3.舌戦

「はあはあ」


 右足を出せ、次は左足。それをできるだけ効率的に繰り返す。文芸部の部室はそう遠くない。だけど僕はコンマ一秒でも早くそこに行かなければならないのだ。


「くそ!」


 最効率を目指すには明らかに筋力と体力が足りていない。これほど運動の必要性を感じる瞬間は、後にも先にもないだろう。


「お、なーすけ、文芸部の件なら」

「梵悪い!」


 半ば無視のような形で梵の横を全速力で通り抜け、文芸部と書かれたプレートを確認し、そのままの勢いで、扉を乱暴に開ける。そこにはまるで僕が来るのを待っていたかのように正面に座り、ほくそ笑む長い黒髪の少女がいた。見たところ一人のようで、常広は見当たらない。


「そちらから直接来てくれるなんて、私嬉しい」

「分かっていたくせに」


 僕は中に入ると、息を整えながら本棚の横に置いてあった椅子を真ん中に移動させ、彼女と向き合うように座った。間に長机があるから、面接のような配置になる。


「常広はどこだ」

「自己紹介は? 必要でしょう」

「あなたは知っているだろう」

「私に興味ないのね。悲しい。それに今君は情報が必要じゃないの? 会話をしなくちゃ」

「悪い。いったん冷静になる」


 ごもっともだ。今僕は一方的な要求をしていた。それじゃ対等ではない。なんなら現状、立場は向こうの方が上だ。


「よし、大丈夫。もう大丈夫だ。それでも僕が名乗るのは時間の無駄ですよね。あなたは?」


 彼女はきれいな姿勢のまま組んだ手を机に置いた。


「大瀬良 華。君のことが大好きな文芸部部長」


 最悪の想定を引き続けているみたいだ。用意していた文言をお返ししよう。


「そうか。あー大瀬良さん」

「呼び捨てでもいいよ。一応同級生」

「大瀬良。大瀬良が好きなのは僕が作ったキャラクターじゃないか?」

「いいや、君だよ。なーすけくん。キャラクターといっても理解できない、もしくは知らない思考の登場人物は作れないでしょう。なぜなら動かし方が分からないから。つまりあれは少なくとも君自身が分かる考え、でしょう?」

「確かにそうだな。でも理解できる思考が必ずしも僕の考えとは言えないと思うけど」

「好き、嫌い、無関心。あるでしょ? 知っている時点で全部君の考えだよ」


 厄介だ。僕とは考え方が違う上に押し付けてくる。一番嫌いな人種だ。普段なら僕の世界から除外する。それだけで済むことだが、今はそうはいかない。常広の情報を何一つ引き出せていないのだ。唯一の情報源。下手な動きはできない。彼女の手のひらの上で転がされるしか選択肢がない。


「はい、次は私が質問。常広奈央のこと、どう思ってるの?」


 こいつ、人が嫌がることをずけずけと。全然納得できないが、本当にブログの内容だけで僕を理解したのかもしれない。まるで脳味噌を直接覗かれている気分だ。


「可哀そうなんだよ。知識が増えればその分自分の世界も広がるから、それを知ってほしいんだ」

「嘘ね。使わなくても分かる。なーすけくんの考えに反するもの」


 確かにそれが矛盾しているのは自分でも理解している。しかし回答を出すには時間と労力が必要なのだ。


「僕を全て理解した気でいるのなら、常広に対する感情がなんなんのかも分かってるだろ」


 墓穴を掘った。そんな気がする。


「個人的な好意よ」

「違う」


 即答した。


「それも嘘。これは使ったから確定。私に向けてほしいな。その感情」

「さっきから使ったって、何を?」

「私、嘘が分かるの。その分制約もあるけどね」


 彼女はさも当然のように答える。


「そうか」


 自分の見えている世界が全てではないし、現時点で矛盾は起こっていないからその能力が虚言かどうか判別できない。


「思うんだけどね、なーすけくんは考えすぎてるだけで、普通の男子高校生なんじゃないかな」

「大瀬良の普通を押し付けないでくれ」

「やっぱり、私が思った通り。歪んで見えるんでしょ? 自分も、世界も」


 納得したように両手を合わせ、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「そこまで言われる筋合いはないな。もう一度言おう、常広は、どこだ」


 彼女の瞳をじっと、わざと悪い目つきで見つめた。決裂。我慢の限界。向こうは最初から会話をする気など無かったのだ。


「初めて好きな人と話した女の子の気持ちにもなってよね。彼は消したよ」


 僕が勢いよく立ち上がったその瞬間、落ちた。というよりどこかに着地した感覚に陥る。そしてすぐ椅子や机、本棚はもちろん、壁も、天井も、何もかもが消えた無限に広がる真っ白い空間に立っていることに気が付く。



『嘘をついたら死ぬ』『死んだら一度従え』



「僕は死なないだろう、この世界にいる限り」

「……やるね。流石なーすけくん」

「いくら何でも初見殺しがすぎるな。だけど、初見にしか通用しない」

「そう。君の考察通り、この世界で予想は嘘にならない」


 そこまで考えてなかったけど、まあいいか。


「そうか。それと同時に、それは真実になる。だろう?」

「ええ、バグみたいなものね」


 賭けに出た。というよりもやり得だった。ルールが脳内に流れ込んできて咄嗟にこれが出たのは、僕にしては出来過ぎである。


「これで対等な話し合いができるな。大瀬良」

「それはどうかな?この世界にいる限り私は死なないだろう。なーすけくんは次の瞬間死ぬだろう」

「……どうやらここはかなり欠陥があるようだな。いとも簡単にただの白い空間へ成り下がってしまった」


 僕は次の瞬間死ぬ。これは僕がこの世界では死なないという大前提があるから嘘になる。そして、本来ならここで嘘をついた大瀬良は死ぬわけだが、彼女もこの世界では死なない。つまり、ここではもう誰も死なないし死ねないのだ。強いて言うなら、死んだのはルール。


「あーあ。こんなつもりじゃなかったのに。実質、私の負けね。この世界の中なら君も嘘を見抜ける。それを利用しましょう」

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