第1話
今夜もまた帰りのコンビニで500mlの缶ビールを3缶とワンカップの日本酒を買ってきた。
仕事をしていると色んな事がある。飲んでも何も解決しないけど、飲まずにはいられない。
箱買いやパックで買わないのは、あればあるだけ飲んでしまうからだ。そうして翌朝、辛い頭痛を抱えながら嫌々出勤する。
単身赴任を経験する前は、家に帰ればひとまず家族の笑顔に癒された。妻の用意してくれた美味しい夕食と一缶のビールで充分だった。
でも今は、何もない。
明るいうちは仕事。それも、暗くなってからやっと帰れるサービス残業のオプション付き。
アパートに帰っても誰もいない。テレビを観てもつまらない。
これと言って趣味もなく、どちらかといえば内向的なので街へ出て夜遊びする、なんてこともない。
だから毎日アルコールを飲む。依存症にレベルがあるとしたらボクは間違いなくその症状になっているのだろう。アルコールの前は家族依存症だったかも知れない。
「ドン!ドン!」
隣からまたいつもの音が聞こえてきた。会社が借りているこの部屋のアパートは壁が薄いのだろう。角部屋なのだが窓を閉めていても行き交う車の音が聞こえるし、隣の部屋からは大体このぐらいの時間になると何かを叩く音がする。多分壁か床でも叩いているのだろう。
最初はこちらの生活音に対する圧力かと思ったが、休みの日にヘッドフォンでゲームをしてて殆ど音を立てない夜にも関わらず、その音は聞こえてきた。
毎日の様に音がするのでさすがに苦情というか、お願いに行ったこともある。
相手は初老の男性でかなり酔っているらしく、こちらの言う事を半分も聞いてくれない。そればかりかろれつの回らない言葉で罵倒され、玄関の壁を「ドン!」と叩いた。
ああ、やっぱり壁を叩く音だったんだな。とそのとき理解した。
話にならないのでそれからはもう訪ねることは無かった。警察に騒音で相談しようかとも思ったが、かえって面倒な事になりそうだし、こっちに居るのも半年と決まっていたので余計な事はするまいと思った。
それから赴任期間が伸びた時は愕然としたが、もう慣れた。
仕返しに壁を叩き返した事もあったが、向こうは更に反撃してくる。手が痛くなったところでバカバカしくなってやめた。向こうはそれから10分ぐらいも叩き続けたが、勝ったと思ったのかつまらなくなったのか、しばらくして静かになった。
事情はよく知らないが、哀れだな、とも思う。
独り身で、家族は居ないのか奥さんは居たのか分からないが、毎日孤独なのだろう。ボクは期間が過ぎれば家族の元に帰れるが、おそらく彼は無期限の孤独だ。飲まないとやってられない。何に対してかわからないが怒りが込み上げる。そうしてストレス発散のために周りの壁を叩き始める。
怒りも悲しみも同じところから生まれる、とボクは考えている。だから彼の「カベ叩き」も、もしかしたら耐え難い悲しみ、寂しさのSOSなのかも知れない。
ボクは久しぶりに、隣の部屋側の壁を「ドン!」と叩いてみた。
しばらく反応が無かったがやがて「ドンドン!」と打ち返してきた。
酔って気分の良くなっていたボクは面白半分で「ドドン!」とやってみる。
相手は負けるもんかと「ドン!ドンドンドン!」と応えてきた。
ふと、面白い事を考えついた。
ボクはゴルフクラブセットを開けて、同じくらいの重さのクラブを両手に構える。そして太鼓を叩く様に
「ドン!ドン!ドン!ドドン!ドン!」とやってみた。
どんな反応するかなと待っていたら
「ドンドンドンドンドン!」
更に「うるせぇ!」
と怒鳴られた。
あーあ、つまらない。相手も対戦ゲームの様に
太鼓叩きで応戦してくれる事を期待したのに。
ボクはゴルフクラブをしまって、ワンカップをぐい呑みしながら眠りについた。
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