第21話 ミオ

 ―現実世界―


 最近、人々の間である薬物が蔓延していた。その錠剤は快い夢幻状態に陥らせ、嫌なことをすべて忘れさせる作用を持ち、まるで虹の世界にいるような心地がするというので「レインボー」と呼ばれていた。だがその反面、連用すると精神を蝕み、廃人に至らしめるという危険なものだった。


 警察はその錠剤を調べたが、いまだにその本態をつかめていなかった。人にそのような作用を起こす成分が見つからないのだ。それを服用した者を調べても結果は同じだった。だから人々がその錠剤を持っていても、検査もできず、摘発できないでいた。


 その得体のしれない薬物を麻薬捜査部を中心に捜査を進めていた。だが捜査は一向に進展していなかった。麻薬捜査部主任の一人である大城取締官はこの状況にほぞをかんでいた。


「全く手掛かりがない。人体における作用実態がわからない。入手経路がわかればいいが・・・」


 まるで虹のように実態がつかめない。彼の頭には失踪した斉藤直樹取締官のことが頭に浮かんでいた。


「レインボーが広まる前だった。斉藤は何かをつかんでいた。そこで大掛かりに捜査を行っていたら・・・」


 その後悔が今も続いている。その斉藤取締官の行方も分からなくなっている。何か、大掛かりな組織が動いているに違いない・・・そう思わざるを得なかった。



 その日、大城取締官は部下の上野取締官から報告を受けていた。


「ようやく組織がつかめそうです。関係者と思われる男を確保しました」

「ブツを卸した奴か?」

「いえ、レインボーらしい薬物のことを知り合いから聞いたというのです」

「それは誰だ?」

「どうも藤堂三郎のようです」

「藤堂だと!」


 大城取締官は思わず声を上げた。藤堂はある麻薬組織の一員だった。長らく行方不明になっていたからだ。組織に消されたとも海外に逃亡したとも言われていた。そいつが舞い戻っているとは・・・。


「酒の席でいい気になってしゃべっていたようです」

「他に何か言っていたか?」

「秘密組織のボスが牛耳っていると聞いたようです」

「やはりアルカンシェルか?」

「恐らくそうでしょう」


 アルカンシェル・・・それは巷でうわさされている幻の麻薬組織だった。その実態は誰にもわからない。


「藤堂の居場所は?」

「どこにいるかまではわからないようです」

「ならば緊急手配だ。奴はまだこの辺りにいるかもしれない」


 警察と協力して藤堂を追うことになる。奴を捕まえればこの不思議なレインボーの秘密がわかるかもしれない・・・大城取締官は今後の捜査の進展に大いに期待を持っていた。


 ◇

 ―異世界―


 沙羅は鼻歌を歌いながら朝食を用意していた。今日は心がウキウキしている。それはダイが久しぶりに休みをもらい、2人で出かけるからだ。いっしょにいられることにうれしくなっていた。


「どこに行こうかな?」


 沙羅は首を傾げた。今日の予定について何も聞いていなかったのだ。


「まあ、いいわ。ダイも言っていたけど、市場にでも一緒に行こう」


 そう思っているといきなり呼び鈴が鳴った。


「誰だろう? ニシミさんかしら」


 沙羅が玄関のドアをかけると、そこには若い女性が立っていた。沙羅をじっと見据えたまま、何も言おうとしない。何か、怒っているようにも見える。


「ええと・・・どなたですか?」

「とぼけないで! ダイタク・ミオよ。ダイさんは?」


 その名前を聞いて沙羅ははっと思い当たった。確か、ダイタク署長の娘だった。しかし朝からダイにどんな用事があるのだろう・・・沙羅は首をひねった。


「ダイさんはいるんでしょう? ダイさん!」


 ミオは玄関先から呼びかけていた。その声にダイが出てきた。


「どうしたんだ? あっ!」


 ダイはミオの顔を見てはっとしていた。


「忘れてしまったの? 今日、一緒に行ってくれると約束したでしょう?」

「ああ、すまない・・・それが・・・」


 ダイは沙羅の顔を見た。助け舟を出してくれないかどうかと・・・。


(ダブルブッキングしたのだから知らないわ)


 沙羅は知らんぷりした。ダイの様子にミオは完全にへそを曲げてしまった。


「もういいわ!」


 ミオは怒って帰ろうとした。沙羅はそこで助け舟を出すことにした。


「ちょっと待って。朝食を食べてからでいいでしょう。ミオさん。上がって行って」


 そう言って沙羅はミオを引き留めた。ダイに(これは貸しよ)と目で合図を送りながら・・・。


「さあ、座って。朝食はどう?」

「私はいいわ。済ませてきたから」


 ミオはイスに座った。沙羅はテーブルにパンとサラダを出して、ダイとともに食べ始めた。その間もミオは沙羅をじっと睨みつけていた。


(ミオさん。私を敵意の籠った目で見ているけど・・・。もしかしてユリさんとの間に何かあったの?)


