第3話 魂の抗体をつけるための大学日本拳法
「オレは在来種純粋日本人である」という確信こそが、心身共に自分にとっての抗体であると無邪気に信じている私ですが、その意味で、府立(全日)というお祭りは、「NHKのどじまん」や村祭り、或いは町の公会堂で鑑賞する中高生やアマチュア音楽家の各種音楽会・演奏会と並ぶ、重要なカンフル剤(青春回復剤)。彼らと同じ在来種純粋日本人に生まれて良かったと、実感させてくれるからです。
特に「現実にぶん殴る・真剣勝負・神の目線」を実感させてくれる大学日本拳法選手権(府立)とは、ビデオで見ても実地に見学しても、私の中の抗体を(楽しみながら)強化してくれます。
過去(2018年~)何度か、府立(全日)に潜入し、そこで実感したことを感想文に書き残してきていますが、今年はどんなinspireがあるのやら。
とはいえ、今回さらに新しい発見があるかどうかわかりません。「屋上屋を架す」になるかもしれないし、むしろ、悪い兆候でも見てしまうのではないか、という不安もあります。
何しろ、かつて在野の精神を謳っていた大学(の日本拳法部員)が、「警察屋自衛隊に守ってもらって安心です」なんて、権力に媚びを売るような文言を日本拳法部ブログに書くようなこのご時世。今や、ひとつの大学とか人間ではなく、そういう世の中の風潮になってきているのです。
権威や権力なんて(精神的に)ぶっ飛ばせ、人間肩書きや(見た目の良い)格好じゃない。「オレはオレ」、精神(魂)の自己同一性(コギトエルゴスム)という、かつての旧制高校生が標榜したバンカラの気風など、「日本寮歌祭」の終焉と共に潰えてしまったのでしょう。
去年(2023年の府立)は、たまたまというか必然と言いますか、殴り合いではなく「声の存在感」によって、強烈なスピリットを感じさせてくれた元拳士(?)やマネージャー(?)の方たち(関西人か)に遭遇し、(私が)冥土へ行く前に大切なことを教えて戴きました。
あらためて、「現実にぶん殴る・真剣勝負・神の目線」に関わる方たちの「コギト・エルゴ・スム(しっかりとした自我)」の持つ存在感というものを目の当たりにし、閻魔様への良いみやげ話ができました。。
今回、はたして(大学日本拳法の試合で)日本拳法としてのガッツやパワーは見れても、根源的な人間としての生き方(perspective)まで見る場面に遭遇できるかどうかは「神のみぞ知る(神の味噌汁)」。まあ、「お代は見てのお帰り(行ってみなけりゃわからない)」ということなのです。
2024年11月27日
V.1.1
平栗雅人
いま日本人に必要なのは「魂のワクチン」 V.1.1 @MasatoHiraguri
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