第41話 マリオット、立つ

 エミールの衝撃的な発言に、びっくりして何も言えない。だって、独立って。それって、こんなにさらりと言っちゃっていいことだったっけ?


 思わずセルジュのほうを見たら、彼もまた呆然としていた。今、父さんは何て言った? と彼の顔には書いてある。たぶん、私の顔にも似たようなことが書いてあると思う。訳が分からない。


 そんな私たちを置き去りにして、エミールはいつも通りの表情でつぶやいている。


「まずはマリオット領の境界沿いに、もっと多くの守備兵を配置しなくてはなりませんね。次に、レシタル王国に反旗を翻しそうな領主と秘密裏に連絡を取って……」


「と、父さん!」


 やっとのことで我に返ったセルジュが、必死の形相でエミールの語りに割り込む。目を見張っているエミールに、さらに問いかけた。


「独立するって、いったいどういうことなんだ! まずはそちらを説明してくれ!」


「そのままの話ですよ。我がマリオットはレシタル王国から独立して、新たな小国となります。領地も十分な広さがありますし、農業などの産業も発達しています。問題なく国としてやっていけますよ」


 その言葉に、セルジュが一瞬考え込むような顔をした。しかしまた、エミールに食ってかかっている。ただ、さっきよりも少し落ち着きを取り戻したようだ。


「確かに、それはそうだと思う……けれどどうして突然、独立なんて言い出したんだ」


「レシタル王は、『従属』か『敵対』かを選ぶよう宣言しました。そして私たちにとって『従属』とは、聖女を、リュシアン君を王宮に差し出すことを意味します。その条件だけは、どうあっても呑めません」


「……ああ」


 やはり淡々と答えたエミールに、セルジュは重々しくうなずいた。


「となると、私たちに残された道は『敵対』のみです。とはいえ、反乱を起こすつもりはありません。私たちの目標は、可能な限り平穏無事にこの局面を乗り切ること。ならば、独立するのが一番早いでしょう」


「主従関係から対等な関係に、形だけでも変えてしまう……ということか」


「ええ。理由もなく他国に攻め入れば、周囲の国との関係も悪化しますから。もっとも今のレシタル王が、そこまで考えるかどうか……微妙ですね」


 そんな二人の会話を聞きながら、私はどん底まで落ち込んでいた。つまりこの事態って、やっぱり私のせいだったんだ。いや、どちらかというと私も巻き込まれた感じではあるんだけど……それでも使者が来た時、すぐに逃げていれば、こんなことには。


 するとセルジュの手が、ぽんと私の頭の上に置かれた。しょんぼりした子供を励ますかのように。


「お前のせいじゃない。俺たちが、こうしたいと思っているだけだからな」


「セルジュの言う通りですよ。私たちは、もう後悔したくないんです。ですから堂々と、ここにいてくださいね。聖女の力、あてにしていますよ」


「は、はい!」


 そうだった。きっかけはどうであれ、今の私はマリオットに必要なんだ。もっとも、必要とされているのは私そのものではなく、『聖女』という存在とその力だ。


 そのことがちょっぴり悔しく感じられてしまうけれど、それでもいい。できることがあるのだから、ぜいたくは言わない。


 心機一転、気合を入れる。セルジュも私の頭をぽんぽんと軽く叩いて、柔らかく微笑んでくれた。


 しかしその時、またエミールがとんでもないことを口にした。


「ああそうでした。セルジュ、お前が率いている者たちも借りますよ。それこそ、猫の手でも借りたいので。一度、ここに呼んでください。裏路地の酒場に集まっているのでしたね?」


 その言葉に、二人一緒にぽかんとする。えーっと、それってつまり、あのカゲロウの若者たちのことで……。


「父さん……知っていたのか、彼らのことを」


 おそるおそるセルジュが尋ねると、エミールはきゅっと目を細めた。


「町はずれで若者たちが集まっているということ、しかも町の外からも人がやってきていること。私がつかんでいたのは、そこまでです。ただ、おそらく害はなさそうでしたので、ひとまず放置しておくことにしました」


