第6話 おっさん、散る

 共同住宅を囲う塀の内側。観賞用に植えられた草花の横で、人の声が鳴る。



『ね、ねえ。いま、変な声しなかった?』

『ううん? わたしは聞こえなかったけど……』



 その発生源は、地面の上に転がっている手鏡に似た魔導具だった。


 どこかの部屋の景色が映るそれからは、二人分の少女の声が聞こえてきていて、



「へぇ、それで中を覗いてたってわけか」



 すぐさま状況を理解したアルムは、犯人──すなわち魔導具屋の息子、マークへと詰め寄っていく。



「なな、なんであなたがここに!?」



 よほど驚いたのか。尻もちをついたまま指をさしてくる彼に、



「なんだ、気づいてなかったのか? さっき俺とすれ違っただろ」

「へ、は?」



 わざとらしくそう教えてやれば、想定通りの反応が返ってきた。



「あんな怪しい格好で出歩くんなら、もう少し考えてから動くべきだったな」



 おそらく、こういったことに慣れていないのだろう。


 まだ明るいうちから現場へと向かい、知り合いに顔を見られたことさえ気づかないのは、悪党としては三流もいいところだ。



「お、お願いします! このことはどうか、内密にっ……」



 実際、罪悪感は覚えているのか。土の上に手をつき、脂汗をかきながら頭を下げてくる姿は、なんとも悲壮感がただよっていた。



「はぁ……まあ知らない仲じゃねえけどよ。悪いことしようってのに俺を巻き込んだのは間違いだったな」



 だが、もちろん見逃してやる気はない。


 なにせ、あの後わざわざ道を引き返し、こんな面倒ごとに首を突っ込んだのは、アルム自身にも責任の一端がありそうだったからである。


 まあそもそもの話、例えそういった事情を除いたとして、現行犯で捕らえた悪人を逃がしてやるほど甘い性格はしていなかったが。



「まあ、あれだ。牢屋ん中で反省して、次に出られた後はまっとうに頑張るんだな」



 詳しい事情は分からないが、あの怪しい荷物がこの手鏡と連動しているのだろう。その目的は、依頼を受けた時の話からしてなんとなく想像がついた。


 まわりからやめるよう言われていたのも、今思えば一方的な想いが度を過ぎていたからだと分かる。



「つーわけで、ここは大人しくお縄に──」



 そう考察したアルムは少し哀れに思いつつも、用意していた縄で彼を縛り上げようとするが、



「ま、待ってください!」



 ここで、彼は往生際の悪さを見せてくる。


 今さらどうしようもないだろうと、後ずさるマークとの距離を詰めていくも、



「……そうだ。同意があれば、いいんですよね?」



 どうやら、悪かったのは往生際ではなく、頭のほうであったらしい。



「は? いやいや、同意してもらえない関係だから、コソコソとこんなことしてたんだろ?」



 意味不明なことを言い出すマークに、正論をぶつけてみれば、



「いえ、僕は臆病で……まだ、告白さえできてないんです。だから、今から彼女の想いを確認しようと思います」



 急になにかに目覚めたかのごとく、その目に意志を宿し始める。



「はは、馬鹿だな、僕は。愛する人のことを信じられずに、一人で悩んで……」

「いやほんと、なに馬鹿なことを言って──」



 まさかと思い、慌ててその腕を掴もうとするが、



「アルムさん、僕、行ってきます!!」

「──ちょ、ぶっ!?」



 彼は後ろを振り返ると、土を巻き上げながら爆発するように駆け出し始めた。



「っ……おいバカ! 中に入ったらもっと罪が重くなるぞ!?」



 不意を突かれたアルムは、口の中に入った土を吐き出しながら、急いでその後ろを追いすがる。



「なりません! 僕はここで、真実の愛を証明してみせます!!」

「ねえわっ、んなもん!!」



 しかし、健脚が自慢のアルムをもってしても、その背は離れていくばかり。


 どうやら、魔導具屋の息子らしくその靴にもなにか仕込んでいたようである。



「メディさん、いま行きます!!」

「クソっ……!」



 おかげで直線では敵いようがなく、正面玄関の前にたどり着いたときには、マークはすでに屋内へと侵入した後だった。


 もし、今の彼が振られれば何を起こすか分かったものではない。急がなければと、中へ一歩を踏み出すも、



「きゃぁぁッ──」

「!?」



 直後、どこからか女性の悲鳴が響き渡り、思わず足を止めてしまう。


 どうやらあの男、すでに騒ぎを引き起こしているらしい。まさか無関係の女性に手を出しはしないだろうが、早く止めるに越したことはない。



「なにが──って、あなたは……」



 しかし、いざ動こうとしたその時。ちょうど近くにいたのか、騒ぎを聞きつけたのだろう少女が階段を降りてくる。


 腰まで伸びる黒髪に、淡い紅の瞳。露出の多いその格好は、なんとも見覚えのあるもので、



「へえ、なるほどね?」



 一瞬にしてその目が据わると、昼間に会った時を上回る殺意を放ってきた。



「お、落ち着けっ、俺はただ」



 まずいと、そう本能が警鐘を鳴らすも、時すでに遅し。



「話は後でじっくり聞いてあげる。まあ、口が聞けたら、だけど!」

「ッ!!」



 彼女──フラムはためらうことなく距離を詰めてくると、流麗な所作で鋭い回し蹴りを放ってきた。


 性格に顎を狙ってきたその一撃に、アルムは経験からくる反射で辛うじて避け、



 ──メディーチナがいるのはあっちか?



