第6話 謎の女

 写真に写る女性は確かに沙羅だった。


「これはどういうこと・・・」


 沙羅は考え込んだ。この世界に来たこともないし、そんな写真を撮った記憶はない。第一、ダイは今日会ったばかりの相手なのだ。


(もしかしたら私が間違われたユリという人? だとすると彼女はどこに?)


 そんなことを考えているとダイの声が聞こえた。


「食事ができた。来てくれ」


 沙羅はあわててその部屋を飛び出して、何事もなかったかのようにキッチンに向かった。


「そこに座ってくれ」


 キッチンには流しはついていたが、置いてあるものと言えば大きなテーブルが一つと食器や鍋や食材などが並ぶ棚だけ・・・。ガスコンロは見当たらず、隅に古いかまどがあるだけだった。沙羅は椅子に座った。テーブルの上にはポットとカップ、パンとハムが皿に並べられていただけだった。


「これだけだが、がまんしてくれ」

「ありがとう。いただくわ」


 期待はしていなかったが、これでお腹は満たされる・・・。ダイがポットからそれぞれのカップに温かい液体を注いだ。沙羅は置かれていたカップの中を見た。


「お茶だ。体が温まる」


 ダイがそう説明した。沙羅は一口飲んでみた。さわやかな香りのするハーブティーみたいなものだった。そして丸いパンをちぎって口に入れてみた。うまくはないが食べられる味だった。ハムも少し獣臭いが食べられないことはない。空腹のせいか、こんな食事でもすべて平らげた。前は高級な料理でさえ口に合わないこともあったのに・・・。


「おいしかったわ」

「それならよかった」


 あまりに食べるのに夢中になってしまって、沙羅はダイにいろんなことを聞くことを忘れていた。彼は食器を片付けようとさっと立ち上がってしまった。


「手伝うわ」


 沙羅も立ち上がって皿を流しに持っていった。かなり古い水道がついている。洗剤も見慣れないもの、かろうじてスポンジは同じようだった。沙羅は蛇口をひねった。


「ああ、冷たい!」


 お湯など出るはずはない。沙羅はすぐに手を引っ込めた。


「僕がするよ」


 ダイが代わって皿を洗い始めた。彼が手を出すとお湯が出てきた。沙羅はそれを不思議そうに見ながら言った。


「ダイ・・・そう呼んでいい?」

「ああ、別にどう呼んでもいい」

「じゃあ、ダイ。私のことは沙羅と呼んでね」

「ああ、そうする。でもなぜ?」

「最初に決めておかないと呼びにくいでしょ。ここでしばらくいっしょに生活するのだから」


 沙羅はダイの顔をのぞき込んで笑顔を向けた。だがダイは笑うこともなく無表情だった。


(この人は私に関心がないのかな? 助けてくれたのに・・・。とにかくいろいろ聞いて見なくちゃ。あの写真のことも・・・)


 沙羅はまたダイに後ろから話しかけた。


「ちょっと聞いてもいい?」

「ああ」

「隣の部屋に入ったの」


 すると急にダイの表情が変わった。手を止めて振り返ると、


「あの部屋に入ったのか! どうしてそんなことをしたんだ!」


 といきなり大きな声を上げた。


「ごめんなさい。ちょっと気になったものだから・・・。本当にごめんなさい」


 沙羅はダイのその態度に驚いてあわてて謝った。一方、ダイはちょっと大人気なかったと思ったのか、すぐに語気をやわらげた。


「いや、いいんだ。すまなかった。大きな声を出して・・・」


 ダイはまた食器を洗い始めた。


「それより棚の上あった写真立て。あそこに写っているのは誰なの?」


 するとダイはまた手を止めて振り返り、怖い顔をして沙羅を見た。


「見たのか?」

「悪いと思っていたけど・・・ちょっとだけ・・・」

「昔の写真だ。気にしないでくれ」


 ダイはそれだけ言ってまた食器を洗い出した。沙羅には無理に平静を装っているようにも見えた。


(あの写真の人に何かあるの?)


 そう思うと沙羅は余計に気になってまた訊いてしまった。


「写っているのはあなたと女の人。あの女の人は誰? 恋人?」

「何でもない! ここにいる以上、余計な詮索はするな!」


 ダイは強い口調で言った。そうなれば沙羅は口を閉ざすしかなかった。しばらくその場に気まずい空気が流れた。沙羅がふとテーブルを見るとフォークが残されていた。


「フォークを忘れていたわ。これも洗って」


 沙羅は気まずい沈黙を破るとそのフォークを手に取った。その時、玄関の方からドアをノックする声が聞こえた。


「班長さん! 隣のニシミです」


 隣に住んでいる奥さんが来たようだ。ダイはあわてて沙羅に言った。


「沙羅。部屋に行って隠れていて!」


 沙羅はすぐにあてがわれた部屋にフォークを持ったまま引っ込んだ。ダイはそれを確認してから玄関のドアを開けた。そこには袋を下げた中年の女性がいた。


「まあ、夜分にすいません。食事はお済みだったかしら?」

「ええ、今、済ませたところですが」

「そうでしたか。ちょっと遅かった。近所で野菜をもらったからおすそ分けです」

「これはすいません。助かります」


 ダイはそう言ってそれらが入った袋を受け取った。ニシミは少し家の中をのぞき込むようにしていた。


「どうかしましたか?」

「誰か、いらっしゃるの?」

「い、いえ、僕だけですが・・・」


 ダイはニシミの視線をブロックしながらそう答えた。



 沙羅はその様子を部屋のドアに耳をつけて聞いていた。


(大丈夫なようね)


 だがその手に持っていたフォークを落としてしまった。「カタン!」と金属音が響き渡った。


(いけない!)


