第44話 ソナートを目指して



 ソナートからの申し出を受ける。使者にそう返事をして、すぐに旅立ちの準備に取りかかる。ソナートの聖地に向かうのはもちろん私と、護衛の兵が数名、それにセルジュ。


 マリオットの兵士たちの中でも選りすぐりの腕利きを貸してもらえたし、セルジュがいなくても何とかなる。というか、危ないから来ないで欲しい。


 私はそう主張したのだけれど、彼はがんとして聞き入れなかった。お前が駄目と言ったところで、俺は勝手についていくからな。そう宣言して。


 次の日の朝早く、まだ辺りが薄暗い中、私たちはエミールに見送られて屋敷を後にした。


「それでは、気をつけていってくるのですよ。セルジュ、リュシアン君を頼みます」


「もちろんだ、父さん」


「できるだけ急いで戻ってきますから」


 そう答えて、馬車に乗り込む。私もセルジュも、いたって普段通りの格好だ。聖女の衣装は、荷物の中に厳重にしまい込んである。


 これの出番は、もっと後だ。今こんなものを着ていたら、レシタルの連中に見つけてくれと言っているも同然だし。


 もっとも、用心していてもレシタルの連中に見つかってしまう可能性はある。そんな時のために、あらかじめみんなで打ち合わせた。私は使者……つまり商人の甥っ子で、セルジュは商売を学ぶために行動を共にしている遠縁の子、という設定になった。


 その設定に合わせて、私たちはイグリーズの町で質素な馬車を借りてきていた。椅子に大きな車輪と申し訳程度のほろを付けただけの、馬にできるだけ負担をかけないものだ。いざとなったら速度も出せるのだけれど、その分乗り心地は悪い。


 ソナートの使者の馬車に先導されて、イグリーズの町を出る。徐々に明るくなっていく空を見ながら、そっとため息を噛み殺した。


 国境を越えて、ソナートの聖地で祈る。そうやってソナートと同盟を結ぶことができれば、帰りは彼らの協力を得られるだろう。だから私は、一刻も早く聖地にたどり着くことだけを考えればいい。


 お母様はソナートの王妃で、ソナートの人や物を動かすことができる。でもだからといって、無条件に私に力を貸すことはできない。私はレシタルの一貴族に過ぎないし、ソナートの王族の血は引いていないから。


 だから『マリオットの聖女がソナートに協力する』という条件をつけることで、お母様はソナートの人間を動かすことができる理由を作ったのだ。


 次は、私が頑張る番だ。聖女らしいところをちゃんと見せて、ソナートの人たちを納得させるんだ。


 視線を落として、ぐっと唇を引き結ぶ。と、隣のセルジュがぼそりとつぶやいた。手綱を握って、まっすぐ前を見つめたまま。


「しかし、お前の母親がソナートの王妃とは……」


 そちらを見ると、彼は何とも言えない表情で目を細めていた。赤い髪が風になびいて、目元をちらちらと隠している。


「つまりお前は、レシタル王国の伯爵令嬢で、しかもソナート王国の王妃の娘……お前にはさんざん驚かされてきたが、まだこんな隠し玉があったとはな」


 お母様に協力してもらうことが決まったあの夜、私はお母様のことをセルジュとエミールに話したのだ。……というか二人とも、深夜なのにまだ仕事をしていたんだよね……。


 とはいえ、いきなりお母様の立場を話しても二人は混乱するだけだろう。そう考えて、私は最初からきっちりと話していくことにしたのだ。


 私が生まれた頃、父とお母様との間に何があったのかということから、私とお母様の秘密の文通、そして国宝を使った月に一度のお喋りのことまで。セルジュたちになら、話してもいいと思えたから。


 さすがのエミールも驚きを隠せずにいたし、セルジュはあれ以来幾度となく話を蒸し返してくるのだ。ちょうど、今みたいに。


「僕も、母さんのことを初めて知った時は死ぬほど驚いたよ。母さんからの手紙を抱えて、なりふり構わず屋敷から飛び出してしまうくらいに。……もっともそのおかげで、ティグリスおじさんと出会えたんだけどね」


