第26話 けんか

 ダイは夢を見ていた。彼はあの三下高原でモーツェイカを吹いている。思い出深いあの曲を・・・。その笛音は辺りを覆いつくしていく。


(おや?)


 気が付くと2つの笛音がハーモニーとなってダイに聞こえた。彼が目だけで周囲を見渡すと、ユリが隣でモーツェイカを吹いていた。あの頃と同じように・・・。


「ユリ!」


 ダイはモーツェイカから口を離して声を上げた。ユリも吹くのをやめて微笑んでいた。


「ユリ! 帰って来てくれたのか!」


 だが彼女の姿は遠くなっている。


「ユリ! どこに行くんだ! ユリ! ユリ!」


 ダイは叫び続けるがさらにユリの姿は遠くなり、やがて消えていった。


「ユリ! ユリ! ユーリー!・・・」


 ダイはそこで目を開けた。すると目の前に心配そうに見つめる沙羅の顔があった。


「ユリ!」

「ダイ。よかった。目を覚ましてくれて・・・」


 その言葉を聞いてダイははっとした。目の前にいるのはユリではなく沙羅であることを・・・。ユリはここにいないという現実に引き戻されてダイはため息をついた。


「気を失ったあなたをナツカさんたちが病院に運んでくれたのよ。大けがで手術してもらって丸三日寝ていたのよ」


 沙羅はうれしくなって話し続けた。だがダイの表情は冴えない。沙羅はそれに気づいて彼に聞いてみた。


「どうかしたの?」

「どうして行かなかった?」

「えっ?」

「どうして行かなかったと聞いているんだ!」


 ダイは強い口調で言った。それは沙羅には意外な言葉だった。


「それは・・・」

「どうして帰らなかったんだ。せっかく目の前に『虹』が出ていたのに」

「あなたを放り出していけないわ」

「君は帰ればよかったんだ! 僕なんかにかまわずに・・・」


 ダイの突き放すような言葉に沙羅は悲しくなった。


「私は余計なことをしたのね」

「ああ、そうだ! 僕なら大丈夫だったのに」


 ダイは強がりを言っているだけと沙羅にはわかっていた。だがそれでもやるせない気持ちでいっぱいになった。ダイは沙羅に背を向けて言った。


「一人にしてくれ」


 沙羅は涙がこぼれそうになるのをこらえて、黙って立ち上がって病室を出て行った。一方、ダイはその気配を背中で感じながら罪悪感にさいなまれていた。


(むしゃくしゃした気持ちを彼女にぶつけてしまった。ユリがいないのは彼女のせいではないのに・・・)


「トントントン!」


 ドアをノックする音が聞こえ、ダイタク署長が入って来た。ダイは慌てて体を起こそうとした。


「これは署長」

「いや、そのままで。それよりユリさんが悲しそうな顔をして出て行ったぞ。何かあったのか?」

「いえ、それは・・・」


 さすがに本当のことは言えなかった。


「ユリさんとけんかしたのか? これは珍しいな。でもダイ。今度のことでユリさんに感謝しないとな」

「えっ? 」

「彼女は寝ないでずっと付きっ切りだったんだ。お前のことをかなり心配していたぞ」


 それを聞いてダイはうなだれた。


「何があったかはわからないが、彼女はお前のことを一生懸命に思っている。それに答えてやらんとな」

「・・・」


 ダイは何も言えなかった。ダイタク署長は大きくうなずいてから言った。


「まあ、いい。ユリさんは多分、屋上だろう。戻って来てくれるように俺が頼んでやるから」


 ダイタク署長は沙羅を迎えに行くために病室を出て行った。



 沙羅は屋上で涙を流していた。彼女にはわかっていた。ダイがユリのことを思い出していることを・・・。


(顔かたちが似ていても私は沙羅でユリさんにはなれない。そんなことはわかっている。そっくりな私がそばにいることで、かえってユリさんがいなくなった辛さを彼にずっと味わわせているかもしれない・・・でも少しでも彼のために何かがしたい)


 沙羅は夜空を見上げた。そこには彼女を慰めるかのように星が輝きだした。


「今日は星がきれいですな」


 不意に後ろから声をかけられた。振り返るとダイタク署長だった。沙羅はあわてて頭を下げた。


「ダイとけんかしたそうだね」

「いえ、そんなことは・・・」

「いや、いいんだ。ダイは反省している。戻ってやってくれないか」

「それはもちろんです。では私はこれで・・・」


 沙羅が病室に戻ろうとした。するとダイタク署長がその背後から話を続けた。


「ダイは3年前から誰にも心を開かず、ふさぎ込んでしまった。それはユリさんがいなくなった時からだ。でも今はダイは立ち直って、以前の彼に戻りつつある。それはあなたのおかげだ。あなただけには心を開いているように見える。どうか彼の力になってほしい」


