。

 そこに寝転べと。

 暗に示されている。……俺は生唾を飲み、いざ参る。横たわる。

 俺だけが全裸であることが無性に恥ずかしくなり、意味もなく天井を見上げていると、彼女の手が横から伸びてきて、俺の視界を遮る。

 あくまで触れず、遮るだけに留める。

「そのまま目ぇ瞑って。言葉責めのみやからね」

 いよいよ始まろうとしている。……聴覚だけで絶頂させてやるから、余計なものは見るなと言うのだ。

 俺は瞼を閉じる。視界一杯が赤黒くなり、それに伴って聴覚が冴え渡るように感じる。

 衣擦れの音、息遣い。

 そして、それまでの優しい含み声の中に、さりげなく色気を増した声色で、挨拶代わりから話し始めた。

「おにいさん、相当スケベやろ」

「え? ……いや、そうですかね。自分ではよく分からないですけど」

「とぼけんでも行動が物語っとるよ。……なんでならソープって、普通は予約とかなんもせんと飛び込みで行って、そん時に空いとー女の子の中から選ぶもんやん? おにいさんみたいにネットであれこれ調べて、『この子や』ってバッチリ決めてから予約までする人、……デリとかならまだしもソープではそうそうおらんよ。よっぽどスケベでもあらへん限りは、ねぇ?」

 どうしたものか。黒白のせいでドスケベ呼ばわりである。

 しかし、ここで「予約したのは俺じゃないんです」とか弁明しても、場を白けさせるだけである。……相手からしたら、「ウチのこと悪ノリで指名したん?」となってしまうし、失礼にも程がある。

 俺は嬢からのドスケベ認定を甘んじて受け入れる。「本職の方からそう言われたら返す言葉はないですね」とバツが悪そうにする。

「図星やったんや? まあウチも短ないからね、この業界。大体分かってまうんやんな。……それはそうとさ、おにいさんは何されとー人なん? 東京から大阪まで来て、髪色とかの指定とかない仕事ってことは、……クリエイターの人?」

 咄嗟に「タクシードライバーです」と言いかけるが、これでは駄目だ。「元だから」とかではなく。

 そうではなく、……俺は、キナ臭いこと数多の異常タクシードライバーとして、報道機関に取り上げられている人物だからだ。

 実際にどんな風に報道されているか知らないが、あれだけ凄まじい取材を受けたのだ、それなりにセンセーショナルには報じられているだろう。……ともすれば、大阪府内でもニュースになっているかもしれない。

 そのニュースで見たのと似たような顔が、「東京ではタクシー業を営んでおります」だのと自己紹介した日には、相手を怯えさせてしまうことになりかねない。自重せねばならないのだ。

 タクシードライバーではいけない。

 俺は逡巡の後、別の職業を名乗ることにした。

「えっと、……トラックの運転手ですね。こっちでの荷下ろしは済んだんですけど、点検とかの都合で明日まで大阪の方で待機することになったので、折角の自由時間だし奮発してソープにでも行こうかってなった感じですね」

「へー、トラックの運ちゃん。おんなじ運送業ならどっちかちゅうとタクシーの運ちゃんぽいけど、人は見かけによらんね。……そっか、長距離運送ね。……それやったら、抜く時間とか中々作れんやろ? 拘束時間とかも長そうやし、休みの日とかもクタクタでそんな気分になれなんだりして。最後に抜いたのいつ?」

「いつですかね。最近は色々ごたついてて、……一週間前か、下手すると二週間はしてないと思います」

「二週間! そらもうムラムラしてしゃあないやん。ウチも別ン事であつかましい時とかに、それこそ二週間くらい我慢しよったこともあったけど、起きとー間ずっとエロいことしか考えられんで堪らなんだもん。おにいさんも今そういう気分なんやろ? 分かるわー。はよう吐き出して楽になりたいよなぁ」

