2.例外発生

「にゃーすけ、自分ってかわいいのかなー。分かんないなーバカなのかなー」


 高校二年生の男子としてはかなり可愛いんじゃないかな。


「そうじゃなくてね、にゃーすけ個人の感想だよー」


 常広って僕個人に興味あるんだ。主観的に見ても可愛いよ。


「えへへ、嬉しい」


 そりゃよかった。それより常広、この音聞こえるか?なんだっけな、頻繁に聴いているのに不快に感じる、そういう音なんだけど――。


 冷たく、硬い。五月蠅くて、眩しい。ああ、体が床に接しているのか。スマホのアラームと開けっ放しのカーテン。僕の部屋だ。


「夢か」


 なんで僕はあれを受け入れていたのだろう。常広にしてはあざとすぎるし、何より自分以外の人間個人に興味を持つなんてあるはずかない。極めつけは、にゃーすけ。すっかり目が覚めてしまったから、スヌーズは使わずに音を止めた。同時に、なぜ床で寝ているのか思考を巡らせる。絵を描くかブログを更新するか迷った挙句、どちらも手付かずで眠くなり、そのまま寝ては勿体ないからと椅子で仮眠を取ろうとした。で、結局普通に寝転がりたくなったから床へ落ちるように移動した、ということを思い出す。早い段階で布団に入るのが最適解であったのは分かっている。一見行動と思考が矛盾しているように思えるだろう。しかし、当時はそうしたくなかったというだけの話だ。人は考え方などコロコロ変わるから、今ならこうした、という発想は無意味なのである。だから僕は後悔しない。勿論教訓にはするが。


 そんなどうでもいい思考を巡らせながら学校に行く準備をしている。ルーティンというのはあまり好きではないが、こんなところで行き当たりばったりな行動を取っても時間の無駄である。だから一年かけて最効率の行動を編み出したのだ。おかげで今みたいに関係のない事を考えていても体が勝手に動く。


 準備が完了したため家をあとにした。僕が通っているのはバスで十五分前後の位置にある私立高校。入学を決めた理由は、一度は世間の普通を体験してみようと思ったから。ダメなら通信か高認試験に切り替えればいいわけだし。あと強いて言うなら、一番近い。結果的に現時点では悪くない。常広があまりにも魅力的だからだ。


 停留所に着いて数分でバスが来た。適当な空席に座り、ネットニュースとSNSを見て世間の動向をチェックする。ほとんどは感心のない情報だが、やはり興味を引く話題もある。人間の母数で考えれば少数派はかなりの数いる。だからその片鱗に触れることができるインターネットはとても面白いと感じる。しかし、人によっては現実との乖離を起こすだろう。何故なら、少数派の意見は異常に大きく見えるからだ。多数派に対抗するにはなりふり構わず巨大に見せる必要があるのだろう。だから情報を精査しない人は陰謀論やフェイクニュースなどに騙されるのだ。


 同じ服装をした集団と共にバスから降り、同じ建物に入った。


「よっ、なーすけ!」


 僕の肩に手を回して挨拶する陽気な彼は梵。数少ない友人だ。僕とは違って顔も広い。


「梵よお、意識外から触れられると人はびっくりするということを知ってるか?」


 教室に向かいながら話す。手は離れたが、相変わらず近い。


「うーん知らないなあ。なんせ俺の周りにそんなことするやつはいない」


 距離が近いわけだ。それのせいで失敗したこともないのだろう。


「僕の周りにはいるな。それもかなり近くにね」

「悪かったよ。それよりさ、お前また文芸部から勧誘来てたぞ」


 どこから漏れたか分からないが、僕のブログを文芸部部長が見たらしい。そのせいでここ数か月間熱烈な勧誘を受けている。


「またか。なんで本人じゃなくて梵に言うんだろうね。誘うなら僕を毛嫌いしてるわけじゃないだろうに」

「さあな。恥ずかしいんじゃねえの。お前のこと好きだったりして」

「まさか。だとしたら怖いよ」


 それが事実なら、きっと僕のブログを見て内面を把握したつもりでいるのだろう。ブログと言っても小説に近いものだ。登場人物の思考も含まれている。対面すれば理想の僕を押し付けてくるに違いない。あなたが好きなのはキャラクターだろうと言ってやりたい。もちろんそれは文芸部部長が僕の事が好きだと仮定した場合の話だ。ただ僕の文学性に惹かれた控えめな高校生。このほうがずっと筋が通っている。