「そしてそのティグリス殿に学んだ技術を活用して、父さんとの結婚から逃げおおせた、か……つくづく縁というのは、不思議なものだな」


「そうだね。あと最近、僕は訳の分からないことばかり起こる星のもとに生まれたのかも、って思い始めてる」


「確かにお前は、そういう星の生まれだな」


「即答しないで欲しかった」


 そんなことを話しているうちに、肩に入ってしまっていた力がようやく抜けてきた。彼が来てくれてよかった、と思いながら、ほっと息を吐く。


「……そういえば、ずっと気になっていたんだが」


 ふと、セルジュが何かに気づいたような顔をしてこちらを見た。


「お前、その口調のままでいいのか? その、いつまでも男装のままだと疲れるんじゃないかと、そう思うんだが」


「そうだなあ……最近ではむしろ、こっちのほうがしっくりくるくらいなんだよね。慣れちゃってて」


 そう答えた時、ふといたずら心がわき起こってきた。緊張が解けたとたんこれって、自分でもどうかと思うけれど……まあいいや。


 くすりと笑って、セルジュにそっとささやきかける。


「それにさ、僕が女性としてふるまうと、君がちょくちょく挙動不審になっちゃうし。あれはあれで、可愛いんだけど」


「なっ……」


 案の定、セルジュは大いに照れ始めた。それが面白くて、もうちょっとからかいたくなってしまう。口調を元に戻して、ちょっぴり甘い声でさらにささやく。


「ふふっ、あなたって本当に女性慣れしてないわよね。そんなんじゃ、お嫁さんの当てもないんじゃない? 私でよければ、立候補するわよ? ……なんてね」


「お、おいっ!!」


 あ、真っ赤になっちゃった。すごい、人間ってここまで赤くなれるんだ。


「ええっと……からかってごめん。今の、冗談だからさ」


「あ、いや、その、だな」


 勢いよく首を横に振って、セルジュは声にならない声で何事かつぶやいている。


「冗談でなくてもいいというか、ああ、そうじゃなくてだな……あれだ、俺は構わない、だから、その……」


「そうなのかそうじゃないのか、分からないってば。というか、何の話?」


 私のちょっとした冗談にここまで動揺するなんて、面白いなあ。もっとも、これ以上ちゃかすのは、さすがに申し訳ない。


「ま、いっか。そうだ、母さんの話とか、聞きたくない? 凄絶な過去をちっとも感じさせない、面白くて強い人なんだけど」


「ああ、ぜひ聞かせてくれ」


 だから、そんな感じで適当に話をそらすことにした。セルジュもほっとした顔で、話に乗ってくる。その顔は、まだちょっと赤かったけれど。




 隣国ソナートの使者と兵士たち、それに私とセルジュ、マリオットの兵士たち。


 商人の一家にふんした私たちは、街道をひたすらに突き進んだ。途中野宿を挟みながら、国境を目指して。


 幸い、道中は平和だった。そうして、国境まであと数時間といったところまでたどり着いた。あと少しだ。国境さえ越えてしまえば、もうレシタルに妨害されることもない。


 みんなの間に安堵の気持ちが広がったその時、前が騒がしくなった。ソナートの馬車がいきなり止まり、同行していた兵士たちが身構えたのだ。


 この辺りは深い森になっていて、しかも街道は細い。ソナートの馬車が道を半ばほどふさいでしまっていて、前で何が起こっているのか分からない。


 とっさに立ち上がって、辺りを見渡した。しかしその時、私のすぐ目の前を何かがかすめていく。鳥……じゃない。もしかして、矢!?


「伏せろ、リュシアン!」


 焦ったようなセルジュの叫び声が聞こえたと思ったら、座席に押し倒されていた。そして次の瞬間、馬車のほろに矢が突き刺さるのが見えた。それも、何本も。


 あのまま突っ立っていたら、あの矢は私に突き刺さっていただろう。こみ上げてきた恐怖に駆られるようにして、セルジュにしがみついた。


「敵襲だ! 迎え撃て!」


 ソナートの使者の、厳しい声がする。マリオットの屋敷ではおっとりと話していた彼のそんな態度に、いよいよ危険な状態にあるのだと悟った。


 触れた体越しに、セルジュの押し殺したような声が聞こえてくる。


「……あれは……レシタルの兵か……こんなところまで追いかけてくるとは」


 そろそろと顔を上げると、森の中を兵士たちが走っているのが見えた。あのいでたち、間違いなくレシタルの兵士だ。


 彼らはあからさまに殺気を放っているし、その手には剣やら弓やらが握られている。


 これから、戦いになる。町でふらふらしている酔っ払いをやっつけるのとはまるで違う、本気の殺し合いが。


 私は多少なら戦える。でも、きっちり武装した兵士相手には手も足も出ない。聖女の力を使おうにも、ここでは聖女印を発動できそうにない。


「リュシアン、お前はここに隠れていろ」


 なすすべもなく震えていたら、セルジュがそう言い放った。そのまま、馬車を飛び降りてしまう。腰に提げていた大きな剣を抜いて。

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