「はい、今からどんなテクニックをお目にかかれるか楽しみで楽しみで…………」

 ここで、少し間がある。

 なんだろうか、あまりにも俺の返しが気色悪すぎたのだろうかと不安になり、ウスウスと瞼を開けようとすると、またも彼女の手が伸びてきて遮られる。

「まあ、そんなに急がんでもええわい。まだまだ時間ならあるわけやし、……緊張しとったら勃つものも勃たんしね」

 ? なぜか焦っていると思われている。

 よく分からないが、しかし勃っていないのは事実だった。……まあ、変なのか? 普通の男は洗体とかの時点で勃起しているものなのだろうか。

 とりあえず話を合わせる。

「そうなんですよね。俺も割と緊張しいなんで、勃ちはするけど発射までは至らないみたいなこともたまにあって。……あ、なので今回もし最後までイけなかったとしても、それは俺の側の問題なので、その時はお気になさらず…………」

「いやいやいや(笑)そんなに序盤から諦められても困るわいおにいさん。……ほら、結局はメンタルやん? イかれへんかもって下向きになっとったら勃つものも勃たへんって。二週間も射精しとらんのやん? そんなんはもうね、ウチには分かるから。射精しとうてたまらんのやろ? どろっどろの精液出したい気分やん? もうね、今から十分後にはそうなっとるから。ほら、そのこと想像したら辛抱堪らんのとちゃいますか?」

「いや、その通りですね。……もう、そうですね。ドキドキが収まらないと言いますか……」

 そして、ここでも間が生じた。

 今回のはさっきのよりもずっと長かった。……数秒じゃない。十秒とか二十秒とか。

 普通のプレイをしている時の沈黙時間であれば妥当だが、今回は「言葉責めプレイをする」と取り決めてあるのだ。こうまで何も会話がないのはおかしい。

 そして、会話は何も交わされないのに、……ベッドが軋んでいる。

 一度じゃない。軋みは二度三度と連続しつつ、段々と枕元から足元の方へと遠ざかっていく。……見ずとも分かる。嬢が俺の枕元を発って、足元の方に向かっている振動なのだ。

 全裸の客を置いて、嬢がどこかへ行くのだ。……流石に俺もジッとしたままではいられず、またも瞼をウッスラと開けて周囲を窺うことにした。

 案の定、彼女は立ち上がっていた。

 俺の足元の、ベッドの縁に立ってこちらに背を向けていたのだが、……俺は、ぎょっとして上体を起こした。

 彼女は体を捩りつつ、タイトのロングシャツを脱ぎ辛そうにしていたのだ。

 言葉責めだけでイかせると豪語していた彼女がである。……呆気に取られていると、彼女はロングシャツをそこらへんに投げ捨て、ベルトにも手を掛けだした。

「え? ……いや、言葉責めのみって、……え?」

 状況についていけず、ダサい反応になってしまう。

 対する彼女は未だ背を向けたまま、投げやりに吐き捨てた。

「もう言葉責めは終わったど。本来ならさっきまでの会話の中でお客さんは勃起するし、射精もすんねや。……ウチの言葉責めでおにいさんはイかなんだ。これ以上はなんぼ言葉を尽くしても無駄や」

 ベルトを外して投げ捨てる。ハーフパンツもずり下ろす。プラのホックに手を掛ける。

 ……もう終わり? 今の会話だけで?

 正直なところ、拍子抜けもいいところである。……本当に、俺以外の人間は今の会話だけで、勃起とか射精するのだろうか?

 ……どうにもさっぱりだ。彼女はどんなことを話していた?

