第11話 おっさん、置いていかれる

 唐突に告げられた新事実に、アルムは驚きで固まる。


 なにせ、冒険者とは道なき道をいくのが仕事のようなもの。舗装された街の中で迷子になるようでは、到底やっていけないからである。



「メディ……!!」

「って、オイ! どこ行くんだ!?」



 だが、そんな疑問を口にする前にフラムは二階の窓から飛び出すと、そのままどこかへと走り去ってしまう。


 その速さといえばなかなかに目を見張るものがあり、アルムが続いた頃にはすでに遠く距離をはなされていたほどだった。


 そんな異常とも言える脚力に、アルムはすぐにその理由へと思い当たる。



 ──なるほど、か。



 人の身体には生まれ持ったマナが流れている。


 一般的に、魔術の行使に必要とされるそれには種類があり、ほとんどの人間が持つマナは無色とされていた。


 そんな無色にはこれといった特徴もなく、ほとんどの場合で魔導具の補助がなければ役に立たない。


 一方、と呼ばれる者たちも存在し、彼らはそれぞれのにあった魔術を行使することができる。


 青なら水、緑なら風といったような形だ。そして、色つきにはさらなる特徴があり、それが身体能力への影響である。


 思い返してみれば、彼女は炎の魔術と思しきものを行使していた。


 炎──つまり、赤のマナを持っている彼女にも当然、対応する身体能力の変化があり、



 ──筋力の強化。



 それは、いたって単純にして、数多の冒険者が生唾なまつばを飲むような効果であった。


 個人差があるため一概には言えないが、少なくとも目の前の少女は相当な才を持っているようで、



「あぁもう、世話を焼かせやがってっ──」



 このままでは追いつけるものも追いつけなくなると、アルムの足は無意識のうちに動いていた。


 あの様子では、いつまた問題を起こすか分かったものではない。


 そこまで面倒を見てやる義理がないと分かっていながらも走り出したアルムは、自身のお節介な性格を恨みながら少女のあとを追うのだった。


 




