28、アルベルト殿下の婚約者

「リラ、お前に命じる。大建国祭が終わるまで屋敷から出てはいけない」


「そんな――」


 あまりの仕打ちに私は息を呑んだ。


「お父様、最終日のミサには参加してよろしいのでしょう?」


「馬鹿を言うな!」


 父の怒号が燭台の灯りを揺らした。


「結婚前の娘がどれだけ、はしたないことをしたのか分からないのか!?」


 はしたないって―― 手をつないで、抱き合って、口づけを交わしただけですのに!


「お前の部屋の前には屋敷の私兵を置く。屋敷内の移動は許可するが、すべて見張りをつける」


 私は顔を覆って泣き声を出した。


「あんまりですわ。一年に一回、祝賀期間くらい自由にさせてくださっても――」


「だめだ。お前は誰の娘だと思っている? 歩く法典レーゴラと言われている、この騎士団長の娘だぞ! 率先して清く正しく生きなくてどうする!」


「そんなだから私は堅物令嬢と呼ばれて、年配の師団長様くらいしか婚約者になってくださらないのですわ」


 しゃくりあげながら訴えると、父はふんと鼻で嗤った。


「堅物令嬢? それはほめ言葉ではないか!」


 何を言っても無駄のようだ。


「よいか、祝賀週間が終わるまで屋敷から出ることを禁ずるからな!」


 言い残して父は出て行った。あとには絶望に打ちひしがれた私だけが取り残された。


 あさっての夜、ミサが終わったら私はアルカンジェロと自由になれるはずだったのに、すべての望みは絶たれてしまった。




 翌朝、私は失意のうちに目を覚ました。どんなにひどい気分でも朝日は昇ることを、私はすでに知っている。だが私の絶望は、グイードに婚約破棄されたときとは比べ物にならないほど深かった。


 中庭に面した小運河からは、屋敷に荷物を運び入れる威勢のよい掛け声が聞こえてくる。毎朝、様々な商人がやってきて、新鮮なミルクや卵、農作物や魚介類を納入する。屋敷の使用人が商人と交わす挨拶や笑い声さえも、鳥かごに閉じ込められた私にはうらやましい。


 私は自室のバルコニーから身を乗り出して、庭の端で生き生きと働く人々を眺めていた。小さな船着き場に木箱や樽が下ろされてゆく。


 私たち家族は大運河に面した水上玄関からゴンドラに乗るため、私は小運河に通じる出入り口を使ったことはない。小舟バルカを自由に操って運河に出て行く商人の背中を、私はぼんやりと見送った。


 昼食後、私を不憫に思った侍女がかわら版ガゼッタを持ってきてくれた。


「ジルベルト殿下はやはりお亡くなりになっていたんです!」


「王宮から正式な発表があったの?」


 アルカンジェロは確か、陛下が発表する準備を整えていると話していた。


「その通りです、リラお嬢様。でもご安心ください。第三王子殿下が生きていらっしゃったんですよ!」


 私はドキッとして、若い侍女から一枚刷りのかわら版ガゼッタを受け取った。脈が乱れて眩暈がするのをこらえながら目を通す。まず最初に、第二王子ジルベルト殿下の体調が悪化し、すでに亡くなっていたことが記されていた。


 アルは十年前、毒を盛られてすぐに亡くなったと話していたが、王宮からの発表では死亡時期まで明らかにはしなかったようだ。


 そのあとに第三王子アルベルト殿下について書かれていた。彼は一命を取り留めて今は完全に回復していること、しかし再び暗殺者に狙われないよう姿を隠して生活していることが端的に述べられている。


「見てください、ここ」


 侍女が紙面を指さした。


「大建国祭の翌日に、第三王子殿下が王都民の前に姿を現してくださるんですって!」


 彼女の言う通り、三月二十二日に二十歳の誕生日を迎えるアルベルト殿下が、王太子として国民に挨拶する旨が明らかにされていた。


 だが、その下に書いてあった内容に、私は目を見開いた。


「アルベルト殿下とエルヴィーラ・セグレート侯爵令嬢の婚約を正式に発表する」


 震える声で文面を読み上げる。お兄様の想い人が、アルの婚約者――


 国王陛下が十年前からアルベルト殿下の婚約者を用意していると、彼は話していた。ジルベルト殿下の婚約者とされてきたエルヴィーラ嬢なら当然、王妃教育を受けている。十年前、ジルベルト殿下が亡くなったとき、国王とわずかな側近の間で決められたのだろう。


 記事は、アルベルト殿下と共に王太子妃となるエルヴィーラ嬢も、宮殿のバルコニーから国民に顔を見せると伝えていた。


「リラお嬢様、顔色が真っ青ですわ。お医者様をお呼びしましょう」


 慌てる侍女に私は首を振る。


「大丈夫よ。昨夜、眠れなかっただけだから」


「そうですよね。祝賀期間にお屋敷から出られないなんて――」


 侍女はわがことのように悲しげにうつむいた。だが顔を上げたときには、私を元気づけようと笑顔を作っていた。


「祝賀期間は明日で終わりです。もう少しの辛抱ですよ! あさってになればアルベルト殿下と婚約者様をお祝いできるんです!」


 喜びにあふれた彼女の声が、私を絶望の淵から奈落の底へと突き落とした。


「第三王子がご存命だと発表されて、城下の人々は喜びに湧いています。それに婚約まで決まっているなんて、おめでたいです!」


 両手を合わせて輝く笑顔を見せる彼女に、私は作り笑いを返すことすらできなかった。


 エルヴィーラ嬢はクリス兄様と愛し合っている。


 アルベルト殿下は私の秘密の恋人。


 だけど私たちは誰も幸せになれない。本人たちの意思を完全に無視して世界は回っている。


 侍女はカーテンのドレープを直したり、本棚を整えたりしながら、私の気を紛らわすためかおしゃべりを始めた。


「城下では誰が『実は王子』なのか当てっこゲームが始まっているんです。条件はもうすぐ二十歳になる青年というだけでしょう?」


 侍女の話を聞き流しながら、私は外から流れてくる大建国祭のざわめきに耳を傾けていた。辻楽師が奏でる飛び跳ねるようなヴァイオリンのメロディに、子供たちの笑い声が重なる。


「侍女頭は王都の貴族家の養子として育てられているはずだって言うんですけれど、私は外国の王家に預けられているんじゃないかと思うんです。あ、マリアさんは修道院に隠されている可能性もあるって言ってましたね!」


 侍女の無邪気な噂話に私は凍り付いた。修道院に隠されているですって? ほとんど正解に近づいているではないか。侍女マリアが予想できるくらいなら、暗殺者たちが同じ答えにたどり着いてもおかしくない。十年前に突如教会に現れた十歳の孤児に行きつくのは時間の問題かも知れない。


 王宮側もアルベルト殿下を守るために万全の体制を整えているはずだ。しかもアルの体術は超一流。自分で自分の身を守れるよう、教会についてきた近衛兵たちに特訓されたのだろう。


 それでも私は不安をぬぐいきれなかった。


 だがどうすることもできずに、屋敷に閉じ込められたまま大建国祭四日目は過ぎ去った。


 アルは私を迎えにこの屋敷を訪れただろうか? 私が軟禁されていることは、使用人たちも知っている。誰かがアルにわけを話してくれただろうことを期待することしかできない。私が突然姿を消したら、優しい彼は心配するだろうから。


 そうして私は一人静かに、大建国祭最終日を迎えた。




─ * ─




ついに約束の最終日。リラは何もできずに終わるのか?(そんなはずないよね!)

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