第3話 逃げ回る沙羅

 沙羅の前にいるのは恐ろしい顔をした化け物だった。そのいくつもの触手が彼女をとらえようと迫ってきている。彼女を食い殺そうとして・・・。


「きゃあ!」


 沙羅は触手を逃れると、悲鳴を上げて必死に逃げた。


「待て!」


 化け物は触手を広げて彼女の後を追ってきた。


「助けて! 誰か助けて!」


 沙羅は恐怖で泣きそうになりながらも、無我夢中で助けを呼んだ。捕まると殺される・・・それははっきりとしていた。とにかく逃げないと・・・。

 広い草原を沙羅は走り回った。後ろからはあの化け物が追いかけてくる気配が常にしていた。草むらをかき分け、できるだけ遠くに・・・・。しばらくして息が切れてきた。もう走れそうにない・・・沙羅はしゃがみこんで耳を澄ませた。


(足音は聞こえてこない。何とか逃げ切ったようね)


 沙羅はほっとしてそこに倒れ込んだ。


「何なの! あの化け物は!」


 動悸がまだ止まらない。


(ああ、怖かった・・・。雰囲気は違ったけど、見た目はあの山菜取りの女性だった。それが人の姿から化け物に変わり、触手を伸ばしてきた。獲物として私を食らうために・・・こんな化け物が実際にいたのね)


 しばらくしてようやく荒かった息が元に戻った。


「とにかく家に帰らなくちゃ。スマホは・・・」


 やはり圏外のままだった。


「三下山の近くのはず。少し歩けばスマホが通じるはず・・・」


 沙羅は立ち上がった。見渡しても目印になるようなものは見えず、方向はよくわからない。


「とにかく太陽にある方向に行こう。多分、西だから・・・」


 沙羅はまた背の高い草に覆われている草原を歩き始めた。日はもう暮れかけてきている。かなり歩いたはずだが、風景は何も変わらず、スマホは圏外のままだった。


「どうしてよ! 早く通じてよ! 困っているのよ! 一体・・・」


 沙羅は苛立ち、早足で歩きながらスマホに向かって文句を言っていた。すると急にまた足音が聞こえてきた。


「また! あの化け物が追ってきた!」


 沙羅は慌てて走り始めた。すると何かにぶち当たった。


「あっ!」


 沙羅は声を上げて後ろに倒れた。


「今度は何なの?」


 前を見上げると、そこに若い男が立っていた。背の高い草でお互いによく見えなくていきなりぶつかったようだ。


(やっと人に会えた)


 ほっとしたのは一瞬だった。


(もしかしてまた化け物?)


 そんな考えがふっと浮かんできた。だが今度は触手を出して襲って来ない。沙羅は上目遣いに相手をよく見てみた。目鼻立ちがきりっとした長身のすらりとした20代後半の男性、なかなかのイケメンだが、今の沙羅にとってはどうでもいいことだった。そんなことよりその男の服装に違和感を覚えた。


(なに? この人・・・)


 男は制帽に制服姿・・・だが見たことがないものだった。警察官でも警備員でもないような・・・。男は険しい顔をして大声を上げた。


「ここで一体何をしている! ここは警戒地だ。立ち入り禁止地区だ!」 


 沙羅は顔を上げて立ち上がった。


「道に迷ったのです! ここはどこですか?」


 沙羅の顔を間近で見て男は急に驚き、目を大きく見開いた。


「ユリ!」


 沙羅に向かって確かにそう呼んだ。彼女には何のことだがわからない。


「ユリ! 僕だ! わからないのか!」


 どうも誰かと間違えているようだ。


「私は沙羅です! 斉藤沙羅です!」


 沙羅がはっきりそう名乗ると、男は人違いに気付いたようだった。そして元の険しい顔になった。


「ここに入れば罰せられる。事情を聞くから一緒に来るんだ!」


 高圧的な態度だった。それに沙羅は少しムカッとした。


「あなたは誰ですか! どのような権限があってそんなことを言うのですか!」

「この制服を見てもわからないのか! 保安警察だ!」

「保安警察?」


 沙羅は訝しげに男を見た。


(保安警察なんか聞いたことがないわ! この男がおかしいの? それとも私がおかしいの・・・)


「おい! おまえ! 聞いているのか!」

「お前じゃないわ! 言ったでしょう! 私は斉藤沙羅。怪しいものじゃないわ! ほら!」


 沙羅はポケットから名刺を出した。それを男はじっと見た。


「そこに連絡してくれたらすぐにわかるわ」

「いや、それはできない」

「できないって。どういうこと?」

「この辺りにこんな住所はない。でたらめだ!」


 男はじっと沙羅を見た。


(そんな馬鹿な・・・)