 沙羅は振り向いた。ダイタク署長はもう一言加えた。


「あなたがユリさんであろうがなかろうが・・・」


 最後の言葉に沙羅は驚いてダイタク署長の顔をじっと見た。自分のことがばれたのではないかと・・・。ダイタク署長も真剣な顔をして何かを探るように沙羅を見据えていた。お互いにそれ以上、何も言わずにその場の空気が凍り付いた。


「はっはっは! いや、冗談! 冗談! あなたがユリさんじゃないわけがない! はっはっは!」


 ダイタク署長は大笑いしてその緊張を破った。


「驚かさないでください。よく覚えていないことがあるのですから。ははは」


 沙羅も笑って病室に戻っていった。一人、屋上に残されたダイタク署長は空を見上げた。相変わらず星が輝いている。


「この空だけが真実を知っている・・・か」


 彼はボソッとそうつぶやいた。


 ◇


 沙羅が病室の前に来ると中からにぎやかな声が聞こえていた。


(誰だろう?)


 ドアを開けるとそこにはニシミをはじめ近所の奥さんたちがいた。ベッドの横の机にごちそうを広げている。


「あら! ユリさん」

「こんにちは。どうしたのですか?」

「いや、ねえ、お見舞いよ。私たちの耳に入るのは早いのよ。もう食事してもいいと聞いたわ。ここの病院食じゃ、おいしくないでしょう。だからみんなで持ち寄ったのよ」


 ただダイは困惑した顔をしていた。


「いや、ありがたいのですが食欲が・・・」

「だめよ。そんなことじゃ。一杯食べて元気にならなくちゃ。さあ、食べさせてあげましょう」


 ニシミさんたちはお箸でつまんでダイに食べさせようとした。彼は沙羅に目で助けを求めていたが、彼女はしらんぷりしていた。それで仕方なく、ダイは気乗りしないながらも無理に口を開けて食べていた。


「おいしい?」

「え、ええ、おいしいです・・・」


 沙羅はダイのその様子を見てクスッと笑った。彼はまだ目で沙羅に(助けてくれ!)と訴えている。


(まあ、そろそろ助け舟を出してもいいか・・・)


 沙羅はそう思ってニシミたちの声をかけた。


「ダイは今はあまり食べられないみたいです」

「そう?」

「ええ、でも皆さんのお気持ちはありがたいです」

「でもこの料理はどうしようかしら」


 そう話しているところにドアがノックされた。


「どうぞ」

「班長。ご気分はどうですか?」


 ナツカを先頭にしてダイの部下が病室に入って来た。団地の奥さんたちが集まっていたので、ラオンが不思議に思って尋ねた。


「どうしたのですか? 奥さんたちがこんなに集まって・・・」

「お見舞いよ。あなたたちもそうでしょう」


 ニシミが答えた。


「ええ、そうですが・・・どうしたんです。こんなに料理を並べて」

「班長さんにたくさん食べてもらって早く元気になってもらおうと思ったのだけど、あまり食べられないそうなの。ちょうどいいわ。無駄になってしまうからあなたたち、食べて」

「えっ! いいんですか? それじゃ・・・」


 ハンパが手を伸ばした。それをロークがたしなめた。


「おい! 班長のだろ!」

「いや、いいんだ。ニシミさんもそう言ってくれているし・・・」

「では遠慮なくいただきます」


 ハンパが料理にまず手を出し、ラオン、ローク、そして最後にナツカが料理を口に入れていった。


「うまい!」

「そうでしょう! たくさんあるから!」

「こんなごちそうは久しぶりです!」


 病室の中は宴会のような騒ぎになった。ダイはその様子をほほえましく見ながら、気付かれないようにそっと病室を出た。その後に沙羅も続いた。病室の中の音が外の廊下まで聞こえている。


「なんだかみんな楽しそうね、お見舞いに来たとは思えないわ」

「そうだな。部下たちは心配して気が滅入っていたかもしれないが、これで少しは気が晴れるかもしれない。奥さんたちに感謝だな」

「ええ、みんないい人たちだわ。ちょっとお節介だけど」

「そりゃそうだ。ははは」


 ダイと沙羅は少し前までの気まずさも忘れて笑い合っていた。


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