 いつも隣にいる少女。その姿が近くにないと分かった瞬間、フラムの身体は全力で動き出していた。


 目の前の男を無視し、部屋の窓からためらう事なく飛び出すと、硬い地面の上に難なく着地する。



「メディっ……!!」



 直後にはもう、足が動いていて、入り組んだ路地の中を声を上げながら走っていた。


 この辺りはいわゆる下町と呼ばれる場所で、相応に治安が悪い。あの店に通う途中にもすでに何度か絡まれており、この場所の危うさはよく実感させられている。


 もちろん、そこらの悪漢に負けるほど弱いつもりはなかったが、それはあくまでフラム自身に限った話。


 メディは戦いに向いたタイプではなく、彼女一人でここを歩かせるのは魔物の巣に赤子を投げ込むようなものだった。



「どいて!!」

「うわぁっ!?」



 ゆえに、一刻も早く合流せねばと速度を緩めずに走るフラムだったが、もちろん危険の伴う行為だ。


 何度も通行人にぶつかりそうになりながらも、自慢の身体能力でギリギリを避けつづけ、



「は、はぁっ……もうっ、どこなの……!?」



 やがて、息が切れるほどに走ったところで、苛立ちをぶつけるように叫んだ。


 マナで強化されるのはあくまで筋力のみ。心肺機能に関しては影響の範囲外で、限界が近づいてきたフラムの心には焦りがにじみ始めていた。



 ──あの子、このままじゃっ……。



 肉体の疲労は、心にも影響を及ぼす。


 まさか、すでに悪い男に捕まっていて、声の届かないところに押し込められているのか、だとか。


 それどころか、すでに酷い目に遭わされている最中かもしれない、だとか。


 酸素が回らなくなってきた頭の中には、悪い想定ばかりが浮かんできて、



「っ……!?」

「うおっ──」



 そんな、集中力の欠けた思考で狭い路地を走れば、事故が起こるのも当然というもの。


 角を曲がった瞬間、群れて歩く男たちが視界に入るも、疲れきった身体は思うように動かず。


 無理やりに避けようとした結果、崩れた体勢のまま一番前を歩く男に肩をぶつけてしまう。



「──ぐぅ!?」



 全速力でなかったとはいえ、その衝撃は大の男一人を突き飛ばすのに充分な威力を持っていた。


 不意を突かれた男は派手に転ぶと、後ろにいた者たち数人を巻き込んで倒れる。



「はぁっ……はぁっ……」



 これには流石のフラムも、失態を自覚して足を止めるしかない。


 なんとか転ばずに耐え、体勢を整えると、なんと口にすべきか考えようとするが、



「ってえなぁ……どこ見て走ってんだゴラ!!」



 謝罪の言葉が出るよりも早く、立ち上がった男が怒声を浴びせきていた。


 強面の顔に傷跡を持つ、いかにもガラの悪そうなその男は、憤りをあらわに犯人へと顔を向けるが、



「……ああん? なんだ、女かよ」



 フラムの姿を見た瞬間、明らかに態度を変える。


 無論、ぶつかった相手が女性だったことに気づき、紳士的に振る舞おうしたわけではなく、



「へぇ……なかなか綺麗な顔してんじゃん。このあと俺たちに付き合ってくれるってんなら、今のは無かったことにしてやってもいいぜ?」



 下卑た目で上から下まで眺めた男は、ニヤケ面を浮かべながらふざけた提案をしてくる。



「はっ……悪いけど……急いでるからっ……」



 一瞬にして謝る気の失せたフラムは、荒い息を抑えながら、にべもなくその場を去ろうとするが、



「まあまあ、そう言わずによぉ」



 彼らがそう簡単に見逃してくれるはずもなかった。


 先ほどの男が前へ回り込んでくると、



「へへ、疲れてるんだろ? 俺たちなら、気持ちよ〜く休めるイイ店を知ってるぜ?」

「見ろよこいつの格好。ドレスコードもぴったりじゃないか? ハハハ!」



 その部下たちと思しき者たちも、逃げられないように周りを取り囲んできた。


 彼らの視線は言うまでもなく、胸や足腰に釘付けになっている。


 いまだに息が切れているフラムは高い壁を背に周囲を観察するも、分かりやすい逃げ道は見当たらず、



 ──ああもう、めんどくさい。



 じりじりと距離を詰めてくる男たちに、嫌悪感と怒りだけが湧き上がってくる。


 こんなところで油を売っている暇はない。


 フラムは大切な少女の顔を思い浮かべると、目の前をふさぐ邪魔者たちを睥睨へいげいし、



「……そう、そんなに痛い目が見たいなら──」



 いざ、蹴散らしてやろうと剣の柄に手をかけた、



「ああハイハイ! 悪かったな、うちの客が!」

「──っ!?」



 その直後。


 不意に聞き覚えのある声が割り込み、思わず肩を跳ねさせられてしまう。



 ──なんで、ここに。



 遥か後ろに置いてきたはずの人物がなぜここにいるのか。


 その理由も方法も分からず、男たちを倒そうとしていた気勢が一気に削がれてしまう。



「て、てめえはアルム……!?」



 そして、どうやら彼の存在を知っていたらしいリーダーの男は、その顔を見るやいなや困惑の表情を浮かべていた。


 取り巻きたちの一部も彼の名前に反応し、瞬く間にどよめきが広がっていく。



「よう、レド。久しぶりだな」



 そんな中、ただ一人あるがままの気楽さで歩いてきた彼は、レドと呼んだリーダーの男と肩を組むと、



「こいつ────急ぎ────気が立っ────これで──目に見て────」



 少し離れたところまで歩き、コソコソと話し始めた。



「ちっ……分かったよ。ほら、お前ら行くぞ!」



 少しして、話がついたのか。


 レドがこの場から離れるように歩き始めると、取り巻きたちもその後に続いていく。


 静寂を取り戻した路地の上で、フラムはただ状況に追いつけぬまま立ち尽くすしかなく、



「ほら、戻るぞ」

「え、あ──」



 気づけば、そう声をかけられるままに彼の背を追いかけていたのだった。

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