第4話 帰れない
保安警察官と名乗る男によって倒された化け物は泡になって消えていった。
「化け物が・・・化け物が・・・」
沙羅はびっくりしすぎてうまくしゃべれない。
「ググトを倒した。死ねば泡になって跡形もなくなる」
男は少し息を乱していたが冷静だった。沙羅は何度も深呼吸した。それで少し落ち着いてきた。
「一体、どうやって倒したの? あなたは魔法使いなの?」
「魔法? この技のことか? お前、まさか・・・」
男は沙羅の上から下からじっと見た。
「この世界の人間じゃないな」
沙羅もうすうすそう感じていた。ググトという化け物や男が使った技などを見ると、この世界は沙羅がいた世界ではない・・・。でも確かめてみた。
「ここはどこなの? 日本じゃないの?」
「いや日本だ。第27管区だ」
「第27管区? 何県なの?」
「県? そんな区分はない。第27管区だ。ここは我々27管区保安警察が管理している」
「じゃあ。本当に・・・」
沙羅は事実をはっきり突きつけられて愕然とした。男が尋ねた。
「斉藤沙羅だったな? どうやってここに?」
「虹色に輝くものがあったの。崖の下に。それをよく見ようとして近づいたらがけが崩れて・・・。気が付くとこの高原にいたの」
「そうか・・・。やはり君は別の世界から来たのだろう」
「やっぱりそうなの・・・」
「うわさでは別の世界から来た人間がいるという。この世界の治安を壊すとしてトクシツが極秘に調べているらしいが・・・」
「トクシツ?」
「ああ。監察部の特別取締室だ。不穏分子を取り締まる部署だ」
それを聞いて沙羅は不安になった。
「取り締りって? その別の世界から来た人たちはどうなったの?」
「それはすべて極秘扱いになっているから詳しくはわからない。ずっと監禁されているとも言われている」
「そんな・・・」
「監察部、特にトクシツでは厳しい取り調べをする。ひどい拷問までも行ってこの世界に来た目的について口を割らせそうとするだろう。もし捕まった人間が、我々の世界を脅かそうという企みを持っていたとしたら・・・」
「どうなるの?」
「多分、知られないように内々で処理しているだろう」
「処理?」
「抹殺されてどこかに埋められる」
「ええっ!」
沙羅は身震いした。トクシツに送られたらもう2度と外に出られない、いやひどい拷問をされて殺されてしまうかもしれない・・・。
「お願い! 助けて! 私は元の世界に戻りたいだけなのよ!」
沙羅は必死に訴えた。
「しかし、どうやって・・・」
「あの虹のような光の場所が残っているかもしれない。そこに行けばきっと戻れるわ!」
「いや、それはできない。職務違反になる。かわいそうだが・・・」
男は気の毒そうな顔をしていた。沙羅に同情しているようだ。そこで涙ながらに頼んでみた。
「お願い! 私を助けて下さい! 元の世界では家族が待っているんです! 父も母も! みんな私の帰りを待っているんです!」
沙羅は、目の前の男は一見クールに見えるが、困っている相手を助けてくれるような気がしていた。ビジネスで多くの人を見てきた沙羅にはそう思った。すると案の定、男の表情に迷いが見えた。
「私が消えれば何もなかったことになる。もし私をそのトクシツなんかに連れて行けば、あなたも秘密を知ったとか言って監禁されるわ! そうなると困るでしょ」
今度は少し脅してみた。
「そうかもしれないが・・・」
「そうよ。そうに決まっているわ! 別の世界から来た人間に接した者も監禁されるわよ!」
沙羅の言葉に男はしばらく考えていた。そしてやっと答えを出した。
「仕方ない。君の言葉に従おう。場所はどこだ?」
「ええと・・・向こう。ずっと走ってきたから、あっちかな・・・」
沙羅は傾きかけている太陽と別の方向にさっさと歩き出した。
「おい! 勝手に行くな。ググトがいるかもしれないんだぞ!」
それを聞いて沙羅は歩みを止めた。さっきの化け物を思い出してビクッとなって振り返った。
「一緒に行く。気をつければ大丈夫だ」
男が追い付いた。2人は並んで進むことにした。沙羅にはまたあの化け物が出てきそうな感じがしてしきりに辺りを見渡していた。
「明るい間はまだましだ。ただ夜になれば危険が増す。ググトは夜に行動することが多い」
「ググトってさっきの化け物でしょ。どうして一斉に退治しないのよ」
