第4話 おっさん、野菜を拾う

 逆転負けを喫しかけた、その直後。


 まさかのさらに逆転して勝利になるとは誰が予想できたか。



「あの……?」



 膨らみを帯びた白のニットと、その上に羽織ったダボダボの上着。腰の高い位置で履いた青色のスカートに、柔らかそうな布地のニーソックス。


 そして、大きな青リボンの付いた帽子が特徴的なその少女は、庇護欲を煽られるような可憐さを醸し出していた。


 が、重要なのはそこではなく。彼女の白髪碧眼という特徴が、すなわち探していた人物に当てはまるということの方であろう。


 振って沸いたような状況に一瞬固まるアルムだったが、この機を逃すほど愚かではない。



「ああ、いえ、お気になさらず。それよりもこちらを──」



 不思議そうに見つめてくる少女に、さっと手に持っていた荷物を渡そうとするが、



「──っと、荷物でいっぱいか」



 よく見ると彼女──メディーチナとおぼしき少女は、カゴいっぱいの果物や野菜にくわえ、紙袋まで小脇に抱えていた。


 おそらく、買い物にでも出かけていたのだろう。そもそも中に居なかったのかよ、ともう一人の少女に文句を言いたくなるが、ここは我慢するしかない。


 とりあえず、流石にこの状態で渡すのははばかられると考え、



「つーわけで、お前が預かっといてくれ」

「え?」



 ここはいっそのこと、欲しがってたやつに渡してしまうことにした。


 あの口ぶりからして、それなり以上には親しい仲のはず。後は宛先である本人の目の前で説明をしておけば、勝手に捨てられるようなこともないだろう。



「これ、メディーチナ様宛ての荷物ですんで、後で受け取ってください」

「え、あの……は、はい……」



 そう思い声をかければ、まだ理解は追いついていなさそうなものの、辛うじて頷きが返ってくる。



「じゃ、俺はこれで!」



 これで目標は達成できた。これ以上、こんな面倒な空間にいられるかとばかりに片手を挙げたアルムは、そそくさとその場を去ろうとし、



「あ、待ってくださっ──」



 おかげで、それが失敗を招くこととなった。


 なにか気になるのことでもあったのか、背後からメディーチナの声が聞こえてきた直後、



「──わぁっ!?」



 驚くような声とともに、ゴロゴロと物の落ちる音が鳴り始める。


 反射的に振り向いてみれば、そこには見事なまでにずっこける白髪の少女と、無情に地面を転がる野菜の数々があった。



「あぁ!? わたしのお野菜さんたちが!?」



 その、儚げにも見えた相貌そうぼうを感情豊かに変化させたメディーチナは、わずかに傾斜けいしゃのついた道で慌てて野菜を拾い始める。


 なにをやってるんだこの子は、と思いつつも、こちらに原因がないわけでもない。


 仕方なしにと近くに落ちていた野菜を拾っていくと、



「はぁ、まったくもう、何やってるの?」

「うぅ、ごめ〜ん……!」



 横にいたクール気取りの少女──たしか、フラムと呼ばれていたか──も一緒に手伝い始めた。


 その顔には呆れが浮かんでいたが、どこか満更でもなさそうな雰囲気も漂っている。


 自分の時とは大違いの対応に、よほど嫌だったのだろうと無駄にダメージを食らってしまった。



「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」



 そんなこんなで近場の野菜を拾い終え、床に置かれたカゴの中へ放り込んでやると、少女の頭がペコリと下げられる。



「それじゃ──」



 今度こそもう用事はない。アルムは少女に背を向けながらクールに手を振ろうとし、



「あぁッ!?」

「!?」



 しかし、またもや叫ぶ彼女に足を止められてしまう。


 今度はなんだ、といやいや振り返れば、



「と、トメトがない〜!!」



 なにやら足りない野菜があったのか、情けなく口を歪ませながら涙目になっていた。