 慌ててフォークを拾ったが、その音はニシミに聞かれてしまった。



 中をのぞき込んでいたニシミがダイに尋ねた。


「あら! やっぱり。どなたかいるのね」

「いえ、だれも・・・。多分、テーブルの端に置いていたものがはずみで倒れて落ちたのでしょう」

「そうなの?」


 ニシミはさらに中をのぞこうとする。ダイは体でガードしながら、


「ありがとうございました。では・・・」


 とドアを閉めた。ニシミは首をひねりながら階段を下りて外に出た。


「どうだった?」


 そこには団地の主婦たちが集まっていた。ニシミは答えた。


「わからないわ。誰かいた気配はあったのだけど・・・」

「やはり、そうよ。班長さん。いい人できたんだわ」

「ちらっとだけど女の人がこの家に入って行ったのを見たのよ。確かだったでしょ」

「誰でしょう? 気になるわ」

「班長さんに変な虫がつかないように気をつけなくちゃ」

「そうね」


 そう話しながらそれぞれが帰って行った。それを窓からそっと見届けてからダイが沙羅に声をかけた。


「もう大丈夫だ」

「びっくりしたわ」


 沙羅が部屋から出てきた。


「君も疲れただろう。もう休め」

「そうするわ。その前にシャワーを借りるわね」

「ああ。いいよ。浴室は向こうだ」


 沙羅は浴室に行った。するとしばらくして、


「きゃあ!」


 沙羅の悲鳴が聞こえた。ダイはあわてて浴室に行ってそのドアを開けた。


「大丈夫か!」

「きゃあ!」


 沙羅はさらに大きな悲鳴を上げた。裸でいるところにダイが飛び込んできたからだ。


「すまない!」


 ダイは慌てて浴室を出て後ろを向いた。


「どうしたんだ?」

「シャワーを浴びようと蛇口を捻ったら冷たい水が出てきたからびっくりしたのよ!」

「魔法を使わないと温水は出ない」


 ダイは後ろを向いたまま右手を伸ばした。するとお湯が出てきた。


「これで大丈夫だ」

「ありがとう」

「じゃあ、僕は行くから・・・」

「ちょっと待って! ねえ、着替えるものはないの?」

「それは・・・」

「ねえ、あの部屋にある物を借りてもいいでしょう?」


 ダイは困っているのか、返事をしない。沙羅が重ねて頼んでみた。


「ねえ、お願い。着たきり雀じゃたまらないから」

「それじゃ・・・」

「いいのね。ありがとう。じゃあ、借りるね」


 沙羅はそれでやっとシャワーを浴びることができた。ダイはそのままリビングに行き、ため息をついてソファに座り込んだ。

 沙羅はシャワーを済ませるとタオルを体に巻いたまま、またあの部屋に入った。そしてタンスから着られそうな下着やパジャマを探した。幸いなことにサイズはぴったりだった。


「シャワーを浴びてさっぱりしたわ。ありがとう」


 着替え終えた沙羅はダイのいるリビングに入った。彼は沙羅の方を向こうともせずに書類をチェックしていた。


「でもびっくりした。急に飛び込んでくるんだから」

「すまない。何かあったかと思って・・・あっ!」


 ダイは顔を上げて沙羅の姿を見ると驚いていた。


「どうしての? 何かびっくりした? 部屋にあったパジャマを借りたわ。いいでしょう?」

「それはいいが・・・」


 ダイはまた書類に目を落とした。沙羅はまた気になって聞いてみた。


「ねえ、このパジャマの持ち主ってあの写真の女の人でしょう?」

「余計なことを聞くな!」


 ダイはまた厳しい口調で言った。そのことに触れてもらいたくないというように・・・。沙羅はそれ以上、その女のことを聞くことができなかった。


 しばらくして「ピッピッピ・・・」と電子音が部屋に響いた。すると大輔がポケットから小さな箱のようなものを取り出した。


「こちらアスカ・ダイ」


 ダイがその箱に向かって話した。通信機のようだ。


(この世界のスマホみたいなもの?)


 沙羅は興味深く見ていた。するとその通信機から声が聞こえてきた。


「ググトが出現! 場所は・・・・」

「わかった! すぐ行く!」


 ダイは通信機をしまうと沙羅に言った。


「呼び出しがかかった。君はここでおとなしくしてくれ。明かりも消す」

「そんなことをしたら暗いじゃないの」


 沙羅が文句を言うと、ダイはテーブルに置いてあったろうそくに魔法で火を灯した。


「すまないがこれで我慢してくれ。明日には帰る」


 ダイは家の明かりを消して出て行った。家の中はろうそくの火だけで薄暗くなった。魔法の火がつけられているので揺らぐことも消えそうになることもないが・・・。


「仕方ないわね・・・」


 沙羅はそのろうそくをもって部屋に行った。この異世界に来て初めて過ごす夜・・・不安とともに様々な心配事が頭をいっぱいにした。


(SARAブランドはどうなるの。私がいなかったら・・・。私は元の世界に帰ることができるの・・・)


 だが疲労もあってすぐに眠りについてしまった。

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