27、祭り一日目の夜、騎士団長は見ていた

「しあさっての夜、真夜中のミサが終わったら、聖堂の裏庭にある礼拝堂へ行けばいいのね?」


「大丈夫、うまくいくよ。俺はこの手を離さないから」


 私の握りしめた手の甲を、彼の指が優しく撫でる。


「ドレスとマントは礼拝堂の中に脱ぎ捨てていけばいい。教会の舟を拝借してこの島を出るんだ」


「対岸の港町でエージェントが待っているのでしたわね」


 私の言葉に彼はしっかりとうなずいた。


「エージェントの取った宿で俺たちも一泊する。大建国祭最終日だから、宿も深夜まであいているらしい。翌朝になったら、川をのぼる貨物船に乗せてもらって街道沿いの宿場町まで行くんだ」


 自信に満ちた彼の声が、私の緊張を解きほぐしていく。


「旅慣れたエージェントにアドバイスをもらって、俺たちは宿場町で旅装を整えることになる。山越えに備えなければならないからね」


「山越えって、ウンベルト殿下が山賊に襲われた北の山脈よね?」


 私はまた不安になった。だがアルカンジェロのあたたかい手はゆったりと、劇場から聞こえてくる歌に合わせて私の膝を叩いてリズムを取っている。


「エージェントが護衛付きの馬車を手配してくれるそうだ。彼は何度も山脈を越えて、国境くにざかいを行き来しているんだよ」


 言われてみれば、北から訪れる旅行客は皆、山脈を越えて来るのだ。


「でも山越えの最中は修道院に泊まることになる。簡素な宿だから君には苦労をかけてしまう」


「構わないわ」


 私は即答した。知らなかった世界をのぞけると思うと、戦に赴くような高揚感を覚える。


「山を越えれば隣国だ。街道を北上してフランシア王国に入り、そのまま大陸を突っ切る。宿場町が整備されているし、郵便馬車も利用できるよ」


 順序立てて語る彼の声が、私を安心させてくれる。


「フランシア王国の北端にある港町に着いたら、帆船で海峡を渡るんだ。でも北の海はよく荒れるから、船が出るまで数日待つことになるかも知れない」


「海峡を渡ったらブリタンニア王国なのね」


「その通り。港町から王都まで、また馬車に揺られる必要があるけれど、ついに俺たちの新しい生活が始まるんだ」


 明るい未来を語る彼の言葉が私を勇気づける。きっと二人で幸せになれる――




 だが悲劇は翌日の夜にやってきた。


 大建国祭三日目もアルカンジェロと楽しんで、私は屋敷に戻っていた。夕食を終え、寝る前に自室のソファに座って古典文学の本を紐解く。ブリタンニア王国で家庭教師をするなら、古い言葉を勉強し直したほうがよいと思い立ったのだ。


 そろそろ寝ようかと顔を上げたとき、階下から父上の声が聞こえてきた。パメラ嬢の生家、バンキエーリ男爵家とバンキエーリ商会を家宅捜索していた父が、ようやく伯爵邸に帰って来たようだ。


 だが続いて聞こえた父の怒声に私は震えあがった。


「不埒な娘はどこにいる!?」


 膝の上から分厚い本が滑り落ち、大理石の床に叩きつけられる。


 激怒した父は、使用人たちに止められながら私の部屋にやってきた。


「くだらない歌手と不道徳な関係になりおって!」


 アルカンジェロと私の関係を、父が知っている!?


「リラ、いるのか!?」


 父の声と共に激しく扉が開け放たれた。


「旦那様――」


 上着の裾に追いすがる侍従を振り払って、父は憤怒の形相で立っていた。


「羽目を外すなと釘を刺しておいたのに、この父を裏切ったな!? 大建国祭一日目の夜、宮殿の中庭で男と抱き合っていたのを、わしはこの目で見たのだぞ!」


 花火が上がったあの瞬間、やはり父は私に気付いていたのだ。


 私の相手が誰なのか、侍従に調査を命じたのだろう。仮装していても屋敷の使用人たちに尋ねれば分かることだ。


 父の全身からは怒りが吹き出している。


「昨日の夜もあの男と劇場へ行ったそうだな。今日は芸術家のアトリエへ行って絵画の鑑賞会だと?」


 まあよくご存知ですこと。行動をすべて把握されているなんて、やっぱり私はかごの鳥なのだわ。でも本来の私は自分の頭で考えて行動できるひとりの人間。閉じ込められてよいはずはない。


「ゴンドリエーレの証言によれば――」


 伯爵邸のお雇いゴンドリエーレに口止め料でも渡しておくべきだったのか? だが雇い主たる父から命じられれば、私の秘密の恋人が誰なのか話しただろう。


 あきらめの境地に達した私を父は厳しく叱責する。


「明日はあの男とカフェへ行き、詩の朗読会に参加する予定だったそうだな!?」


 作詞作曲をするアルカンジェロは、詩も書けるのよね。第三王子殿下だったことを考えれば当然だけど。行動力もあって庶民の自由な気風を備えているのに、教養もあって、しかも強いなんて素敵な方!


 うっかりにやけそうになった私の頭上に、また雷が落ちた。


「毎日カストラートなんぞとふらふらふらふら遊び歩きやがって!」


 アルカンジェロをあざける父の物言いが、私の怒りに火をつけた。


「彼が五体満足な殿方なら、お父様はご満足でしたの?」 


 王都中の誰も、アルカンジェロが偽カストラートだと見破れないくせに。結局人はレッテルを貼って判断しているに過ぎない。そんなつまらないもので尊厳を踏みにじられてたまるもんですか。


 ソファに座った私はまっすぐ父を見上げた。彼は歯噛みして、さらに声を荒らげた。 


「そういう話をしているわけではない!」


 父は論点をすり替えてから、口元に酷薄な笑みを浮かべた。


「リラ、世間知らずなお前に、わしが二十年くらい前に担当した事件について教えてやろう」


 何が始まるのかと眉をひそめる私に、父は滔々と語り出した。


「ある冬の朝、運河に死体が浮かび上がった。それは若い男で、全身に剣で刺された傷があった」


「失血死ですわね」


 私は強がろうと冷静に分析したが、声は震えていた。


「殺された男の身元はすぐに分かった。公演中のオペラに出ているカストラートだったからな」


 父の低い言葉に、私は何も言えずに唇をかんだ。


「歌手を刺したのは貴族に金で雇われた殺し屋たちだった。殺し屋はすでに報酬を受け取って、夜のうちに島から出ていたが、貴族は堂々と今まで通り暮らしていた。歌手を殺させた理由は、貴族の娘が歌手と恋仲になったからさ」


 父はじっと私の目を見ながら、話を続けた。


「犯行の動機は娘をたぶらかしたというもの。貴族は罪に問われなかった。娘を堕落から守るため、父親として当然の行いだと認められたからだ」


「ひどい」


 私の右手はスカートを握りしめていた。私がその貴族を殺してやりたい。


 だが私が生きるこの社会では、貴族と庶民では命の重さが異なるのだ。


「わしは間男まおとこの命までは取らん。だがそれくらい重大なことだと知りなさい」


 夜の部屋に、父の言葉が冷たく響いた。


「リラ、お前に命じる。大建国祭が終わるまで屋敷から出てはいけない」




─ * ─




突然、軟禁を告げられたリラ。王都から逃げるどころか、屋敷からさえ出られない!?

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