第13話
1日中、寝たり起きたりを繰り返していた。起きてもそれが現実なのか夢なのか、全く関心がない。
一度だけ悪夢を見た。ドアが開放され、多くの警官がなだれ込んで来る。パトカーへ連行される中、たくさんの野次馬や報道のカメラに晒され、その中に泣きながら見送る妻と子どもたちがいる。
ハッとして目覚めると嫌な寝汗をビッショリかいていた。エアコンをつけるのも忘れていたようだ。
この時ばかりは夢で良かった、とむせび泣いた。
だが、いつかそれが現実になるかも知れなかった。
今何時なのか何日なのか分からない。閉め切られた薄暗い部屋では心まで闇に飲まれそうだった。
いっそこのまま、しんでしまった方がいいのか。
何の罪も無い人の命を奪っている。死んで報いが出来る訳でもないが、生きているのが申し訳なかった。
だが色々揃っている部屋にはロープなどない。刃物どころか調理用具ひとつ無い。おそらくそういう考えや行動を読んで、そのような類の物を置いていないのだろう。食事が弁当なのも、そういう訳だ。
その弁当は手を付けられないままいくつも転がっている。不意に、綺麗に整頓された隣人の調理用具を思い出してまた涙が出た。
孤独な静寂を破るように、玄関のドアが解錠される。ボクは悪夢を思い出して、ビクッと身構えた。
現れたのは世話役の男だった。
彼は部屋に入るなり「なんだ、ちっとも食ってねーな。大丈夫か」と声を掛けた。
気遣いなのか、これから売り物になりうる人間の状態を気にしてるのか、ボクには分からなかった。
彼はビニール袋を下げていた。
何かしら怪しいブツでも入ってるのかと思ったが、テーブルに置かれたのは缶ビールとツマミだった。おそらくコンビニにでも寄ったのだろう。
「空きっ腹にはキクかも知れねーが、おめーも飲めや」と、カシュッと開けてグビグビ飲み始める。
もう何日もビールなんて飲んでない。そう、あの日から。
いつもなら、美味そうなそれを喜んでグイ飲みする所だが、ボクにはもうそれに手を出す気がなかった。
これのせいで、人生が狂ったのだ。
いや、正確にはこれは悪くない。悪いのは自分を見失うほど飲んで事件を起こしたボク自身だ。
黙ってそれを見つめるボクに
「なんだ、飲まねーのか」と男がまた勧めてくる。
ボクはやつれた真剣な目で「もう、飲めないんです」と答えた。
あぐらをかいたまま男がボクに向き直り、話してみろ、という雰囲気を出す。
「ボクは、お酒が大好きでした。毎晩毎晩飲んで、嫌なことからひとまず逃げてました。
…時々記憶がなくなるぐらいまで」
男は黙って聞いている。
「その挙げ句、きっかけも思い出せないけど、何の罪も無い人をころしてしまった。ゴルフクラブで殴ったんです。全く覚えてないけど。
……きっと、痛かったでしょう。突然の出来事にびっくりしたかも知れないし、そんな時間も無かったかも知れない。でも彼は、一緒に飲んでいた友達みたいな隣人に命を奪われた。……ぼくはもう飲みません。お酒が、こんな恐ろしい事態を引き起こすなんて考えもしなかった。妻にも注意されてたのに……。子ども達だって、まだ、幼いのに……」
話しながらボクは人目もはばからず泣いた。
悲しくて悔しくて、やるせなくて惨めだった。
楽しい娯楽だと思っていたのに。唯一の至福の時間だと思っていたのに。
黙って聞いていた男が口を開いた。
「相当後悔してんだな」
ボクは黙って頷いた。
「なんでもそうだけどよ、やり過ぎはいけねえ。もう少し欲しいぐらいが、ちょうどいい。満タンじゃねぇ方が車だってよく走る。ほどほどぐらいが、実は一番幸せなのさ」
それは、痛いほど分かった。もう少し早くそれに気づいていれば。いや、気付かされるチャンスはたくさんあったんだ。ボクは自分可愛さに、それらから目を背け耳を塞いできたんだ。その結果が、これだ。
「……そろそろかな。ちょっと会わせてぇ人が居るんだ」
そう言って男はスマホで誰かに電話をかけだした。
依頼人だろうか。それとも身柄を引き渡す別の人間だろうか。どちらにしても、ボクにはもう何も拒むものも望むものも無かった。これがボクの行いの結果だ。
程なくして、玄関のチャイムが鳴らされた。
「おう、開いてるよ」
男が声を掛けると、相手は「よっ!」と挨拶してドアを開けた。
その姿を見て、ボクは腰を抜かしそうになった。
それは、ボクが殺してしまった隣のおじさんだった。
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