「トメトってお前……あっ」



 そんなことか、と辺りを見渡せばその姿はすぐに見つかる。


 だが、舗装された道を転がっていくトメトは、今にも勾配こうばいが急な坂へと投げ出されそうになっていて、



「わたし、トメト大好きなのにぃ……」



 今その情報はいるのか、ということを呟くメディーチナを前に、後ろ頭をかいたアルムは、



「はぁ……分かった、取りにいきゃいいんだろ?」

「え、あ──」



 すでに加速を始めたトメトを追って駆け出していた。


 冒険者を引退したのがだいぶ前とはいえ、足には自信がある。まるで跳ねるように身軽に走り始めたアルムは、あっという間にトメトへと追いつく。



「なに!?」



 しかし、トメトも伊達に転がりやすい形をしていなかったらしい。



 ──こいつ、生きてッ……!!



 まるで、トビハネムシのごとく不規則に跳ねると、アルムの手を巧みにかわしてきた。


 そのあまりの面倒くささにイラっときつつも、上等だとばかりに気合を入れる。



「あ、ぶねっ!!」



 すると、交差点に差しかかったところで、横から馬車が通りがかった。


 だが、アルムが焦ることはない。


 トメトが華麗にその下を抜けるのを見つつ跳躍すると、馬車の幌に手をつきながら華麗に飛び越えていく。



「クソ、どこまで行く気だ!!」



 そうして景色が目まぐるしく変わる中。冷静に着地をすれば、目標物がすでに先を行っているのが映る。


 細い路地の方へと入っていくそのお野菜に、こうなったらもうヤケだとひたすらに追い続け、



「──はぁ、はぁっ……やっと、捕まえたぞ……!」



 どれだけ時間をかけたか。ようやくトメトを捕らえた頃には、すっかり空が赤く染まっていた。


 手間をかけさせやがって、と汗を拭ったアルムは、持ち主に渡しにいこうときびすを返すが、



 ──いや、流石にもういねえか。



 暗くなり始めた空を見れば、もはや自虐的に笑うしかない。



「はぁ……なにやってんだ俺は……」



 骨折り損のくたびれ儲けとは、まさにこのことか。


 まさか、荷物運び一回の代金だけでここまで汗水たらすことになるとは。


 その追加料金がたったのトメトひとつだと思うと、なんともやりきれない気分である。



「帰るか──」



 流石に、もう一度この坂を登ったあと、トメトを渡すためにあれこれする気力など残ってはいない。


 現役時代なら息切れもしなかっただろうに、と自身の衰えを実感させられたアルムは、現在地がどこなのか情報を調べながら歩き始め、



「──ん?」



 ふと、視界の端に違和感をとらえて目線を向ける。


 それは、まばらに歩く人の中を、ひとり挙動不審に動いていた。


 背丈からして、成人した男だろうか。フードを深くかぶり、キョロキョロと忙しなく頭を振る様はなんとも事件の香りがする。



 ──まあ、俺には関係ないことか。



 だが、ただでさえ疲れていたアルムはすぐに興味を無くす。


 ああいうのを相手するのは衛兵の役目だ。普段ならいざ知らず、今の状態で気にしてられるほどお人好しではない。


 あくびをこぼしつつ、遠巻きにその横をすれ違おうとした、その時。



 ──あ。



 不意に吹いた風が、わずかにフードをめくった。


 そして、そこから覗いた見覚えのある男の顔に、アルムは思わず立ち止まり、どこかへと歩いていくその背を眺めてしまう。


 明らかに普通ではないほど、周囲を警戒する二つの目。そんな彼が向かっているのは、先ほど自分が駆け下りてきた坂の上だ。


 無意識に手に持つトメトを見ると、少ししてフっと笑いをこぼし、



「まさか、な──」



 再び、何ごともなかったかのように彼とは逆の方向へと歩き始めるのだった。

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