第43話 小さな希望

 お母様はいつも通りに、明るく優しく言った。あまりにさらりと言うものだから、理解がちょっと遅れてしまった。


「力になれるって……え、本当に?」


『可愛い娘が困っているのを、放っておけるものですか。ちょうど一つ、いいことを思いついたの』


 そう言ってお母様は、頼もしげに胸をどんと叩いてみせた。そしてそれから、ちょっぴり気まずそうに視線をそらす。


『まあ、その前にちょっと夫に確認を取らないといけないけれど』


 お母様の夫、すなわち隣国ソナートの国王。彼に確認してからということは、お母様はそれなりに派手な方法を考えついたのだろう。昔から大胆なところのある人だし、


『でも安心して、リュシエンヌ。まず反対はされないだろうし、万が一反対されたら全力で泣き落とすから』


「うん、ありがとう……母さんがいてくれてよかった」


『ふふ、今度からはもっと遠慮なく頼ってちょうだいね』


 お母様は可愛らしく小首をかしげて、悠然と微笑んでいた。


 私は、ソナートの王に会ったことはない。ただ彼がたいそう真面目に国を治めていることと、お母様にとっては最高に素敵な旦那様だということは知っている。


 ……それもこれも、お母様が事あるごとにのろけまくっていたからだったりする。耳にたこができそうなくらい、彼のことは聞かされた。ちょっと美化してるんじゃないの、と言いたいのを何度もこらえながら。


 だから、ソナート王のことは信じてもいいと思う。そしてもちろん、お母様のことも。


『さて、そうと決まったらさっそく動くわね。もう少しだけ待っていて。できるだけ急いで、そちらに使者を送るから。詳しい段取りは使者から聞いて』


 ほっと胸を押さえる私に、お母様は朗らかに告げる。その明るさが、今はとてもありがたかった。


 それからもう少し打ち合わせて、その日のお喋りは終わりになった。とっても有意義なお喋りだった。


 元通り私の顔を映している手鏡を抱きしめて、深々と息を吐く。さっきからずっと、胸がどきどきしていた。


 私たちが抱えていた問題が、ようやく解決に向かっていきそうだ。そう思ったら、そわそわして仕方がなかった。もう真夜中近いのに、眠れそうになかった。


「……お母様、ありがとう」


 魔法の手鏡に向かって、もう一度小声でつぶやく。その言葉があちらに届かないことは、分かっていたけれど。


 そうして、離れを出る。もしかするとセルジュとエミールも、まだ起きているかもしれない。というか、たぶん仕事をしている気がする。


 よし、今から二人にさっきのことを話そう。私とお母様のややこしい身の上から話す必要がありそうだし、長話になりそうだけど。


 満月の優しい光が降り注ぐ中庭を、弾む足取りで進んでいった。




 それからほどなくして、ソナートの使者がマリオットの屋敷を訪ねてきた。


「ようこそいらっしゃいました、我らがイグリーズの町へ。遠路はるばるご足労いただき、感謝の念にたえません」


 使者たちに対して、エミールがとても礼儀正しく頭を下げる。その後ろでお辞儀をしながら、隣のセルジュにちらりと視線を送った。


 というのも、使者たちについて気になることがいくつもあったのだ。


 使者が乗ってきた馬車はひどく質素で、家紋も飾られていない。そして使者本人も、微妙にあか抜けない装いだ。さらに連れている兵士もどことなく身だしなみが適当で、兵士というより私兵とか傭兵とか、そんな雰囲気だ。


 そうと知らなければ、彼らがソナートの使者だなんてまず見抜けないだろう。どちらかというと、そこそこの規模の商いをしている田舎商人といったほうが合う。しかも、最低限のお供だけを連れてちょっとそこまで外出中、といった感じの。


 ここレシタル王国とソナート王国は国交がないのだし、彼らにとってここはある意味敵国のようなものだ。そんなところにこの人数で乗り込んでくるとは、怖くないんだろうか。


 あるいは、ソナート王がこれだけしか人員を割いてくれなかったとか? でもお母様は泣き落とすって言ってたし、この人数も予定通りなんだろうか。


 セルジュと二人して首をかしげていたら、ソナートの使者がこちらを見た。おっとりとした雰囲気の、ふっくらしていて優しそうな中年男性だ。彼は私たちを交互に見て、にっこりと笑う。


「やはり、気になりますか? 変装なのですが、似合っていなかったでしょうかね」


 ちょっぴりおかしそうに微笑んで、使者が服のえりを軽くひっぱってみせる。


「ソナートの人間が大挙して国境を越えたりしたら、それでなくても神経質になっておられるレシタル王を刺激してしまいかねません。ですから私たちは、ちょっとした用事で外出中の商人一行……といった装いで、ここまで旅をしてきたのです」


 なるほど、そういう訳だったのか。ようやく納得したその時、エミールが私たちのほうを振り返った。さっき使者から手渡された書状を、私に向けて差し出しながら。


「こちら、君たちには目を通しておいてもらったほうがいいでしょう」


 書状を受け取って、セルジュと二人でのぞき込む。


「えっ、これって……」


「そうきたか……」


 ソナート王の署名がされた、豪華な書状。そこに書いてあった文言を見て、二人同時に驚きの声を上げた。


『我がソナート王国は、レシタル王国より独立したマリオット領を新たな国として認め、今後国交を持っていきたいと考えている』


『ただ、それにあたって一つだけ条件をつけたい。マリオット領、イグリーズの町に現れたという聖女について確かめたいのだ。そのためにも、一度我が国に聖女を遣わしてもらえるだろうか。そしてかなうなら、その力を見せてもらえるとありがたい』


『その願いがかなった暁には、私たちソナートはマリオット国との同盟締結と、惜しみない支援を約束しよう』


 予想を遥かに超えたその内容に、こっそりと震え上がる。お母様、どうにかするって言ってたけど……これ、どうにかするって域を超えてる。問題を一気に丸ごと、まとめて解決しちゃうような方法だ。


 安定した大国である隣国ソナートが後ろ盾になってくれれば、マリオット領、というかマリオット国の立場も一気に上がる。いくらレシタル王がマリオットをいまいましく思っていても、そうなってしまえばうかつに手出しできなくなる。


 そうやってマリオットが力を手にすれば、周囲の領主たちも考え直すかもしれない。今独立してマリオットにつけば、まとめてソナートに守ってもらえるかもしれないと、そう考えるかも。この状況で様子見に走るくらいには慎重で臆病な連中だし、十分あり得る。


「……もしかしなくても、破格の条件じゃないか?」


「僕もそう思う。……母さん、張り切ってくれたんだなあ」


 一緒に書状をのぞき込みながら呆然とする私たちに、使者はおっとりと話しかけてきた。


「聖女は、聖なる場所、すなわち人の信仰を集めた場所でのみ力を使えると、王妃様からそのようにうかがっております。ちょうどレシタルとの国境にほど近いところに、いにしえより聖地としてまつられてきた場所がありますので、そちらにお越しいただければ」


「……つまり、そこに僕が行って、祈ればいいんですね?」


「はい。『もし力が発動しなかったとしても、あなたがはるばる足を運んでくれた誠意に応え、マリオットの力になろう』と、陛下はそうおっしゃっておられました」


 隣のセルジュを見て、それからエミールを見る。二人とも、まっすぐに私を見返してくれた。


「分かりました。その申し出、ありがたくお受けいたします」

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