ひまわり

空見夕

ひまわり

「ナオ!早く帰ろ!」



勉強しながらいつの間にか寝落ちしてしまっていたおれはガラリとした教室に元気に響く声に目を覚ました。



「うっわ。あいかわらずマヌケな顔。ノートによだれついてるよ。」



顔を上げると見慣れた笑顔が目の前にあった。明るい色のポニーテールが楽しげに揺れる。おれは口元をぬぐいながら慌てて答えた。



「うるせー。寝起きなんだからしかたねーだろ。あーあー、それが部活が終わるまで待ってもらってる側の態度なんですかねー。」



ミズキは走るのが大好きな陸上バカだが、おれは中学の時からずっと帰宅部だ。こいつの部活が終わるまで宿題と格闘するのがおれの日課である。



「どうせ家に帰ってもやることないんだからいいでしょ。それに私待ってなんていってないしー。」



「家では録画してあるアニメたちがおれに見てもらうのを今か今かと待っているんだよ。特に今期は魔法少女ものが…」



「あーはいはい。もういいから帰ろ!」



こいつは残念なことに運動バカの脳筋女なのでおれの趣味に共感してくれない。アニメを見ないなんてどう考えても人生損してる。



「今日はスパイクのピン買いにいつもんとこ寄るんだから早くしてよね。」



そんな予定は初めて聞いたがこいつはいつもこうなのでもはや諦めしかない。小学生の時から振り回されているので慣れたものだ。



「はいはい。わーったよ。」



返事をしながら片付けて、すでに教室から出て行ってしまったミズキを追いかけた。去り際に誰もいなくなった教室を振り返ると、窓から入道雲がのぞいていた。



「あちー。夏だなー。」



高校に入って初めての夏休みが、もうすぐ始まろうとしていた。










「おっちゃん!きたよー。」



くたびれた佇まいの吉田スポーツ用品店は基本的にいつもガラガラだ。店の奥に座って新聞を読んでいる店長の吉田さんはいい人なのだが、でかくて強面なので客商売に圧倒的に向いていない。


路地裏で遭遇したら10人いたら9人が尻尾を巻いて逃げ出すくらいだ。なんでこんな状態で店がやっていけているのか不思議でならない。昔は奥さんが接客をしていたらしいが随分前に亡くなったらしい。



「おう。」



おっちゃんはジロリとおれとミズキを一瞥して手元の新聞に目を落とした。いつもどおりの反応である。


おれが言うのもなんだが完全に商売というものが何かわかっていないに違いない。品揃えはいいのにもったいないことだ。



「いい競泳水着だな。やはりスク水よりも競泳水着こそが大人の女性にふさわしい。ビキニはけしからんからな。」



おれが頷きながらおっちゃんの店の品揃えを確認している間にいつの間にか買い物は終わったらしく、ミズキはビニール袋を下げながらおれをバカにしてくる。



「何見てんのよ変態、いまどき大人の女性は海で競泳水着なんか着ないわよ。残念でした。生まれてくる時代間違えたわね。」



「何もわかってねえなミズキは。着ている人が現実にいるかどうかは関係ねーんだよ。それに欧米化が進むにつれて男子の身長は高くなり、女子の発育は良くなっているんだ。この平成の世に生まれて良かったに決まってんだろ。あー……まぁ発育には個人差があるからな、うん。」



「ちょっと、どこ見ながらもの言ってんのよ!おっぱい星人はおっぱい星に帰りなさい。もう地球にはあんたの居場所はないわ。」



「何その星。帰りたい。」



カバンでおれを殴ってくるミズキから笑いながら逃げて店を出た。



「おっちゃん!アイスもらってくからねー。」



「おう。」



表にあるアイスケースから2本アイスをとったミズキは一本をおれに差し出した。



「ん。」



「サンキュー。」



このアイスは一本100円で、夏場は近所のガキどもが良く小銭を握りしめてやってくる。おっちゃんを肝試しか何かと勘違いしているかのように騒いで買っていくが、スポーツ用品よりも売り上げがあるかもしれない。


おれたちが、というかミズキがスポーツ用品を買うといつもオマケしてくれるのでいつからかミズキは勝手に2本かっぱらうようになってしまった。



「ねえ聞いてよナオ!今日金本先輩がまた自己ベスト出してさー。かっこいいよね、金本先輩。絶対今年のインターハイ出場できると思うんだよね。あーわたしもあんな風に走れたらなー。」



