第2話 虹の光

 空には雲一つなく晴れ渡っており、さわやかな風が吹き渡っていた。登山にはもってこいの日だった。沙羅と早紀は順調に山道を進んでいた。


「来てよかったわね」

「ええ、日常のごたごたが忘れられるわ。久しぶりだわ」

「以前はよくここに来ていたよね。あのことがあって・・・いえ、ごめんなさい。変なことを言って・・・。」


 早紀は余計なことを言ってしまったと後悔した。


「兄のことはもう大丈夫よ。気にしないで」


 沙羅はけろりとしていた。


「兄に最後に会ったのは3年前のあの日。その頃、兄は捜査で忙しくてあまり顔を合わすことがなかった。でも急に家に帰って来た。何か慌てた様子で私にこのロケットを渡したの」


 沙羅は胸元からロケットを出して見せた。


「『気を落ち着かせる種が入っている』って言って。それから『大事にして、誰にも渡さないように』とも言ったわ」

「沙羅はその種で不安な時を乗り切っているのね」

「ええ。でもそれが兄と会った最後になってしまった。兄はそれからすぐに出かけて行方不明に・・・。私は兄を懸命になって探した。麻薬捜査部にも行ったけど捜査のことだから誰も兄のことを教えてくれない。ただ最後にこの三下山で見かけたということだけはわかった」


 沙羅は「ふうっ」と息を吐いた。


「それでこの山に登って兄を捜した。でも何の手掛かりも得られずに・・・。小さい頃からかわいがってくれた、大好きな兄だったから・・・。私は絶望して落ち込んでいたの」

「そこで雄一さんが現れた。沙羅を慰めてくれたのね」


 それを聞いて沙羅はふっと笑った。


「それは違うわ。雄一さんは兄の友人だと言って訪ねて来てくれたの。いなくなる前の兄のことを教えてくれた。そしてそれから彼が寄り添ってくれた。そのおかげもあるけど、沈んだ気持ちが明るくなったのは別にある・・・」

「そうなの?」

「ええ。実はね。この山に登った時、美しい笛の音を聞いたの。その笛の音は物悲しいメロディーだったけど、生きる希望を与えるような、何か、魂に訴えかけているって感じだった。私はしばらく聞きほれていたわ」


 沙羅はなつかしそうに語っていた。


「そんなことがあったの?」

「ええ。何度も聞いたわ。その時、兄がいなくなって人生のどん底にいるような時だった。でもその笛のおかげで立ち直った。私は救われたの」

「そうだったのね。そういうことがあったのね。ところで誰が吹いていたの?」

「それはわからないの。音をたどったけど探せなかった。でもいつかその人に会えるかもしれない。もし今日、笛の音が聞こえてその人を探せれば、お礼を言おうと思って。私を救ってくれたのだから・・・」


 沙羅は空を仰いだ。


 2人が話しながら山道を歩いていると、開けた場所で一人の中年の女性が山菜取りをしていた。この近くに住んでいる人のようだった。


「こんにちは」

「友達と仲良く山登りね。天気がいいからよかったわね」

「はい。お昼をそこで食べようと思って」

「いいわね。気を付けて行ってらっしゃい」


 その女性は笑顔で手を振った。他にもその山道で多くの人とすれ違った。みんなこの付近に住む人のようで2人にやさしく声をかけてくれた。


 やがて少し木が生い茂った薄暗い場所に出た。そこは道が狭くなっており、片側が緩やかな崖になっていた。もう山頂まであと少しだった。


「あら・・・」


 沙羅は薄暗い崖の下に何か輝くものを見つけた。


(一体、何だろう?川の水の反射にしては強すぎるし、あんなところで光るものってあるかしら)


 沙羅は足を止めて崖の下をのぞきこんだ。早紀はそれに気づかず、どんどん先を歩いていく。沙羅はじっとその光を観察した。まるで魅入られたように・・・。それはプリズムに当たったかのように虹色に輝き、崖の下の薄暗い木々を美しく照らしていた。