「ググトは人間を捕食して生きてきた種族だ。太古の昔から。絶滅させられないように奴らも警戒している」
男は言った。そういえばおばさんが急に化け物に変わったことを沙羅は思い出した。
「ググトは普段は人間の姿なの?」
「ああ、そうだ。だから見分けるのは難しい。姿が急に変わって人間を襲う。鋭い歯で皮膚を食いちぎり、生き血をすするんだ」
ぞっとする話だった。今は隣に保安警官がいるからまだ安心だが、一人でこの辺りをうろうろしていたら餌食になるだろう。考えただけで沙羅の背中に冷や汗が流れた。
やがて沙羅が倒れていた場所に来た。草むらに倒れた後がついていたからそれはすぐにわかった。彼女は周囲を見渡してみた。
「ない! ないわ!」
あの虹のような光が見当たらない。沙羅は辺りを走リ回ってさがしたが。その虹の光は見つけることはできなかった。
「もう戻れない・・・」
希望が失われて沙羅はがっかりしてその場に座り込んだ。もう家族のもとに帰ることができない・・・彼女の目から涙がこぼれて地面に落ちた。男は同情のため息をつくと、そんな沙羅を慰めるように言った。
「もう望みがないわけじゃない。この世界に来た者は少なくない。また向こうの世界との間を行き来する穴ができるかもしれない。君の言っていた虹の光だ。また現れるはずだ。元気を出すんだ」
沙羅は涙を拭いて男を見上げた。彼は微笑んでうなずいていた。
「とにかくここを出よう。日が暮れてしまう」
「ええ、でも・・・」
「ここまでしたのだから僕が何とかする。とにかく僕の家に来るがいい」
「あなたの家?」
「ああ、僕の家はここからしばらく行ったところの保安警察官の公用団地にある。そこなら身を潜ませることができるだろう」
沙羅はどうしてその男がそこまで親切にしてくれるのかがわからなかった。今日、初めて会った相手なのに・・・。
「ありがとう。でもあなたに危険が及ぶかもしれない・・・」
「いや、いいんだ。とにかく僕に任せてくれ。しばらく歩けば車がある。この三下高原の外だ。ついてきてくれ」
男は草原を歩き始めた。沙羅はその後を追って行った。
(そうだわ! まだ帰れないと決まったわけじゃない! きっと帰れるわ!)
沙羅はそう思い直すと、少し気が晴れてきた。そして自分を助けようとしたこの男のことが気になり始めた。
「さっきはごめんなさい。あなたのネックレスを壊してしまって・・・」
「いいんだ。あれは不可抗力だ。ネックレスはボロボロだったから新しく買おうと思っていたんだから」
「ねえ! あなたの名前を教えて」
「僕はダイ。アスカ・ダイだ」
沙羅は走って彼の前に回り込んだ。
「じゃあ、ダイさん。これからよろしくお願いします」
沙羅は笑顔でペコリと頭を下げた。ダイはその様子がおかしかったのか、笑顔を返してきた。よく見ると温かくやさしい目をしていたが・・・
(この人・・・)
沙羅は彼の瞳の奥に悲しみをたたえているのを見た。
◇
ー現実世界ー
三下山に雄一も駆けつけてきた。沙羅が遭難したとの連絡をもらって仕事を放り投げて向かってきたのだ。彼が関係者は集まる管理事務所に入ると、そこに憔悴した宗吾と祥子が椅子に座っていた。
「斎藤さん!」
声をかけると2人が雄一の方を向いた。
「雄一君。沙羅が・・・」
「聞きました。状況はどうなんです?」
「こんな山で、落ちた崖もはっきりしているのに見つからない。沙羅がそこから自力で移動したかも・・・ということなのだが・・・」
「そうですか・・・」
雄一は窓の外を見た。山の日没は早い。三下山もやがて日が暮れてきた。やがて捜索隊の隊長が小屋に入ってきた。
「見つかったのですか?」
祥子がすぐに立ち上がって尋ねた。彼女は心配のあまり、疲労の色が濃く見えた。隊長は首を横に振った。捜索隊が沙羅を懸命に探していたが何の手がかりも得られていなかった。
「今日はこれで打ち切ります。夜は危ないですから。明日朝から捜索します」
それを聞いて祥子は気が遠くなり、倒れそうになった。その祥子を雄一が支えた。
「きっと見つかります」
雄一はそう励ますと、祥子を宗吾に預けて外に出た。
雄一は三下山を見上げていた。朝は美しい山の姿を見せていたが、今は夕方の空に厳しくそびえ立っているように見えた。
「まさか・・・虹に・・・」
雄一は嫌な予感がしていた。
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