 総じて猥談ではあった。「おにいさん、相当スケベやろ」から始まり、一旦はこちらの職業の話に移るも、すぐ「トラックの運ちゃんなら中々抜かれへんくて溜まっとるんとちゃう?」と偏見混じりに猥談に戻り、……俺が「二週間くらい抜けていない」と欲求不満を吐露したら、「ウチにも同じような経験あるわ」と、「ムラムラしてしゃーないよな」と同調し、それから、……………………………………………………………………。

 それから、変な間があったよな。

 そこまではスラスラと滞りなく会話が進行していたのに、……このあたりで話題が途切れて、不自然に思った俺が目を開こうとすると、上から手で覆われつつ「まだ焦らんでええわい」と、「緊張しとったら勃つものも勃たんしね」とフォローされた。

 本来ならあの時点で、俺は勃つはずだった。でもそうはならなかった。

 それから、ちょっと切羽詰まった感じの言葉遣いになり、「射精しとうてたまらんのやろ?」と、「二週間も溜め込んだ時のムラムラはウチにも分かるから」と同調して、……………………………………………………………………。

 それから、また変な間があったのだ。

 変な間があり、言葉責めは一方的に切り上げられたのだ。……「変な間」、である。

 思うにだが、彼女には「これさえ言っておけば相手は勃起なり絶頂なりするはずだ」という十八番のフレーズがあったのではないだろうか。

 そして、そのフレーズを口にしたにも拘わらず、俺が何らの反応も示さないものだから、……内心ビックリして絶句したのち、「まだ緊張してるから勃たへんねんな」と平静を装ったり、「もう何を言ってもウチではイかせられんわ」と諦めたりしたのではないだろうか。

 キラーフレーズを放ったつもりなのに空回ってしまったから、そのことに動揺し、沈黙して、……それを取り繕うように平静を装ったり、最終的には諦めたりした。

 経緯の推測としてはあながち外れていないと思う。……問題なのは、そのフレーズとは一体なんであるかだ。

 思い当たる節が全くない。「このフレーズでイかせてやろう」といったような気合の入った言葉遣い、俺は一度でもされただろうか……………………………………………………?

 こう考えた時、俺は一つだけ心当たりがあった。

 同調である。……「二週間溜め込んだ時のムラムラはウチにも分かる」という共感を、彼女は一度ならず二度してきて、……その二回とも、直後に沈黙したのだ。

 なぜウチの必殺技が効かんのや、といった塩梅だったのだろう。今思うと。

 同調が彼女のキラーフレーズだった、という可能性。

 相手の欲求不満に同調することで、相手を性的に興奮させ、やがて絶頂に導くというのが、彼女の言葉責めのメカニズムだったのでは……………………………………………………………………。

 あれ。

 それって言うなれば、俺の性質の「性欲バージョン」なのでは?

「なんか考え事しとーみたいだけど、セックス中にそんな余裕あるん?」

 ハッと意識を現実に向けると、彼女はすっかり全裸になって、両手を後ろに組んでいた。

 左腕の肘を右手で掴むようにして、こちらに向き、何もかも前面にさらけ出していた。

「……言葉責めでイけなかったのは俺の側の問題ですから、あなたが責任を感じる必要は全く………………」

「ウチはな、自分で体験したものしか信じんし、思考の材料にせんのや」

 赤黒く照らされつつ、瞼は閉じている。

 色気の欠片もなく、むしろ苛立ちすら帯びた声色で続ける。

「おにいさんにはウチの能力が通用せなんだ。……なら、その原因は調査せなあかん。性的に分析せなあかんのや」

 開眼と同時に下瞼をせり上げ、剣呑そのものの目つきでこちらを睨む。

 左右でリング状の三つ編みが、何か異質な後光のようにも見え、……つい先ほどとはまるで真逆の意味合いを持つ生唾を、俺は呑む。

「胸とか股とかチラチラ見よーってことは、性欲があらへんわけとちゃうんやな」

 彼女は腕を後ろに組んだままこちらに歩み寄り、俺の腹の上にペタンと馬乗りになる。

「ばんざい」

 真顔で控え目に両手を挙げる。……俺もそれに従う。仰向けのまま両手を挙げる。

 直後、俺の両手首は彼女に捕らえられ、右手はベッドに押しつけられ、左手は彼女の右乳房に宛がわれた。

「普通のプレイはからきしやからな。痛かったら胸でも揉んどけや」

 苛立ち顔になって、貪るように唇を重ねてきた。

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