第27話 麻薬捜査部
―現実世界―
祥子は山根教授の研究室に来ていた。その手は緊張のあまりじっと汗をかいている。
「奥さん。お持ちいただいたのですね」
「お渡しする前にもう一度お尋ねします。これで沙羅は戻ってくるのですね」
「ええ。先日、警察の方が来られました。あの音声をお聞かせしました。かなり興味を持たれているようでした」
「警察の方が? それでは・・・」
「ええ、そうです。警察も沙羅さんたちが別世界に飛ばされたと見ているようです」
山根教授そう言い切った。それは本当でないのだが、祥子はそれを聞いて確かなことだと思った。
「わかりました。おっしゃられた金額の小切手は用意しました」
祥子はバッグから小切手を出して机の上に置いた。それに山根教授が手を伸ばした。
「約束してください。必ず沙羅を取り戻すと」
「ええ。警察も動き出しましたから、次元の穴を見つければすぐに救い出せるでしょう。大丈夫ですよ」
山根教授は愛想笑いしながら小切手をしまった。これで当分、研究費に困ることはないと心の中では計算していた。
帰り道、祥子は罪悪感にさいなまれていた。山根教授に言われるがままに大金の小切手を渡してしまった。これは祥子個人の資産ではない。
(とうとう会社の金に手を付けてしまった・・・。でも沙羅を取り戻すためだもの。主人だってわかってくれるわ)
自分にはそう言い聞かせていた。山根教授は相変わらず胡散臭いが、沙羅の声の入った音声データ、警察まで山根教授のところに来ているということを聞いて信じざるを得なかった。
(きっと沙羅は生きている。見つからないのは別世界に飛ばされているだけ。山根教授が次元の穴の秘密を解明してくれたら沙羅は戻ってくる。必ず帰ってくる!)
祥子はそう信じ込もうとしていた。
◇
森野刑事と東山刑事は厚生局麻薬取締部を訪れた。行方不明者扱いの藤堂三郎の情報を得るためだ。彼だけがドラッグとの関係があることがわかっていた。
2人は会議室に通され、年配の大城取締官が入って来た。2人は警察手帳を示した。
「お忙しいところすいません。城西署機動捜査課の森野と東山です」
「大城です。お話は伺っています。あの件ですね」
大城取締官はもってきた書類を見せた。
「藤堂は過去に麻薬売買の疑いでマークしていました。だが証拠不十分で逮捕に至らなかった。この男が何か?」
「我々は三下山の行方不明事件を追っています。その中に藤堂が含まれていましたので」
森野刑事は渡された書類を見た。
「最近はおとなしくしていたようですね」
「さあ、どうですかね。奴はそんなタマじゃない。隠れて何かコソコソしているとにらんでいます」
それについて東山刑事が尋ねた。
「何かつかめているんですか?」
「ええ。最近、騒がせているレインボーに絡んでいるかもと思っています」
「レインボー・・・ですか・・・」
東山刑事は聞き覚えのあるドラッグを聞いて森野刑事の顔を見た。(やはりか!)とその目付きが鋭くなっている。
「未知の物質です。今までの麻薬や覚せい剤などのドラッグとはまるで違う。分析してもどの成分が人体に影響しているかまるで分からない。ただ麻薬と似た作用があり、依存症になって最後には廃人と化すことまではわかっています」
「そんなものが今、出回っているのですか?」
「ええ。未知の成分だから検査薬に麻薬や覚せい剤の反応は出ないから売人はわからない。だから入手経路もつかめない。その規模からそれを扱うのは大きな組織らしいが、それも捜査線上に上がってこない」
それを聞いて森野刑事は言った。
「そんな薬が出回っていると聞いたことがあるのです。あの斉藤直樹捜査官から・・・」
「斉藤のことをご存じですか!」
大城取締官はそれに反応した。森野刑事は大きくうなずいて話した。
「ええ。彼が失踪する前に会ったことがあって、そんなことを話していましたから」
「そうでしたか・・・。 実は斉藤が以前、かなり詳しく調べていたようです。藤堂の周辺も洗っていたようです。何かをつかんだようですが急に消えてしまって・・・」
「もしかして組織に消された・・・とか?」
東山刑事の疑問に大城取締官はうなずいた。