2年の金本先輩はイケメン代表みたいな人で、男のおれの目から見ても爽やかだ。流れる汗もおれたちとは違う化学組成をしていると思われる。


ミズキは高校に入ってから金本先輩にゾッコンだ。かといってどうせ告白する勇気もないんだが。



「なら告白しろよ。金本先輩彼女とケンカ中で実質フリーみたいなもんらしいぞ。今日おれのクラスで女子がキャーキャー言ってた。」



「それほんと!?あーでもわたしなんてどうせ無理だよ…。スコアがいいわけでもかわいいわけでもないし。3年の彼女さんめっちゃ可愛い人だったもん。」



「あーたしかにミズキは可愛い系ではないよな。うん。」



アイスを大胆にかじっては振り回して喋るミズキを横目に見ながらテキトーに返事をした。



「ほー。じゃあナオから見てどういう系なの?」



「脳筋系ゴリラって感じ?」



ぶちっと何かが切れる音がした。後悔したがもう遅い。



「はあ!?ありえない!なんなのよ、自分も根暗系キモオタのくせに!友達の一人もできないからわたしが未だに一緒に帰ってあげてるって言うのに。今日も部活の友達にミズキってちょっと付き合い悪いよねとか言われたのを愛想笑いで誤魔化したんだからね!」



「はぁ?別に友達いるし。別に好きでお前みたいなガサツな女と一緒に帰ってるわけじゃねーよ!おれはお淑やかな巨乳のお嬢様がタイプなの!いつもどれだけおれがお前に振り回されて迷惑か。だいたい、いつもいつも……」



「もーわかった!じゃあ明日からわたし部活の友達と帰るから。ちょうど良かったわよ、あんたみたいなやつと一緒に帰ってて彼氏と誤解されても嫌だし。」



「はっ。好きにしろよ。」



売り言葉に買い言葉で怒鳴ってしまって、少し言いすぎたかもしれないと思ったが、ミズキはすでに自慢の健脚で走り去ってしまっていた。まぁいい。なんだかんだしばらくしたらまたあいつに振り回されることになるだろう。


面倒臭いがパフェでも奢れば許してくれる。機嫌が悪いのも持って数日だろう。







だが、当たり前の日常、いつも通りのちょっとした喧嘩。そう思っていたのはおれだけだった。


1学期の終業式までミズキがおれのクラスに来ることはなく、宿題をして下校時刻に1人で帰るようになった。


いつも夏休みはアニメばっかり見て家から出ないおれをミズキが怒りながら外に連れ出しに来ていたのに、今年は家のチャイムが連打されることもなかった。





おれがその理由を知ったのは始業式だった。



「ねえねえ知ってる?陸上部の金本先輩、1年の後輩と付き合い始めたらしいよ。」



「えーいつの間に?わたし2学期始まったらアプローチかけようかなと思ってたのにー。」



「それが、最近活躍しだした女子部員に金本先輩の方から告ったらしいよ。」



「まじで?なんて子?」



いつものように騒がしいクラスの喧騒が戻ってきたなーと思っていた。金本先輩手がはえーなと呑気に思っていた。



「隣のクラスの沢田って子。」




頭が真っ白になった気がした。



「えー明るいけど金本先輩と釣り合うほど可愛くはないよねー。なんでなんだろ。」



「ねー。」



沢田瑞稀。


なんであいつの名前がこんなところで。金本先輩みたいな爽やかイケメンがミズキを好きになる理由がわからない。


おれはミズキが付き合っているという噂が信じられなかった。何かの間違いだろうと陸上部を隠れて見学することにした。





「ファイッオーファイッオー」



掛け声をかけながら走っているミズキはキラキラしていた。あいつあんなに……。休憩時間に楽しそうに金本先輩と喋っているミズキを見て、何かが耐えられなくなって、気づけば走って逃げ出していた。



「ハァ、ハァ………。」



おれはあいつのように速く走れるわけではない。すぐに走り続けることができなくなった。息を整えながら歩いているとなぜか独り言が止まらなくなった。



「は。やっとあの暴力女から解放されたな。これでアニメ鑑賞を邪魔されることもない。宿題も家に帰ってやればいいし、そもそもあいつ金本先輩のこと好きだったんだからよかったな。あんなやつでももらってくれる物好きがいるとは。やっぱイケメンは何考えてるかわかんねー。」