「不思議だわ。あんなところに・・・」


 沙羅はもう少しよく見ようと体を崖に寄せた。だがその正体はわからない。彼女はまるで引き寄せられるかのようにその光に近づいて行った。すると、


「ズリッ! バラバラ・・・」


 いきなり沙羅の足元が崩れた。


「あっ!」


 沙羅は足から滑り降りていった。緩やかな崖なのに沙羅がいくらもがいても止まらなかった。


「助けて! 助けて!」


 沙羅は無我夢中で助けを呼んだ。だがその虹の光に吸い込まれていった。


 その叫び声でようやく早紀は沙羅がそばにいないのに気付いた。振り返って見たが彼女の姿はどこにもない。


「沙羅! 沙羅! 大丈夫なの?」


 早紀は呼んでみたが、返事は帰ってこなかった。あわてて道を戻ると、そばの崖に何かが滑り落ちた跡があった。


「大変だ! 沙羅が・・・」


 早紀は沙羅が崖から落ちたと気が動転した。崖の下をのぞき込んだが暗くてわからない。そこにあった虹のような光は消えていたのだ。


「沙羅! 沙羅!」


 呼びかけてみたが返事はなかった。こうなれば彼女にはどうにもできない。


「とにかく山を下りて助けを呼ばなくちゃ・・・」


 早紀は心を落ち着かせようと何度も深呼吸をすると、あわてて山道を戻っていった。


 ◇


 三下山では大騒ぎになっていた。若い女性が崖から落ちたということで・・・。すぐに捜索隊が組織されて、三下山の管理事務所に捜索本部が置かれた。


 やがて沙羅の遭難の連絡を受けた宗吾と祥子が現場近くの管理事務所に駆け付けた。そこにいた早紀が泣きそうな顔をして2人に訴えた。


「沙羅が・・・沙羅がいなくなって・・・」

「大丈夫だよ。すぐに見つかるよ。多分、気絶しているだけだろう」


 宗吾は慰めるように言った。だが祥子は嫌な予感を覚えていた。このまま沙羅は帰ってこないような・・・。祥子はそれを必死に頭から振り払っていた。


 関係者は楽観的だった。その山は危険だと思われるところは少なく、沙羅が落ちた崖も緩やかで、途中で止まって下まで行くことはないはずだった。だから捜索隊の人たちはすぐに見つかると思っていた

 だが探しても沙羅は、いやその手がかりさえも見つけることはできなかった。慌てて捜索隊の人数を増やし、捜索範囲も広げていった。


「まだ見つからない・・・」


 そんな状況を捜索隊の人から聞いて、宗吾は落ち着かない様子だった。祥子は心配のあまり蒼白になっていた。


「あなた。どうしましょう・・・」

「大丈夫だ。こんな小さな山。こんなに多くの人で探しているんだ。きっと無事で見つかるさ」


 宗吾は自分に言い聞かせるように話していた。


 ◇


 沙羅が目を覚ました。まだ辺りは明るく昼過ぎのようだった。身を起こしてみたが、痛みはなく、幸いなことにけがはしていなかった。そこは草むらだった。


「とにかく帰ろう。みんな心配しているわ」


 沙羅は立ち上がって辺りを見渡した。


「ここはどこ?」


 そこは山でなく、広大な草原だった。辺りは不気味に静まり返っている。沙羅には今、どこにいるか皆目見当がつかなかった。スマホを取り出したが圏外の表示が出ていた。


(困ったわ。スマホは圏外で連絡つかないし・・・どうしよう・・・)


 沙羅はそう思ったがとにかく叫んでみた。


「誰か! 誰かいませんか!」


 耳を澄ましてみたが返事はなかった。


「遭難した・・・」


 沙羅はひどく動揺した。それでなんとか心を落ち着かせようとロケットを手に取って、出てきた種を口に入れた。


「ふうっ。なんとか落ち着いた。よく考えなくちゃ・・・」


 沙羅は気を失う前のことを思い出そうとした。


「ええと・・・私は崖から落ちてきた・・・」


 崖に上れば元の道に戻れるかもしれない・・・と思ったが、そんな崖は見当たらない。


「あの虹の光は・・・」


 沙羅は落ちていくときのことを思い出してきた。不思議な虹の光に引き込まれるようにここまで落ちてきたのだ。沙羅はまた周囲をじっくり見渡した。すると虹の光は少し離れたところに残っていた。


「あれは何だったのかしら・・・」


 沙羅にはその虹の光が何であるか、わかるはずはなかった。だが何か、不思議な力を持つもののようには感じていた。

 だがこのままでは遭難である。いやもう遭難しているのかもしれない・・・沙羅は思った。


「誰かが助けに来てくれているのかもしれないけど・・・。どうしよう・・・。その辺を歩けば誰かに会うかも・・・」


 沙羅はとりあえず太陽の出ている方向に向かって歩いた。するとしばらくして遠くに人影を見つけた。


「おーい!」


 沙羅は大声を上げて手を振った。だが不思議なことにその人影は何も言わずに、ただ沙羅の方に近づいてきていた。


「あの人は!」


 それはさっき山道で出会った山菜取りの中年女性だった。だが雰囲気が少し違うようにも感じたが・・・。


「あの・・・ここはどこですか? どっちに行けば道に出られます?」


 沙羅は訊いてみた。だがその女性は無表情で答えた。


「もうどこにも行けませんよ」

「えっ? どうして?」

「こんな人気のないところに獲物が落ちているなんて・・・。ついているわ!」


 その女性は不気味に笑って、いきなり体から数本の触手が飛び出してきた。それは空中で揺れながら沙羅の方に伸びてきた。彼女を捕らえようと・・・。


「ええ!」


 沙羅はとっさに後ろに飛びのいた。その女性は姿形を変えて鋭い歯が並んだ大きな口を持つ化け物になった。その上で触手が揺れていた


「一体、何?」


 沙羅は何が起こったが理解できなかった。


「さあ、来るんだ。痛くないようにすぐに殺してあげるから」


 化け物は触手を揺らしながらさらに近づいてきた。


「きゃあ!」


 沙羅は悲鳴を上げた。その声は静まり返った草原にこだましていた。


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