第17話 消える虹

 次の日の夜になった。三下高原はググトの巣になっているとのことで立ち入り禁止地区になっていた。ダイと沙羅は誰にも見つからないように団地を出た。ダイは暗い道をどんどん歩いて行く。沙羅は遅れないようにひたすら三下高原まで歩いた。ダイから黙ってついてくるようにと言われていたが、沙羅はその沈黙に耐えられなくなった。


「ねえ、どこまで歩くの? 三下高原のどの辺なの?」


 沙羅が口を開いた。かなり歩いてきたため足が痛くなってきていた。


「もうすぐだ」


 ダイはそれだけ言って歩き続けた。沙羅はため息をついてその後を追って行った。三下高原は草が生い茂り、道はない。そこを踏み分けながら進んで行く。ダイは相変わらず黙ったままだった。


「ねえ!どこまで歩くのよ! もう足が痛いのよ!」


 沙羅がまた声をかけた。するとダイが急に足を止めた。


「静かに!」


 潜めた声を出して右手で制した。沙羅はそこで止まった。その先にかすかな光が見える。そこに男が4人いた。


「あそこだ。私服だが、多分、トクシツの監察警官だろう。慎重に動くぞ!」


 ダイは身をかがめながらその光の方に近づいて行った。沙羅もそれを真似てその後をついて行く。長い草が2人を隠しており、向こうから2人の姿は見えていなかった。

 やがてその光にかなり近づいた。目を凝らしてみるとあの「虹」があった。ゆらぎながら怪しい光を放っている。そしてその中にぽっかり穴が開いた。それが次元の穴、ワームホールだった。そこに男の一人が飛び込んだ。するとその中に吸い込まれて消えていった。


 沙羅とダイはその光景を固唾を飲んで見ていた。


「あの先が向こうの世界につながっているわ!」


 沙羅の言葉にダイがうなずいた。だが動こうとしない。がまんができなくなった沙羅が促した。


「ねえ、早く行こう!」

「監察警官がいる。下手に動けば逮捕される。奴らがいなくなったらあの「虹」に近づけるかもしれない」


「虹」は次第に消えつつあった。沙羅はそれを見てかなり焦っていた。


「早くしないと『虹』が消えてしまうわ!」

「まだだ!」


 ダイはまだ動かない。「虹」の前にまだ男たちがいるからだ。沙羅はじりじりした思いでひたすら待った。やがて男たちが引き上げて行くのが見えた。


「今だ!」


 ダイと沙羅はその「虹」に駆け寄った。だが遅すぎた。「虹」はもう消えかけていた。


「『虹』が消える! お願い! 閉じないで! 開いていて!」


 沙羅が大声を上げた。だが人が通るのは不可能な大きさになっていた。もうそこに飛び込むことはできない。沙羅はせめて向こうに声だけでも届けたいという思いで「虹」に向かって叫んだ。


「帰りたい! お母さん! お父さん! 沙羅はきっと帰るから・・・」


 その途中で「虹」は消えた。


「ああ・・・」


 沙羅は声を漏らしてそこに座り込んだ。ぐっと両手で土をつかんで涙を流している。


「私はもう帰れないの・・・」


 沙羅はダイに問いかけていた。その悲し気な様子にダイはこう言うしかなかった。


「帰れる。きっと帰れる! 次がある。大丈夫だ」


 その言葉は少しは慰めになった。沙羅は「うん」と大きくうなずいた。


 だが2人に危機が迫っていた。去ったはずの男たちの声が聞こえてきたのだ。


「誰かいるぞ!」


 沙羅の声に気付いた男たちが戻って来ようとしていた。このままでは2人とも捕まってしまう・・・。


「ここから離れよう!」

「ええ・・・」


 だが沙羅は気落ちしてなかなか立ち上がれない。


「これからも機会はいくらでもある。ここで奴らに捕まったらおしまいだ! 行くぞ!」


 ダイは沙羅の腕を取って無理やり立ち上がらせた。


「痛いわ!」

「さあ! 急ぐんだ!」


 ダイは沙羅を引っ張るようにしてその場を離れた。だがもう近くで男たちの声が聞こえていた。逃げる姿を見られたのだ。


「逃げたぞ! 追え!」

「ここから逃がすな!」


 男たちの足音が響いてくる。草むらの中を沙羅とともに逃げているのでなかなか進めない。このままでは彼らに追いつかれてしまう。


「こうなったら・・・」


 ダイは決意して沙羅の腕を放した。彼は厳しい表情をしていた。


「このまま家まで走るんだ!」

「でも・・・」

「ここは食い止める! 君は何も考えずに走るんだ! いいな!」


 ダイはきっぱりと言った。沙羅は後ろ髪引かれる思いだったが、ダイの様子に何も言えず、そのまま団地に向かって走った。後ろで大きな爆発が何度も起こったが、彼女は振り返らなかった。


「どうか無事に帰ってきて・・・」


 沙羅は心の中でそう祈っていた。



 沙羅は何とか団地に戻って来た。夜中なので誰にも見られていない。


「ダイは・・・」


 彼女はじっと窓から外を見ていた。ダイが帰ってこないかと・・・・。今夜は星が雲に隠れている。外は漆黒の闇が広がっているだけでよく見えない。するとしばらくして玄関のドアがノックされた。沙羅は慌てて玄関のドアを開けた。するとそこにダイが立っていた。


「ダイ! 大丈夫だったの!」


 ダイは何も言わずに、周囲を見渡してすぐにドアを閉めた。土まみれになっているが、ケガは負っていないようだった。彼は緊張した表情のまま家の中に入り、窓の外を見ている。誰も追ってこないのを確認して・・・。

 沙羅は再び尋ねた。


「大丈夫なの?」

「ああ」

「あれからどうしたの?」

「なんとか追っ手をまいてきた。つけられてはないと思うが・・・」


 ダイはふっと息を吐いて上着を脱いだ。その顔には疲れた様子が見て取れた。


「ごめんなさい。私のために・・・」

「気にすることはない。僕がそうしたかったからだ」

「でも・・・」

「君の方こそがっかりしただろう」


 ダイにそう言われて元の世界に戻れなかったことを思い出した。悔しさと悲しみがまた心を踏み荒らしている。ダイは沙羅の肩に手を乗せて言った。


「また機会はある。きっと僕が君を元の世界に戻す。約束する」


 ダイははっきりそう言った。沙羅は彼がそこまでして自分にしてくれる理由がわからなかった。あんな危険を冒してまで・・・。だがその言葉を聞いてうれしくなっていた。


「そうね。また機会はあるわ。気にしてない。もう少しここの生活を楽しむわ」


 沙羅の顔に明るさが戻った。ダイの表情も緩んだ。


「じゃあ、残念会でもするか。酒もあるし」

「ええ。とことん飲むわ!」

「それはいいが、あまり絡まないでくれよ。ははは」

「ひどいわ! ははは」


 暗い雰囲気は打ち破られて、明るい笑い声が部屋に響いていた。


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