走った方向が家の方向ではなかったのが災いして、無意識におっちゃんの店へとたどり着いてしまった。



「おうおっちゃん、久しぶり。」



おっちゃんは目をあげておれを一瞥し、少し目を見開いた後いつものように新聞に目を落とした。



「……おう。」



なんとはなしに店内をウロウロしたが、どうも落ち着かずに店内のスニーカー試着用の椅子に腰掛けた。



「おっちゃん。聞いてくれよ。ミズキのやつイケメンの先輩と付き合い始めたらしくてよ。その先輩も女の趣味が悪いというかなんというか。ミズキとイケメン先輩、この店に来た?」



我慢できずにおっちゃんに話しかけていた。



「……あれからミズキは来てねえ。」



「そう…か。そりゃデートでこんなボロい店こねーよな。ははは。」



「てめえ……。」



「ごめんおっちゃん。そういうつもりじゃないんだ。でもあんな女、どこがいいのかわかんねーよな。すぐにキレて手だすし、人の意見も聞かねーし、ガサツだし、走ることしか頭にねえ脳筋だし。それに貧乳だし。はは。あのイケメン貧乳好きだったのかな。受けるんですけど。」



「歯ぁ食いしばれ。」



胸ぐらをつかまれて無理やり立たされ、目の奥に火花が飛んだかと思うと、おれは床の上に寝転がっていた。



「痛っ…ちょっ、おっちゃん。何もボロいって言ったくらいで殴ることないだろ。」



「……お前本気で言ってんのか。」



「何がだよ!」



また胸ぐらをつかまれて引きずり起こされる。



「惚れた女取られてテメェはなにヘラヘラしてんだ。もっぺんぶっとばすぞ。」



「っ!だったらどうしろって言うんだよ!あいつも前から金本先輩のこと好きだったんだよ!」



「それくらいテメェで考えろ。」



そのまま店の前に放り出された。痛くて涙が止まらなかった。



「くそっ。いてえよ。なんなんだよ。おれにどうしろっていうんだよ。もうおせえんだよ。」



悪態をつきながら頬をおさえていると、ミズキとのいろいろな思い出が蘇ってきた。


小学校の頃、いじめられていたおれをかばってくれたこと。泣いているおれをバシバシ叩きながら励ましてくれたこと。ペアを組めないおれと一緒に二人三脚に出てくれたこと。あいつは文句ばかりのおれのことをいつも叱ってくれて、最後にはあの明るい笑顔でっ……。



おれはもう一度、走り出していた。








「もしもし?」



「…っ、ミズキ。いつもの公園でまってる。」



おれは今までろくにかけることのなかったミズキのケータイに、電話をかけた。



「はあ?突然何よ。あんたは知らないかもしれないけど私は…」



「ごめん。待ってるから。」



「ちょっ…。」



思わず一方的に電話を切ってしまった。もっとちゃんと説明するつもりだったのに。


久しぶりにミズキの声を聞いて、泣きそうになってしまった。ベンチに崩れ落ちてつぶやいた。



「はぁ。つくづく情けねえ男だなおれは。」



考えてみればおれがあいつにしてやれたことなんてなにもなかった。いつもミズキに支えられていた。


ミズキの優しさにも気付かず当たり前だと思っていた。馬鹿だった。ミズキが離れていくのも当然だった。






すっかり日も暮れて音を立てるのは公園の木の葉だけになった頃。立ち尽くしてもうダメかと思った頃。



ミズキはやってきた。



おれは街灯に照らされているが、ミズキの顔はよく見えない。



「あんた、そのほっぺの傷、どうしたの?」



「これはなんでもない。」



「なんでもないって、結構はれてるじゃない。なにが…」



「そんなことはどうでもいい。大事な話がある。」



「……なによ。」



「まずは謝らせてくれ。ごめん。」



「……」



「あの時は傷つけるようなことを言ってごめん。」



「……あれくらい気にしてないわよ。あんたの口が悪いのはいつものことじゃない。そうじゃなくて…」



「違うんだ。最後まで聞いてくれ。何回も助けてくれてたのに気付けなくてごめん。励ましてくれてたのに気付けなくてごめん。今まで迷惑かけてごめん。礼も言わずに文句ばっかでごめん。今日、やっと気付いたんだ。おれは、ミズキに頼ってばっかだった。明るくて優しいミズキに甘えてた。」



