10、第三王子アルベルト殿下毒殺の真相
「それでしたらどうして、この屋敷に来てくださったの?」
私は純粋な疑問を口にした。騎士団長の息子とはいえ、兄の手紙に拘束力があるとは思えない。
アルカンジェロはためらいがちにまつ毛を伏せて、カップの中で揺れる琥珀色を見つめていたが、意を決したように私を見つめた。
「あなたに会いたかったから、ではいけませんか?」
「なっ」
全身が暖炉になったみたいに、体が熱くなった。
「からかわないでちょうだい!」
私はふいと中庭の方に顔を向けた。朱に染まった頬を見られたくなかったからだ。
やっぱりカストラート歌手というのは、女好きで不埒で甘い言葉ばかりささやくものなんだわ。私は決して、お母様と同じ穴の
だがアルカンジェロの真摯な口調は変わらなかった。
「嘘ではありません。あなたも私も
結婚前の貴族令嬢と比べれば、あなたはずいぶん自由に生きられるはずだけど――と反発しかけて、私は口を閉ざした。どんぐりの背比べをしていても無意味だ。熱を帯びた頭を冷やすため、私は十年前の事件に話題を移した。
「率直に訊くけれど、大教主様はブライデン公爵を疑っているのよね?」
あまりに率直すぎたのか、彼は答えに窮して眉根を寄せた。
「質問を変えるわ。あなたは公爵を疑っているわね?」
彼が首を縦に振るものとばかり思っていたが、帰ってきたのは予想外の答えだった。
「最初は疑っていました」
疑っていたから彼はブライデン公爵家に入り込んで、お抱え歌手をしているのだ。
「でもブライデン公と言葉を交わす機会が増えるうちに、考えが変わったんです。閣下は人格者で、残酷なことを企てる男にはとても見えません」
「それじゃあ一体誰が――」
「分かりません。ロムルツィア王国に王権転覆を狙う革命勢力がいるとも聞きませんし、王国を乗っ取ろうと画策する近隣諸国の陰謀とも考えにくい」
私はハッとして口元を押さえた。
「第一王子ウンベルト殿下は王太子としてフランシア王国を訪問して、帰国する途中の山道で襲われたのよね?」
「山賊たちはどこの国にも属さない輩だったと聞いています」
私の浅い推理はアルカンジェロによって否定されてしまった。彼は落ち着いた口調のまま言葉を続けた。
「問題が大きくなるのを恐れた隣国からも騎士団が派遣され、両国が協力して山賊を一掃したそうです」
「その話は父から聞いているわ。捕らえた山賊たちを拷問して首謀者を突き止めろと命じたのは、父だから」
騎士団長である父は、山賊が偶然、第一王子殿下の乗った馬車を襲ったとは考えなかった。なぜなら山賊たちは護衛騎士に対抗できる質の良い武器を持っていたうえ、複数の盗賊団が集まっていたからだ。
だが彼らが吐いた情報は、「仮面で顔を隠した男から武器を渡され、手付金として金品をたんまりもらった。馬車を襲い、少年を殺せと依頼された。成功したら二倍の金品をやると言われた」という情報だけで、首謀者につながらなかった。
騎士団は総力を挙げて仮面の男について調べたが、素性に迫ることはできなかった。
「仮面の男は首謀者ではなく、彼に指示をしていた者がいるのかしら?」
「でしょうね。山賊たちは旅の商人風の男と言っていたそうですが、彼が支払った金額と身なりが釣り合いませんから」
「人目を避けて商人の変装をしていたとは考えられない?」
私の問いに、アルカンジェロがうなずくことはなかった。
「確かに変装していたことも考えられます。ですが山賊に支払った手付金が莫大であることを考えると、かなり身分の高い者が首謀者でしょう。すると――」
「貴族自身が山賊に接触するはずはないということね」
私は彼の言葉を引き取り、深いため息をついた。
「北の山脈事件のときに首謀者が捕まっていたら、アルベルト殿下があのような目に遭うこともなかったのに」
膝に置いた私の手は、無意識にスカートを握りしめていた。
