第33話 乗っ取り
―現実世界―
祥子は屋敷に帰ってリビングで考えていた。山根教授に渡す研究資金をどうやって工面しようかと・・・。以前に流用した金はなんとか役員の目をすり抜けている。
「ただいま!」
考え事をしている祥子に宗吾が声をかけた。
「あら、あなた。ごめんなさい。帰ってきたのに気付かなくて・・・」
「どうしたんだ。最近、ぼうっとしていることが多いぞ。体の具合でも悪いのか」
「そんなことじゃ・・・」
そう話していると玄関の呼び鈴が鳴った。祥子が出てみると義弟で副社長の露山勝次が来ていた。
「どうしたの?」
「社長や義姉さんに聞いてほしいことがあって・・・」
勝次はそのまま上がりこんでリビングに入ってソファに座った。
「勝次君。一体、何の用かね? 仕事の話なら会社で聞くが・・・」
宗吾は不快気に言った。彼はこの勝次という男があまり好きではなかった。数年前に亡くなった祥子の妹と結婚していた。その縁でサイホーに入社し、優れた実績を上げた。しかし宗吾の目から見て、ただ営業力が優れているとしか見えなかった。彼には自社商品に対する愛がなかった。だがSARAブランドのおかげで実績は確かに上がっていた。沙羅がいたころまでは・・・。
「大事な件です。これを見てください」
勝次は資料を宗吾に差し出した。宗吾はしばらくそれに目を通していた。祥子がお茶を用意してリビングに入って来た時、勝次はおもむろに言った。
「かなりの金が流用されています」
それを聞いて祥子はもってきたお茶の盆を落とした。かなり動揺しながらもあわてて後始末をする。
「義姉さんにも聞いてほしいので座ってください」
勝次がそう言った。その顔には不気味な表情が読み取れる。祥子が座ると勝次が話し始めた。
「社の金が流用されています。このことはまだ私しか知りません」
「それはどういうことかね?」
宗吾が尋ねると勝次は狡い顔をした。
「義姉さんが横領したのです!」
「何だと!」
宗吾は絶句していた。まさか妻がそんなことをしているとは・・・宗吾は祥子の顔を見た。彼女は小刻みに震えていた。とうとう露見してしまったと・・・知らないとしらを切ることはもうできないことを悟っていた。
「あなた。ごめんなさい。どうしても沙羅を救いたくて・・・」
「じゃあ、あの山根という学者のところにお金を持っていったのか!」
「はい。あなたも聞いたでしょう。沙羅の声を・・・。あの子は別の世界に行っているのです。助けるためには次元の向こうに・・・山根先生の協力が必要なのです」
「おまえ、そんなことを! あのエセ学者とは係るなと言っただろう!」
「でもあなた・・・」
2人の会話に勝次が割って入った。
「お話合いの途中ですが、私の話を続けさせていただきます。義姉さんは横領したのです。れっきとした犯罪です」
「勝次君。君は告発しようというのかね」
「いいえ。そんなことになったらサイホーは大打撃を受けます。お金の方は今からでも補填すれば何とかなるでしょう。しかし・・・」
勝次の目は光った。
「このような事態の責任をどう取られるつもりですか? 知らなかったとはいえ、社長の奥さんがこんなことをした。決して許されないことです」
「君はどうしようというのかね?」
「退陣なさってください。後は私が引き受けます。あなたの株式を無料で譲渡していただければ口外いたしません。私が社長としてサイホーを引き継ぎます」
それを聞いて宗吾は怒りでわなわなと震えていた。
「おまえ! それが目的で・・・」
「さあ! どうします。告発すれば義姉さんは牢屋行きだ。社長は耐えられますか?」
「ううむ・・・」
宗吾はしばらく考えていた。額に汗を浮かべながら・・・。
「さあ、ご決断ください! そうでなければこのまま警察に駆け込みますよ!」
「わかった。お前の言うとおりにしよう」
宗吾は苦渋の決断を下した。
「あなた・・・」
「仕方ない。だがこれでいいのかもしれない。沙羅がいなくなってはSARAブランドが立ちいかないからな」
宗吾の言葉を勝次が鼻で笑った。