 そんな中でも、冷静に向かうべき場所を模索する。


 あの手鏡から聞こえてきた声には、目の前にいるフラムのものも含まれていた。ならば、もう一人の少女の場所も自ずと判明するというもので、



「行かせるわけ……!」



 フラムが降りてきた階段へと目を向けたアルムは、蹴りの隙を突いて横をすり抜けた。


 しかし、もちろん彼女が諦めるわけもなく。すぐさま体勢を整えると、これまたしっかりとした型で掴みかかってくる。


 蹴り意外もできるのか、と感心しながらも、アルムは考える。


 このまま彼女を放置すれば、必ず妨害を受けてしまう。その間にマークがしでかせば、なにもかも手遅れだ。



 ──この手は女に使いたくなかったんだが……。



 ゆえに、わずかな葛藤を挟みつつも、アルムは着ていた外套の内側へと手を伸ばし、



「え──」



 直後、伸びてくるフラムの手を最小限の動作でいなすと、無駄のない手さばきで彼女へと襲いかかる。



「──な、あっ!?」



 時間にしてわずか数秒。手に持った縄を、つちかってきた技術で巧みに巻きつけていくと、次第に彼女の動きは制限されていった。


 やがて、立つことさえできなくなった彼女をゆっくりと床に下ろしてやれば、そこにいるのはもう、縄で見事に両手足を縛り上げられた無力な少女でしかなく、



「ちょっと……なに、これっ……!?」



 床の上でもぞもぞと動く彼女は、ただただ戸惑った表情を浮かべながらこちらを見上げることしかできなくなっていた。


 年若い少女が縛られ、無意味に悶えるそのなんとも言えない光景に、やはり女性に使う技ではないなと申し訳なく思いつつも、



「悪いな、一刻を争うんだ」



 今は悪党を捕まえるのが最優先であることを思い出し、階段へと駆け出す。



「っ、待って……!!」



 後ろから怒りの声が聞こえてくるも、立ち止まってはいられない。


 マークのやつを捕まえた後にしっかり謝るからと、そう心に決めながらアルムは二階へとたどり着く。



 ──どこだ。



 が、そこにマークの姿は見えなかった。


 だとすると、部屋の位置を知っているであろう彼は、すでに押し入っている可能性が高い。


 おそらく、反対側の階段から上ったのだろうと予測をつけたアルムは廊下を見渡し、



「!」



 すぐに違和感を見つける。


 いくつもの部屋が並ぶ中に、一箇所だけわずかに扉が開いた場所があったのだ。


 あそこに違いない──冒険者として培ってきた勘がそう告げるままに駆け出したアルムは、



「おい、いい加減にしろマーッ──」

「えっ──」



 その勢いのまま扉を開いた。


 かくして、アルムの勘が正しかったことは少女の碧い瞳と目が合ったことで証明され、



「──ク、ん……?」



 そして同時、それはしょせん冒険者としての勘でしかなかったこともまた、証明された。


 なにせ、正確だったのは少女の部屋ということの一点のみで、そこにマークの姿は欠片もなく、



「ふぇええっ……!?」



 代わりとばかりに用意されていたのは、なぜか着替え途中と思しき半裸の少女だけだったのだから。


 小柄な体躯からは想像できない肉づきのいい身体を前に、慌てて目を逸らすもすでに手遅れ。


 当然、彼女はその白い肌を耳まで真っ赤に染めると、身を隠すように布団でくるまってしまい、



 ──え、なに、マークどこ……??



 対するアルムは、状況が飲み込めずに固まることしかできなかった。


 あの速さで動くマークが遅れを取るなどありえるのだろうか、だとか。


 なんでよりによってこのタイミングで着替えてるんだ、だとか。


 とにかく納得のいかないことばかりの状況に、思考はグルグルと堂々巡りし、



「ハッ!?」



 少しして、横から感じた凄まじい殺気によって現実へと引き戻される。



「ふーん、これが一刻を争う状況?」

「ああ、いや、そのだなっ……」



 ほのかに香る焦げ臭さからして、魔術であの縄を焼切ったのだろう。酷く冷めた目で見つめてくるフラムに、しかしまともな言い訳も思いつかず、



「まずは落ち着いて話を」



 ここはいったん冷静になってもらうしかないと膝をつき、無抵抗の姿勢を見せるが、



「うるさいな、変態」

「ぼぇ──」



 そうは問屋が卸すはずもなかった。


 もはや避けることすらかなわない体勢に、迫りくる足がゆっくりと見えて、



 ──ああ、ついてねえ……。



 頭を揺さぶる衝撃の中。久方ぶりに自身の運の悪さを痛感したアルムは、華麗に蹴り上げられた少女の太ももを前に崩れ落ちるのだった。

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