第2話 おっさん、罵られる

 クーシィが去ってからしばらくして。



「あー、暇だ……」



 再び退屈な時間を過ごすことになったアルムは、新たな常連客ができるかもしれないという先ほどまでの高揚も忘れて机に突っ伏していた。


 言うまでもないが、常連が数人増えると言われたところで、この退屈な日常が一変するわけでもない。


 忙しくなるかもしれないことにわずかな嬉しさを覚えつつも、浮かれて店の模様がえをするほどのやる気が出るということもまたなかった。



「あのぉ……」

「!!」



 そんな折、店の外から聞こえてきた声にハッと目を見開く。


 来たか、新人。とばかりに勢いよく顔を上げるアルムだったが、



「……ああ、あんたか」



 見覚えのある顔を見て、すぐにまたテンションが下がってしまう。



「や、やあ、アルムさん。調子はどうですかねっ」

「はっ、見ての通りだよ。なにか探しもんか?」



 よく考えたらこんな早くに連絡がいくはずもないか、とひとり自嘲しつつ、改めて目の前の青年に意識を向ける。


 育ちの良さそうな整った衣服に、オドオドとした気弱な雰囲気。間違いなく、大通り近くに店を構える魔導具屋の息子だ。


 名前はたしか、マークだったか。会ったことは何度かしかないが、その時はこの店に珍しい素材を探しに来ていた記憶がある。


 というのも、アルムの店は武器屋を名乗ってはいるが、その実、日用品の雑貨から魔物の素材まで様々なものを取り扱っているなんでも屋のようなものだったからだ。


 昔の伝手もあり、物だけは集まってくるため、そういった局所的な需要があるのがこの店の数少ない利点といえよう。



「ああ、いえっ、今回はその、届け物をお願いしたいな、と!」



 が、どうやら今回は違ったらしい。


 目を忙しなく泳がせるマークは、鞄の中からなにやら布でくるんだ小包を取り出してきた。



「届け物か。まあ構わねえけど、なんで俺に?」



 彼の依頼に、少しいぶかしみつつ尋ねる。


 物運びの仕事自体はそれなりに頼まれることがあった。というのも、ベンツェルは大都市と呼ばれるだけあってとても広い。


 しかも場所によっては迷宮のように入り組んでいるため、こうして運び屋稼業をやる者も少なくないのだ。


 当のアルムも冒険者時代に小遣い稼ぎでやっており、その伝手でときおり依頼が舞い込んでくるのである。



「あんたのとこなら、俺みたいな副業でやってるやつじゃなくて、もっとちゃんとしてるとこに頼めるだろ」



 ただ、マークとはそこまで仲がいいわけではなく、むしろ、店主の方とは仲が悪いくらいだった。


 ゆえに、その理由が気になったのだが、



「ええっと、実は、内緒で送りたくて……」



 問われたマークは照れくさそうに頬をかきながらそう答えた。



「まさか、恋人への贈り物とかか?」

「そ、そんなところ、ですっ」



 それだけでおおよその予想がついたアルムが尋ねれば、彼は肯定的に返し、



「まわりには反対されてて、やめろって言われるんです。でも、大事なのは僕たち二人の気持ちだって、そう思いませんか!?」

「お、おう、そうだな……」



 途端に、勢いづき始める。慣れない押しの強さに若干ひくアルムだったが、



「ったく、分かったよ。その子にこっそり届けてくればいいんだな?」

「! は、はい、お願いします!」



 その熱量は先ほどまでの態度と真逆で、彼の想いが本物であることもよく伝わってきた。


 ここ数年ですっかり擦れてしまったアルムだが、若者の恋を応援してやることに躊躇ためらいはない。


 それに、この退屈を紛らわせるのにもちょうどいいだろう。


 必要な情報を聞き代金を受け取ったアルムは、マークの背を見送った後、さっそく仕事に取りかかるのだった。






 それから十数分後。



「──で、やっては来たわけだが……」



 裏路地を出て、大通りを抜け、緩い坂道を上がっていったアルムは、立ち並ぶ小綺麗な建物群を前に冷や汗をかいていた。


 広大な敷地を持つベンツェルは、場所によって暮らす人々のおもむきも変わってくる。


 幅のある通りに石畳の引かれたそこは、アルムの住む下町とは比べるべくもなく整っており、その上を歩く住民たちも明らかに雰囲気が違っていたのだ。


 一方、こちらはシワシワのシャツによれよれのズボンを身につけた、冴えない三十路のおっさんときた。


 明らかに場違いな存在に、周囲から刺さる視線が痛い。


 住所からだいたいどんな場所かは想像できたはず。せめて髭くらいは整えておくんだった、と後悔するも時すでに遅し。


 とっとと仕事を終えて帰った方が身のためだと、とにかく歩みを進めた。



 ──身分違いの恋ってやつかねぇ。



 その途中、マークの姿を思い出し考える。


 まわりに反対されているというあたり、相手は相当な上流階級といったところだろうか。


 そう考えると、ますます仕事を頼む相手を間違えている気がしてくるが、そこはこちらの責任ではない。



 ──ここか。



 そんなこんなで目的の場所へとたどり着いたアルムだったが、



「入りづれぇ……」



 塀と門に囲われた立派な建物を前に、つい臆してしまう。


 横に長く、ベランダがいくつもある形状からして、おそらく複数の住人が暮らす共同住宅といったところだろう。


 ところどころに花があしらわれたレンガ造りの建物からは、心が安らぐような甘い香りさえ漂ってきていた。



「【アパートメント・リリー】……ねぇ」



 門の横を見れば、呼び鈴と共にその名が記されているのが映る。


 少々、勇気のいる行為ではあったが、ここで立ち尽くしているままの方がよほど不審であろう。


 覚悟を決めたアルムは呼び鈴に手をかけ、カラカラと音を鳴らした。



「……出てこないな」



 が、一度目は誰も出てこず失敗に終わる。


 仕方なく二度、三度と鳴らすもやはり反応はなく、ただただ待ちぼうけを食らわされてしまう。



「おーい、誰かいな……いませんかー!?」



 大家くらいはいるだろうと声を上げるも、返ってくるのは小鳥のさえずりくらいなもので。



 ──いや、いるな。



 ふと、違和感を覚えたアルムが感覚を研ぎ澄ませれば、建物の方から視線が向けられているのを感じる。


 その感覚をたどってとある窓を見れば、目が合った何者かが慌てて姿を隠すのが映った。


 もしや警戒されているのか、と改めて自身の格好の酷さを思い出すも、今から戻って手直しするのも割に合わない。



「荷物を届けに来ただけなんで! 終わったらすぐに帰りますからー!」



 ゆえに、大声で強行突破を試みたアルムに、



「!」



 ようやく思いが通じたのか、ガチャリと音を立てながら玄関の扉が開かれる。


 ほっと一息をついたアルムは、そこから現れた人影が門の前まで来るのを愛想笑いを浮かべながら待ち、



「あ、どうも、ありがとうござ──」



 いざ、門が開いたところで礼をしようとした、その直後。



「──うるさいんだけど」



 下げた頭の上から振りかかってきた冷めた一言に、アルムは思わず固まった。



「は、はい?」



 恐る恐る顔を上げてみれば、そこに立っていたのは華やかな容姿の少女で、



「迷惑だから、帰ってくれる?」



 彼女はただ、長い黒髪をなびかせながら、その可憐な顔に冷たい表情を浮かべているのだった。

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