 梵は教室の扉を前にして急に立ち止まった。


「あと、これだけは絶対に伝えてって言われたんだけど、大事な探し物があるときは部室に来て、だとよ」


 扉の境目をちょうど超えたあたりで僕も立ち止まり、振り返った。


「それ、原文ママか?」

「ああ。意味分かんないし、改変とかしねえよ。ポエム?」


 少し、興味を惹かれた。内面を知ったつもりでいる彼ないし彼女は、僕の大事なものとは何だと思っているのだろうか。そして、探し物ということは僕がそれを失くす、あるいは失くしていると思っているのだろうか。まだ発見できていない概念的な探し物があるとも捉えられる。真面目に回答するなら、それは僕自身かな。まあただのポエマーと考えるほうが自然である。曖昧な表現は人によって解釈が分かれるから、刺さりやすいのは至極当然の結果だ。


「さあ。悪いけど今回も断っといてほしい」


 部活動に参加すれば放課後が潰れてしまう。僕は放課後、常広が知らないものを一緒に見たり聞いたり、遊んだりする時間に使っているのだ。


「あと、今度は直接勧誘してって伝えてくれ」

「分かったよ。俺も伝書鳩やらされるのはうんざりだ。そんじゃまたあとで」

「おう」


 僕に手を振ると集団の中に消えていった。彼は誰かを特別扱いしているわけではなく、全員と平等に関わっているのだ。僕はそのまま自分の席に座った。梵と会話していない間は後ろの席の秋山君、趣味が少しだけ共通している矢野、田中、上本の三人組とつるんでいることが多い。この四人に関しては覚えてもらわなくて結構だ。常広は隣のクラスだから、放課後以外あまり話さない。



 現在授業中、ノートの端に絵を描いている。機械的に板書を写すのみで、ほとんど聞いていない。暗記科目ならノートを見返すだけでなんとかなるし、他は自分で参考書を読んだ方が頭に入る。授業はまだいいのだ。問題はテスト。なぜ興味ない分野のインプットとアウトプットを強要されて、更に他人と比べられなきゃいけないのだろうか。まあ高校という組織に所属している以上それは仕方ないし、どこかで文句を言うことはない。辟易はしているが、放課後のあの時間を生み出しているというだけで、価値は大いにあるのだ。



 その放課後、いつも通り静かになったタイミングを見計らって隣のクラスに向かう。この時間のために高校に通っていると言っても過言ではない。そしていつも通り左端の席にちょこんと座る彼が――。


「居ない。おーい常広?」


 隠れているわけじゃなさそうだ。トイレか、それとも先生から呼び出しでもくらったか。きっと何かイレギュラーが発生しているのだ。少し待ってみよう。



 おかしい。そんなはずはない。学校を休んだのか? いや、ありえない。彼が学校を欠席したことは僕の知る限り一度もない。それにあいつは気まぐれで行動するような男じゃない。何か意味があるはずだ。昨日の時点、いや一週間、それとも邂逅したときか。何かヒントを残しているはず。なんだ、なんだ、なんだ。


「僕の記憶力じゃ無理だよ」


 彼は世界に見切りをつけてしまったのだろうか。僕が見せたものを全て黒く感じたのだろうか。


「だとしたら僕の責任だ」


 違う。そう仮定しよう。これは逃避ではなく、凝り固まった思考のリセットだ。そう言い聞かせた。こういうのはどうだろう。何らかの外的な要因でヒントを残せなかった。だとしたら緊急事態である。事故、誘拐、殺害、洗脳、現実的なのはこんなところか。消滅、転移、停止、進化、僕が知らないだけで、ないとは言い切れない。

「探さなきゃ」


 走り出そうとして前に移動させた右足を強く踏ん張り、立ち止まった。自分と常広だけを考えすぎて、完全に忘れていた。分かりやすいヒントを。



『あと、これだけは絶対に伝えてって言われたんだけど、大事な探し物があるときは部室に来て、だとよ』

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