 沙羅は茫然とした。一体、自分はどこにいるのか・・・と。男は沙羅を怪しい者と認識したようだ。


「とにかく一緒に来るんだ! 拒否すれば逮捕する!」

「化け物が・・・化け物がいたのです。それに追われていて・・・」


 沙羅は必死に言い訳をしようとした。相手が信じてくれるかどうかわからないが・・・。だが男の反応は意外なものだった。


「化け物? ググトのことか? それは当然だろう」

「当然?」

「ここは警戒地だ。ググトに遭遇するのは当たり前だ」


 男はこともなげに言った。沙羅は聞きなれない言葉に思わず声が出た。


「ググトって・・・警戒地って何?」

「ググトが人を食うためにこの辺りに巣を作っている。だからここを警戒地にして一般人の立ち入り禁止にしている。そんなことも分からないのか?」


 沙羅は訳が分からなかった。そんなことがあるとは・・・。


「とにかく来てもらおう。場合によっては署に留置して厳しく取り調べる」

「留置?」


 よくわからなかったが、「留置」と聞いて沙羅は恐怖を覚えた。男は沙羅を逃がすまいと腕を伸ばしてきた。


(私、何かの秘密を知ってしまったのだわ! このまま外に出られなくなるかもしれない!)


 そう考えると沙羅は怖くなった。男は沙羅の腕をつかんで連れていこうとしていた。


「嫌よ! 絶対に嫌!」


 沙羅は抵抗した。その手が男の首にかかっていたネックレスに絡まった。沙羅が手を引っ張るとネックレスは切れ、つけてあるロケットと共に地面に落ちた。


「あっ!」


 男はネックレスに気を取られて沙羅の腕を放した。そしてあわててロケットと切れたネックレスを拾ってポケットにしまった。その間に沙羅は走り出していた。この男からも逃げようとして・・・。


「待て! この地区は危険だ!」


 男の声が後ろから聞こえてくるが、沙羅は止まる気などない。また草むらの中を走った。


「今日はなんて日よ! ずっと走って逃げなくちゃいけないなんて! スマホの電波は届かないし・・・」


 沙羅はべそをかきながらも逃げ続けた。高い草に姿が隠れるので追いかける相手を振り切ることができそうだ。さっきの化け物と同じように・・・。


(もう撒けたかしら・・・)


 沙羅がそう思って振り返ると、急に右の足首に何かが絡まって転んでしまった。


「痛い!」


 沙羅は声を上げて右の足首を見た。そこにはあれが絡まっていた。


「みーつけた!」


 あの化け物が草の中から顔を出した。沙羅の足首を化け物の触手が捕らえていた。


「今度こそ逃さないわ。おいしく食べてあげる」


 化け物は触手を使って沙羅をたぐり寄せようとした。


「い、いや! 来ないで!」


 沙羅は抵抗するが少しずつ化け物の方に引っ張られている。そして逆さまに吊るされてしまった。化け物は大きな口を開けた。そこには鋭い歯が並んでいる。


「いただきます!」


 化け物は沙羅を食い破ろうとしていた。


「助けて! 誰か助けて! きゃあ!」


 沙羅は悲鳴を上げた。だが暴れても触手は離れず、どうにもならない。化け物の口が間近まで迫ってきた。沙羅は恐怖に目を閉じた。すると、


「バーン!」


 と大きな音がした。沙羅の右足を捕まえている触手が吹き飛び、その拍子に彼女は真っ逆さまに落ちて地面で腰を打った。


「痛い! もういや!」


 腰をさすりながら身を起こすとそこに思わぬものを見た。

 男が身構えて化け物の前に立っていた。彼がその腕から何かを発して化け物にダメージを与えたのだ。


「貴様!」


 化け物が男の方を向いた。


「ググトめ! お前を抹殺する!」


 男は力強く右の拳を突き出した。


「ソニックブラスター!」


 すると衝撃波が放たれて化け物に直撃した。


「ぐぐぐ・・・」


 化け物が苦しげな声を上げていた。男は接近して右腕を大きく振り上げた。


「ソニックソード!」


 その右腕は渦をまとったように見えた。そして化け物に向かっていった。化け物は触手で阻もうとしたが、彼の腕はそれを切り裂いていった。


「おのれ! 食い破ってやる!」


 化け物は鋭い歯が生えた口を大きく開けた。男は飛び上がり、右腕を大きく振り上げた。その右腕が一瞬、光り輝く。


「ズバッ!」


 男が右腕を振り下ろすと、化け物は血を吹きだして真っ二つになった。


「ぐえっ!」


 化け物は断末魔の叫びをあげてどうっと倒れた。勝負はついた。沙羅はあまりの光景に腰が抜けて座り込んでいた。


(何なの? あの化け物をそんな技でやっつけるなんて・・・。まさか魔法使い?)


 沙羅は訳の分からないことが続いて混乱し、茫然としていた。

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