「ふふん。ご心配なく。後は私が会社の面倒を見ます。せいぜい沙羅の無事でも祈っていてください」
勝次はそう言って引き上げて行った。会社を取られて宗吾はうなだれていた。祥子はずっと彼に寄り添っていた。だがその心の中は沙羅のことで占められていた。
(もう研究費用を出すことはできない。次元の穴がわからなければもう沙羅は戻って来ないかもしれない・・・)
彼女はそっとため息をついていた。
◇
三下山の失踪事件、「社長令嬢失踪事件」はセンセーショナルに報じられたのに、まだその山を登る者は少なくない。東山刑事はずっとその登山口を張っていた。そこに森野刑事が小さな紙袋を持って現れた。
「ごくろうさん!」
森野刑事は紙袋を渡した。東山刑事が明けるとあんパンと牛乳が入っていた。
「すいませんね」
「リクエスト通り買ってきたが、もっと他に気が利くものがあるだろう」
「いや、張り込みと言ったらこれでしょう」
「それは昔のドラマだ」
「だからこそ、あんパンを食べているとがんばれる気になるのですよ」
そんなことを話しながら東山刑事はあんパンにかぶりついた。
「奴らは山に設置していた監視装置を破壊した。だから動き出すはずだ」
「ええ、僕もそう思います」
「藤堂は必ず来る。奴はここから別の世界に飛んでいるはずだ」
森野刑事はそう言って周囲を見渡した。すると小さな肩掛けカバンだけの軽装の男が向かって来ていた。マスクとサングラスで顔ははっきり見えないが、背格好は藤堂と同じだ。東山刑事もそれを確認した。
「森野さん。あの男!」
「ああ、多分、藤堂だ」
「取り押さえますか?」
「いや、泳がす。どこに行くかを見るために・・・」
森野刑事と東山刑事はその男をつけていった。
「あのカバンではたいしたものは入っていないようですね」
「そうだな。でも思わぬ手を使っているのかもしれない。奴らは『魔法』を使うからな」
森野刑事は冗談めかして言った。東山刑事は(どこまで本気で言っているかわからない)という顔をして森野刑事について行く。
男はしばらく歩いて立ち止まった。腕時計で時間を確認している。
「取引相手でも来るのでしょうか?」
「いや、そうでもなさそうだが・・・何かを待っている」
森野刑事と東山刑事は身を伏せて男の様子を確認していた。すると男から少し離れたところが光を放ち始めた。
「何でしょう?」
「何かが現れようとしている・・・」
するとその光は七色に輝き始めた。まるで虹のように・・・。そしてその中央にぽっかり穴が開き始めた。それを見て森野刑事が声を上げた。
「東山! 行け!」
「えっ!」
「奴はあの穴に飛び込んで別の世界に行こうとしているんだ! 奴を押さえろ!」
「はい!」
東山刑事は飛び出して行った。その足音を聞いた男は振り向いた。
「藤堂! そこを動くな!」
東山刑事は叫んだ。男はあわててその穴に飛び込もうとした。しかしその前に東山刑事は男を捕まえていた。
「放せ!」
「警察だ! おとなしくしろ!」
2人はもみ合っていた。それで男のサングラスとマスクが外れた。後から駆けつける森野刑事はその男の顔を見た。
「やはり藤堂だな!」
藤堂はむき出しになった顔を隠すようにすると、東山刑事の腹に一撃を加えた。
「うっ!」
東山刑事はその場に倒れた。藤堂はそのままその穴に飛び込んでいった。
「逃げられたか!」
森野刑事はそう声を上げたが、まだあきらめたわけではなかった。一瞬、逡巡したものの、思い切ってその穴に飛び込んだのだ。その光景を倒れている東山刑事がはっきり見た。
「森野さん!」
東山刑事が穴に向かって叫ぶが返事はない。何とか立ち上がったが、穴は小さくなり七色に輝く光は消えかけていた。
「森野さん! 聞こえますか! 森野さん!」
東山刑事は叫び続けた。やがて穴は消え、光も消えた。
「なんということだ・・・藤堂と森野さんが穴に消えた・・・」
彼はまだ目の前で起こった出来事を信じられないでいた。
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