 沙羅にはそう思えたが、ミオの敵にはなりたくなかった。彼女が見る限り、ミオが悪い人には見えなかったからだ。


「ミオさん。今日はどこに行く約束だったの?」

「市場よ。ダイさんが私のお祝いを買ってくれると言ってくれたの」

「お祝い?」

「そう。大学を卒業するの」

「それはおめでとうございます」


 沙羅は笑顔でそう言ったが、ミオは沙羅に笑顔を見せない。


「次の休みが取れたら市場に連れて行ってくれると約束していたの。でも1か月も休みが取れなかったの」

「すまなかった。いろいろあって・・・」


 ダイが頭を下げた。


「いいの。でも今日は埋め合わせをしてよ」


 ミオはダイだけには笑顔を向けた。


(ミオさんはダイさんのことが好きなんだわ。女の争いに巻き込まれそう。私はユリさんではないんだけど・・・)


「じゃあ、2人でゆっくり行って来てね」


 沙羅がそう言ったが、ミオの返事は思いがけないものだった。


「あなたもついて来て! ダイさん。いいわね?」

「あ、ああ・・・」


 ダイはミオの勢いに押されてうなずくしかなかった。



 沙羅は気まずく感じながらもダイとミオとともに車で市場に向かった。天気が良くて風もさわやかだった。市場の近くに車を停め、ダイとミオは楽しそうに話しながら歩いている。沙羅はその後ろをついて行くだけだった。2人の会話が聞こえてくる。


「大学を出た後はどこに?」

「父と同じく保安警察を志願しています」

「そうですか。署長もお喜びでしょう」

「ええ、でも本当は危ない仕事だから気がかりみたい」

「ところでお祝いは何がいい?」

「決めてあるの。まだ秘密よ。へへへ」


 2人はまるで恋人のようにも見えた。いや、見せつけられているのかもしれない。沙羅は(お邪魔みたい)と感じざるを得なかった。


 しばらく歩いて市場に着いた。そこは騒々しいほどの賑わいを見せていた。先日、ググトに襲われたのだが、その跡形は全くなかった。


(ググトに襲われたけど、もう立ち直っている。あんなことはいつものことかもしれないのね)


 沙羅はそう思いながら、2人の後をついて回った。ミオはいろんな店を回って買い物をした。服や靴、帽子に化粧品・・・それは署長のツケにしていた。


「これをお願いね」


 その荷物は沙羅に渡して持たせた。


(この私は荷物持ち?)


 向こうの世界では荷物を持たせることはあっても、持たされたことはない・・・沙羅はぷうっとふくれた。ダイは(すまない)という風に沙羅に合図を送ってくる。それで仕方なく、召使のようにいくつもの荷物を持った。

 しばらくしてミオは楽器店に入った。


「ダイさんに買ってほしいものはあれです!」


 ミオが指さした。それは棚に飾ってあるモーツェイカだった。それはユリが吹いていた笛と同じだった。


「モーツェイカ? どうしてあれを?」

「私、密かに練習していたのよ。ダイさんに聞いてもらおうと思って。だからお祝いに買ってもらおうと決めていたの」

「そうだったのか・・・」

「ダイさんも上手でしょ。久しぶりにダイさんの笛も聞きたいわ」


 ダイの表情が一瞬、暗くなった。だがミオはそれに気づかずに話を続けた。


「これでもうまくなったのよ。買ってもらったモーツェイカをすぐに吹いてみたい。ねえ、三下高原に行きましょう。あそこで吹いてみたいの」

「そこは立ち入り禁止になっている」

「その外ならいいでしょう。あそこならモーツェイカがよく響くと思って・・・」


 ダイは断れなかった。ただその表情は暗くなる一方だった。沙羅は思った。


(そういえばダイさんがモーツェイカを吹いているのを見たことがない。以前はよく吹いていたというのに・・・。何かあるのかしら・・・)

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