第二幕:早春の大建国祭

11、仮面舞踏会の衣装が届いた

 日増しに強くなる陽射しが、今年も大建国祭が近いことを告げる。運河沿いの通りには飾り付けが施され、伯爵邸の中庭に茂る木々にもリボンがかけられた。


 祝賀期間は貴族も庶民も仮装して仮面をつけ、普段の身分や年齢性別から解放される。王都の人々は何ヵ月も前から仮装のための衣装を用意し、大建国祭を楽しみに待っているのだ。もちろん私たちも例外ではない。


 仕立て屋に注文していた衣装が届いたという報告を受けて、私は侍女マリアと共に屋敷の広間へと急いでいた。


 ドレスの裾をつまみあげ、大理石の大階段を小走りに降りると、


「見てちょうだい!」


 お母様の華やかな声が聞こえた。


 両開きの扉が開け放たれて、すでに仮装に着替えた母が現れた。仮面をつけ、右手に扇を、左手にステッキを持ったお母様は、両手を大きく広げて少女のようにくるりと回った。


 太陽をモチーフにしたキンキラキンのドレスが、四方八方に光線をまき散らして広がる。仮面まで太陽光線を放射状に描いた金色だし、ステッキにも顔のある太陽がくっついている。孔雀の羽根で作った扇を揺らす華美な母の姿に、私は階段の途中で唖然としたまま立ち尽くしていた。


「ロザリンダ様、ド派手で素晴らしいです!」


 なぜか今日もわが屋敷にいるチョッチョが、見たまんまを口にした。


「誰よりも目立つこと間違いなしですよ!」


 町娘姿のチョッチョはその手に、金色の兜や大きな羽根飾りを持っている。どうやら彼の仮装用衣装はわが伯爵邸に届いたようだ。母がパトロンとしてチョッチョに衣装を作ってあげたことは明白だった。


「フィオ、あなたも早く着替えていらっしゃいな」


 母はチョッチョのステージネーム「フィオレッティ」を縮めてフィオと呼ぶ。


「はあい」


 無駄に良い返事をして木の扉へ向かうと、ちょうど扉がひらいた。中から現れたのは、空色のドレスに身を包んだ貴婦人。白い仮面で完全に顔を隠した上、頭まで頭巾ですっぽりと覆っている。


「クリス様、素敵!」


 チョッチョが年甲斐もなく黄色い歓声を上げて、私はそれが兄だと気づいた。大建国祭の仮装では異性装をする者も多い。正体を隠しさえすればよいのだ。


「クリス、似合ってるじゃない」


 お母様が嬉しそうに近づいて、背の高いお兄様を抱きしめた。


「本気で正体を隠すための仮装ね!」


 息子を見上げ、絹の手袋をはめた指先で、表情のない白い仮面を撫でる。


 仮面の奥からくぐもった兄の声が聞こえた。


「しゃべらなければ誰も僕だとは気づかないでしょう?」


「ええ、どこから見ても美しい令嬢よ!」


 お母様が魔法使いのようにステッキを振りながら答えるが、無茶がすぎる。どこの世界にそんな馬鹿でかい令嬢がいるのよ。


 クリス兄様は未来の騎士団長として鍛錬を積んでいるから、肩幅も広く、たくましい体つきをしているのだ。


「リラお嬢様」


 声をかけられて初めて、仕立て屋の主人ができあがった衣装を両手に乗せて、近づいてくることに気が付いた。母や兄の仮装がまぶしすぎて、品のよい深緑のジュストコールに灰色のカツラをかぶった彼は、かすんで見える。


「ご注文いただいていた衣装です。仮縫いの際にご試着いただいておりますが、念のためご確認願います」


 彼から衣装を受け取ると、うしろに控えていたマリアが、


「リラ様、お着替えお手伝いします。あちらのがあいておりますよ」


 母が着替えていた控えの間を手のひらで示した。


 正式に受領する前に、試着して最終確認をする必要がある。広間を横切って扉へ近づき、真鍮の取っ手に指をかけたとき、


「ジャジャーン!」


 うしろから大げさな声が聞こえた。振り返ると着替え終わったチョッチョが出てきたところだ。


 黄金の兜から伸びる真っ赤な羽根が、小柄な彼の身長を少し高く見せる。武人の仮装だと思われるが、なぜか背中に孔雀の羽根を背負った姿は、母に負けず劣らず派手派手しい。


「かっこいいでしょう? 古代の将軍ですよ!」


 彼はまったく将軍らしくない声で自慢した。細身の体躯のせいで、少女が仮装しているようにしか見えない。カストラート歌手は手術の影響なのか、異様に背が伸びたり太ったりする者が多いにも関わらず、チョッチョは華奢で背も低かった。


「かわいいわ、フィオ!」


 仮面をつけたままの母が駆け寄ってチョッチョを抱きしめ、その頬に口づける仕草をした。


 クリス兄様は仕立て屋の主人にドレスの裾を見てもらいながら、


正歌劇オペラセリアに出てくる主演男性歌手プリモウォーモみたいだね」


 的確に真意をついた。そう、チョッチョの仮装は、古代の英雄を演じるオペラの主役にそっくりだった。彼の声と技術では一生、男性主役など射止められないだろう。手の届かない夢と憧れを反映した彼の仮装に、私は少し切なくなった。


 憐みのまなざしを向けていたことがバレたのか、


「リラお嬢様、大建国祭はどなたと回るんですか?」


 チョッチョがずけずけと尋ねた。


「えっ――」


 脳裏に一瞬、アルカンジェロの端正な横顔が浮かぶ。


 私は慌てて首を振り、彼の幻を打ち消した。


 去年の大建国祭までは当たり前のように、婚約者であるグイードと過ごしていた。欠片も楽しくなかったが、数ヵ月前に衣装を注文したときも、グイードと劇場や教会へ行くものと信じていた。


「お兄様」


 私はクリス兄様を見上げる。


「大建国祭、私と一緒に過ごして下さいますか?」




─ * ─




果たして兄の答えは!?

彼にも秘密の恋人がいたはずだが――?

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