「ええ」
アルカンジェロは短く答えただけで、目をそらした。小さな違和感を覚えたが、十歳の少年の命が奪われた事件に心を痛めているだけかも知れない。私は彼の反応を問い詰めるより、かねてからの疑問を口にした。
「第二王子と第三王子がねらわれたとき、離宮に毒見役はいなかったのかしら?」
「いたようですよ」
アルカンジェロは即答した。
「では、その毒見役が怪しいということにならなかったの?」
「毒見役の使用人が飲んだのは、グラスに移す前――水差しに入っていた方なんです」
「水差しからグラスに移したあとで、毒を入れたということ? それなら給仕を行った使用人が実行犯じゃない?」
私の名推理はあっさりと否定された。
「そんなに簡単ではありません」
毎夏、王族たちは避暑のために内陸にある湖畔の離宮へと訪れる。テラスでの昼食時、大人たちには葡萄酒が供されたが、まだ少年であった第二王子ジルベルト殿下と第三王子アルベルト殿下には、薄めた白葡萄酒に蜂蜜を加えたものが用意された。
「蜂蜜入りの白葡萄酒は離宮の厨房で、大きな水差しに入れて作られたのです。毒見役は水差しから少量を自分用の器に移して飲み、異常はなかったとのことでした」
「ということは、殿下たちが使ったグラスに毒が塗ってあったのね?」
今度こそ正解だと思ったのだが、首を振ったアルカンジェロは声をひそめた。
「グラスには葦で作ったストローが刺さっていたんです。飲み物をグラスに注いだあとで、使用人がストローを刺したのですが、この中にゼリー状の毒物が仕込んであったそうです」
初めて知る詳細な真相に、私は黙り込んでしまった。
「離宮の厨房には葦のストローがいくつも残っていたそうですが、その全てに毒物が詰まっていたらしい」
アルカンジェロの低い声に私は身震いした。
「ストローを納入した商人が怪しいのかしら?」
「いや、ストローは王都――この島の王宮から持ってきたんだ。王宮に残っていた在庫に毒は詰まっていなかった。つまり――」
彼は一語ずつかみしめるように話した。
「離宮の厨房の、所定の棚にしまわれてから、何者かが毒を仕込んだんだ」
「厨房に出入りできた人物――」
「そういうことになる」
アルカンジェロはしっかりとうなずいた。
「しかし離宮自体、宮殿と言うより小さな屋敷なんだ。別荘だからね。当然、その厨房も簡易的なもので、アーチ形にくり抜かれた石壁の先にあるんだけど、その入り口に扉なんてないんだよ」
彼はまるで見てきたように話した。一介の音楽家というより貴族令息のような口調が気になったが、私は話を先に進めた。
「つまり当時、離宮に滞在していた者なら誰でも出入りできると」
彼は腕を組んだまま、難しい顔でうなずいた。
「避暑に訪れていたのは国王一家だけじゃない。王弟であるブライデン公とその家族もいたから、王都民が噂を流す原因になったわけだけど」
ブライデン公爵家の使用人も離宮へ同行し、厨房の仕事も手伝っていただろう。
だが何も証拠はないし、むしろブライデン公は甥を奪われた被害者かも知れないのだ。
あごに手を当て考え込んでいたとき、教会の鐘が鳴った。
中庭の空を見上げれば、午後の日はすでに傾いている。
アルカンジェロは
静かになった音楽室でふと、小さな疑問が浮かんだ。第一王子の馬車襲撃事件について、私と彼の知識に差はなかった。だがその後の毒殺事件について、アルカンジェロは妙に詳しかった。
国内で起きた事件ゆえに首謀者にたどり着きやすいから、毒殺事件を重点的に調べているのかしら?
なんとなく自分を納得させて、私は暗くなってきた音楽室を出た。
※
─ * ─
次回からは第二幕。いよいよ華やかな大建国祭が始まります。
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