第12話 市場での買い物
ー現実世界ー
祥子は家に帰ってきても落ち着かなかった。沙羅が別の世界に飛ばされたという山根教授の話は荒唐無稽ではあったが、妙に心に残っていた。宗吾はただの研究資金集めの詐欺だと決めつけたが、祥子にはたとえそうであってもそれに賭けてみたい気持ちになっていた。
祥子はもらった名刺を手に山根教授の研究室に電話をかけてみた。
「もしもし。斎藤祥子です。山根さんでしょうか?」
「ああ、これは奥様。先日はどうも」
「主人はああ言いましたが、あの時の話をもう一度、お聞きしたくて・・・」
「そうですか。ではもっと詳しくお話ししたいと思います。できれば研究室に来ていただければ資料がそろっていますが・・・」
「すぐにお伺いします。よろしいでしょうか?」
「ではお待ちしています」
祥子はスマホを置いた。彼女は宗吾には相談せず、自分だけで行くことにした。
(もしかしたら、いえ、絶対に手がかりが見つかるはず。沙羅はどこかで生きている。私たちのもとに帰ろうとしている・・・)
祥子にはそんな確信があった。
◇
ー異世界ー
沙羅はウキウキしながら外に出た。その手にバッグを下げている。ニシミが市場への買い物に誘ってくれたからだ。
「さあ、何を買おうかな」
ダイからは買い物のお金を預かっていた。昨日は夕食を作ってダイを驚かせたから、いい食材を買って今夜もおいしい料理を作りたいと沙羅は思っていた。
「さあ、行きましょう。少し遠いけど」
ニシミと連れ立って歩いて行った。沙羅たちの住む公用団地から市場のある町まで舗装されていないデコボコ道が続いている。かなり歩きにくいのだが、久しぶりに外出する沙羅はうれしくなった。
「あれは何?」
「ボークの木ですよ。もうすぐしたらたくさんの鳥が巣を作りにくるのよ」
「こんなに花が咲いている!」
「もうこんな季節になったのね」
沙羅は見えるものすべてが新鮮だった。前は周囲を見る余裕がなかったこともあるが・・・。沙羅のあまりのはしゃぎようにニシミはあきれたように言った。
「そんなに珍しい? 前にいた時もよく買い物に行ったでしょう。まるで初めてここに来たみたい」
「えっ! ええ・・・覚えていないから・・・」
「あ、そうだった。ごめんなさいね」
沙羅は記憶喪失になったユリということになっている。うまく言い逃れたが、ボロを出さないようにと少し心を引き締めた。
1時間ほど歩いてやっと市場にたどり着いた。いろんな露店が立ち並んでいる。だが沙羅のいた世界と少し品物が違う。沙羅が戸惑っているとニシミがこう言ってくれた。
「一緒に見て回りましょう。いろいろ教えてあげるから」
「助かります。よくわからないから・・・」
その市場には公用団地の主婦たちも買い物に来ていた。会うたびに沙羅に声をかけてくれる。
「ユリさん。こんにちは!」
「何を買いに来たの?」
「この姿はもう奥さんね」
沙羅は話を合わせた。そうなると話は長くなり、なかなか買い物が進まない。でも会う人がすべてやさしく沙羅に接してくれていた。
(自分に似たユリさんというのはいい人だったみたいね)
思い返してみたが、前の世界でこれほどまでに自分に優しく接してくれた人は多くなかった気がしていた。特に厳しいビジネスの世界では・・・。
「もしもし、そこのお嬢さん!」
ふいに沙羅は呼び止められた。そこは日常品を売っている店だった。
「いい化粧品があるよ。高いけど、どう?」
「え、でも・・・」
「少し割り引いてあげるから・・・」
店主はいくつかの化粧品を取り出した。沙羅は手に取ってみて驚いた。
(これって前にいた世界のものじゃない!)
沙羅が取引していたデパートで販売していたものだからパッケージははっきり覚えていた。この世界ではどの品物も前の世界と同じではなく少し異なっていた。だがこの化粧品だけは全く同じものだった。
「これをどこで?」
すると店主は声を潜めた。
「いわゆる裏ルートという奴ですよ。聞くだけ野暮ですよ。でも品物は確かだ」
するとそのやり取りを遠くで見ていたニシミが寄って来た。
「ねえ、あんた! ここでそんなものを見たことないよ」
「そりゃそうさ。あんたが使うよりこの別嬪さんに使ってもらわないとこの化粧品の真価が出ないからな。はっはっは!」
「そりゃ、そうだ! はっはっは」
ニシミと店主は知り合いのようだった。そう言えばここに来てろくに肌の手入れをしていない。値段を聞けばかなり高かった。預かったお金でこれは買えない・・・そう思って沙羅があきらめていると、店主が言った。
「高かったのかい? それじゃ、手にはめている指輪を買うよ。そのお金でどうだい?」
「この指輪?」
沙羅は指から外して店主に渡した。その指輪は向こうの世界ではあまり高いものではなかったので手放すのは惜しくなかった。だが店主はその指輪を手に取って一瞬、目の色が変わった。
「まあ、負けとくよ。どれでも1個もっていきな!」
店主は何事もなかったかのようにそう言った。だがニシミは見逃さなかった。
「ちょっと、あんた! この指輪、高いんだろう! この化粧品すべてでもおつりがかなり出るはずさ。さっさと代金を渡しなさいよ!」
「仕方がないな。見抜かれていたか。じゃあ、それすべてとこれだけだ」
店主は6枚の札を差し出した。それはダイから預かったお金の3倍だ。だがニシミは納得しない。
「まだまだだよ!」
「じゃあ、これでどうだ! これ以上は出せない!」
店主はもう6枚差し出した。
「これで勘弁してやるよ。いいわね。ユリさん」
「え、ええ・・・」
沙羅は2人のやり取りを唖然として見ていた。
「ユリさん! ここではこうしないとぼられるからね!」
ニシミは笑っていた。沙羅はその迫力に圧倒されて「ありがとうございます・・・」と小さな声しか出なかった。
(とにかくお金を多く手に入れたのでいろんなものが買える。せっかくここまで来たんだから何かいいものを・・・)
沙羅はあちこちの店を見て回った。
やがて夕方近くになって来た。まだ買い物に夢中になっている沙羅にニシミが声をかけた。
「そろそろ帰りましょう。遅くなると危ないから・・・」
「そうですね」
気が付けば、持ってきたバッグは食材やらでいっぱいになっていた。これから1時間かけて団地まで戻らねばならない。
(重いけど、何とか持って帰れそう)
沙羅は重くなったバッグを持ち換えようと抱え上げた。その時だった。
「ググトの群れだ! ググトが出たぞ!」
大きな声が市場に響き渡った。そしてすぐに、
「きゃあ!」
「うわあ!」
悲鳴が上がった。市場にいた人たちはパニックになりながらすぐに逃げ出していた。
(ググトってあの化け物が出たの? どうしよう・・・)
沙羅はあの時のことを思い出して恐怖で固まってしまった。
「ユリさん! 逃げるのよ! ググトよ!」
ニシミは沙羅の手を引いて逃げようとしてくれたが、逃げ惑う人たちの流れに巻き込まれて離れてしまった。気が付けば沙羅はバッグを抱えたままぽつんと一人、取り残されていた。
「みんな・・・どこに行ったの?」
沙羅はとにかく逃げようと早足で歩き続けた。だがどこに行けばいいか、皆目見当がつかない。しばらく歩き回り、角を曲がったところで沙羅は見てしまった。
「グ、ググト!」
沙羅はググトと出くわしてしまったのだ。
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