「な、なによ突然。そんなたいしたことしてないわよ。謝られる覚えも感謝される覚えもないわ。わたしがやりたくてやったの。」



「……ありがとう。もう遅いと思うけど、おれは、森本直樹は、ミズキ…沢田瑞稀のことが、好きでした。今まで本当にありがとう。…………それだけが言いたかったんだ。」



おれはミズキに背を向けて公園を立ち去ろうとした。



「……待ちなさいよ。あんただけ勝手に喋って勝手に納得して帰るなんて、許さないわよ。」



震える声に振り向くと、ミズキの顔は涙でぬれていた。



「わたしの話も聞きなさい。ほら座って。」



二人でベンチに腰掛けた。



「ケンカしたでしょ。あれから、イライラして、あんたと帰る代わりに、ずっとがむしゃらに練習してたの。」



「おう。……お前らしいな」



「がむしゃらに練習してるうちに、もしかしてこれかなっていうのをつかんでさ、それから一気に速く走れるようになった。スコアも伸びたのよ。」



「……そうか。」



「それでそのまま夏の大会で準優勝しちゃってさ。コーチにもこのまま熱心に練習すればインハイも狙えるからって言われて練習も忙しくなっちゃった。」



「……すごいじゃないか。」



「それだけじゃなくってね。なんと、あの金本先輩から告白されたの。」



「それは……噂で聞いたよ。おめでとう。ずっと好きだったもんな。」



「そう、だね。インハイも出場しちゃうようなイケメンが、なんでわたしにってびっくりしたんだけど、話を聞くと、少し前から私のこと気にかけてたらしくてさ。『走る姿がすごく楽しそうで、誰よりも走ることが好きなんだなっていうのがわかる。目で追ってるうちに好きになった。』とか言われちゃって。」



「……わかるよ。その気持ち。」



「もう!そういうのいいから!んで、金本先輩は私がナオと付き合ってると思ってたんだって。」



「はあ!?なんでだよ。付き合ってねーよ。」



「笑っちゃうよね。でもいつも一緒に帰ってたし、勘違いされて当然なの。でも、ケンカして私がナオと一緒に帰らなくなったから、金本先輩は声をかけてきたんだよ。」



「なんだよそれ。だいたい金本先輩には彼女が……。」



わけがわからなくて頭が痛くなってきた。



「3年の彼女はあんまり好きじゃなかったけど、付きまとってくるし周りも進めて来るから付き合ってみることにしたんだって。だけどやっぱり…っていう。」



「そんな、無責任な。」



「そうだよね。だから、私も、すぐに返事はできません。金本先輩のことよく知らないし、友達からならって答えたの。」



「……。」



「でも正直なところ、私、舞い上がっちゃってて。部活でも調子良くて、告白されて周りの友達にもキャーキャーいわれて。」



「金本先輩に憧れてたもんな。」



「そう、憧れの金本先輩に!って。夢みたいでさ。慣れないオシャレをしてみたり、高い美容院に行ったりして、デートしてさ。映画も見に行ったりした。」



「なぁ。もう帰っても……。」



「だから!最後まで聞いてよ。金本先輩はデートしててもイケメンだし、爽やかだし、優しいし、頼りになるし、わたし、お姫様扱いされちゃってさ。……そんなの人生で初めての経験だった。……でも、やっぱり、なんか楽しくないんだよね。本当のわたしじゃないっていうか。頭ん中ではずっとナオならこうなのに、ナオならここでこうするだろうなって。考えちゃって。ナオとならここでこうやってくだらないことでケンカして、笑うんだろうなって。」



「ミズキ……。」



「だからね、今日のデートで正式にお付き合いをお断りしてきたんだ。」



「そんな……。だって…だっておまえ…っ。」



「もう!まだわかんないの!ナオにはわたしがいなきゃダメでしょ。もう一回、ちゃんと言ってよ。今でも、過去形なの?」



そんな。そんなことが許されるんだろうか。でも、溢れる気持ちは抑えられない。真夜中なのも忘れて、のどを枯らして叫んだ。



「好きだ!好きだ、ミズキ!こんなおれだけど、頼れる男になってみせる。だから、だからおれと付き合ってください!」



涙で輝く顔に、ひまわりが咲いた。



「よろこんで。」










fin

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ひまわり 空見夕 @soramiyuu

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