 ……彼ら、街道を守る王国兵を襲撃しようとしてたんだけどな。さすがのエミールも、そこまでは知らなかったか。


「私が彼らの存在を具体的に知ったのは、リュシアン君が女性の姿で町に足しげく通い出してからですね。お前たちが若者たちを引き連れて、何やら鍛錬のようなものをしていると、そんな報告があちこちから上がったのです」


 目を細めてつぶやいたエミールが、にっこりと私たちに笑いかけた。


「国が乱れ民に不安が広がる中、私は何もせずただじっとしていました。もちろんそれは、動くための機をうかがってのことでしたが……国の未来を憂える者たちにとっては、もどかしかったのでしょうね」


 遠くを見つめるような目をして、彼は語る。そうして、また私たちに向き直った。


「セルジュ、彼らの心をまとめてくれて、彼らが暴走しないよう止めてくれて、ありがとうございます。そして、リュシアン君も」


「い、いや、それは……単に俺は、巻き込まれただけで……」


 正面切って礼を言われたからか、セルジュの態度がぎこちない。照れつつも難しい顔をするという、中々に器用なことをこなしている。


「僕も、ちょっとしたなりゆきでしたし」


「それでも、助かりました。私たち年寄りとは違い、若者たちに待てというのは酷な話です。彼らが内に秘める熱情のまま暴走してもおかしくない状態でしたから」


 自分のことを年寄りだなんて言っているけれど、エミールもまだ四十歳前後だ。もっとも彼はとても落ち着いているから、実年齢よりもちょっと上に見えなくもない。


「そして今こそ、その熱意を存分に発散する時です。どうぞ、彼らにそう伝えてくださいね。それでは、私にはやることがありますので」


 エミールは、いずれこうなる可能性もあると踏んで、ある程度の準備はしてあったらしい。けれど、いざ本当に国として独立するとなると、やらなければならないことは山積みだ。


 ああ忙しいと言いながら、エミールはどこか浮かれた足取りで執務机に向かっていた。


 彼の邪魔をしないように、そしてカゲロウのみんなにエミールの言葉を伝えに行くために、セルジュと二人一緒に執務室を出る。


 こないだの教会の時の騒動でたぶん私の正体はばれてるだろうし、男装のままで向かう。聖女リュシアンが女性のふりをして、お忍びで彼らを鍛えるために通っていた。そんな感じの言い訳を用意して。


「……父さん、こうするって予感がしてたんだろうな。いずれあの王に見切りをつけ、領民を守るために動く日がくるって」


「僕もそう思うよ。そして今が、まさにその時なんだろうね。あの書状のせいで、多くの貴族がどうしたものか悩んでいるだろうし。マリオットの独立は、いい揺さぶりになると思うよ」


 しみじみとそう言ったら、セルジュがふっと苦笑いを浮かべた。


「……まったく、越えなくてはならない壁が大きすぎる。本当に父さんは……」


 その壁って、今直面してるあれこれじゃなくて、エミールさんのことだな。この状況で動じることなく、鮮やかに次々と手を打っているあの人。


 よく、息子は父親の背中を見て育ち、そして父親を越えていく……なんて言われるけど、確かにあの壁は大きすぎる。


「別に越えなくてもいいと思うけど。親子だっていっても、別の人間なんだし。前も言ったけど、君たちの得意分野って結構違うよ?」


「そうはいかないんだ。あの壁を越えて一人前になって、ようやく……」


「ようやく、何?」


 疑問に思ってセルジュの顔をのぞき込んだら、一気に赤くなった。不思議な反応だ。彼はもうすっかり私に慣れてしまって、めったなことではこんな風に照れたりしないのだけれど。


「まあ、いっか。それはさておき、頑張ろうね」


 いまいち要領を得ないけれど、セルジュはセルジュなりに頑張るつもりらしい。だから私は、彼の肩をぽんと叩いてそう言った。


 セルジュも笑って、そうだな、とうなずいてくれた。それが、嬉しかった。

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