「そうかもしれない。それでそのドラッグの捜査はそこでおしまいになった。もし斉藤がいれば、いや誰かが引き継いでいたらレインボーの悲劇は少なくなっていたかもしれないのに・・・」
大城取締官はため息をついた。そこで森野刑事が話を切り出した。
「実はですね。斉藤捜査官の妹が三下山で最近、行方不明になっていまして」
「えっ! それは?」
「ただの偶然かもしれません。ただ他の行方不明者に共通した関連はなく、また犯罪に巻き込まれる状況がなかったのです。お話を伺ってみて斉藤捜査官、そして藤堂、今回の斉藤捜査官の妹、その3人の関係が浮かび上がったような気がします」
それを聞いて大城取締官は「ううむ」と腕組みをした。森野刑事は意見を述べた。
「目撃情報では藤堂は三下山にしばしば来ています。だがしばらくの期間、姿を消した。そしてまた現れたという情報もあります。この男がキーを握っているような気がしてならないのです」
「しかしレインボーと行方不明事件を直接、結びつけるものはないように思いますが・・・。それとも三下山になにかあるというのですか?」
「ええ。だがそれが何であるかは見当もつかない。しかし三下山で何かが起きているのは確かです。しかし現地を探しても何も出てこない。ここで消えてしまっているのです。この世界から」
「この世界?」
「ええ、この世界から。別の世界に行ったとしか思えない」
森野刑事ははっきりそう言った。
「そんな神隠しみたいなことが・・・」
「いや、泡海大学の山根教授のグループが調査していました。次元の穴について。その穴から別の世界、つまり異世界に通じているようです」
「まさか! 本当にその穴は見つかったのですか?」
「いえ。だが次元の変動で現れるようです。山根教授の説では」
「それが本当に存在するのですか? あまりにも突飛な話で」
大城取締官はにわかに信じられないようだった。
「かといって私もまだ確信が持てたわけではありません。とにかく藤堂を探し出さねば何もわかりません。もし情報がありましたらこちらにも教えてください」
「わかりました。我々はレインボーを追って行きます。その入手経路と製造場所を。もちろん藤堂も。お互いに協力しましょう」
話がつき、森野刑事と東山刑事は会議室を出て帰って行った。
「本当に異世界を信じているのかねぇ・・・」
会議室を出た大城取締官は彼らの後姿を見ながらつぶやいていた。そこに後ろから声をかけられた。
「大城さん。来客でしたか?」
大城取締官が振り向くと、かつて部下だった橋本取締官がいた。彼は若手ながらやり手だと将来を嘱望されており、すでに大城取締官と同じ主任クラスになっている。
「ああ、警察だ。三下山の行方不明事件を捜査しているそうだ」
「それがなぜうちに?」
「行方不明者の中にあの藤堂がいたそうだ」
「藤堂? 藤堂三郎ですか?」
橋本取締官は聞き直した。藤堂の動きには麻薬取締部全体が目を光らせていたからだ。
「ああ。奴は姿を隠していたがまた現れたようだ。神出鬼没だ。こいつが行方不明事件のカギを握っていると」
「そうなんですか?」
「変な話をしていったぞ。なんでも次元の穴があって異世界に行っているってな。とても信じられん」
「ええ、そうですね。警察は何をしているんでしょう」
橋本取締官はあきれたように言ったが、その目つきは鋭く、帰って行く刑事たちに向けられていた。
一方、東山刑事は車の中で森野刑事に尋ねた。
「森野さん。山根教授の話を信じていなかったのでは?」
「ああ、最初はそうだった。だが資料を見ているうちに『これは』と思うようになった」
「本当ですか?」
「ああ。荒唐無稽な話だが、そう考えると辻褄が合う。行方不明者は別の世界に飛ばされ、藤堂は行き来してあのレインボーを手に入れているのかもしれない」
「森野さん。しっかりしてください。あの山根教授の術中にはまっていますよ」
「そうか? そうかもしれんな。はっはっは」
森野刑事は笑っていた。東山刑事は眉根にしわを寄せた。彼は森野刑事が何を考えているのか、全くわからなくなった。
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