第40話 マリオットはひきこもる

 私たちが無事に聖女印を発動させ、屋敷に戻ってきた時には、エミールはもう一通りの手を打ち終えていた。相変わらず仕事が早い。


 私が湖の聖女印を起動させた時、マリオットの領地とその周辺を緑の光が走り抜けた。


 その直後、マリオット領のすぐ外に待機していた兵士たちは、一人残らず眠ってしまったらしい。前回、使者たちがそうだったように、とっても幸せそうな顔で。


 ありがたいことに、彼らがいたところまで聖女の力が届いていたようだったのだ。敵を排除したい、それもできるだけ穏便に、という私の願いを乗せた、そんな力が。


 そしてエミールの命令で、マリオットの兵士たちは少し前から後詰めの部隊を監視していた。見つからないよう、近くの森に身を隠しながら。


 王国兵たちが居座っている辺りは、ぎりぎり聖女印の効果が及ぶか及ばないかといった場所だった。なのでマリオットの兵士たちは、あらゆる場合に備えて待機していたのだ。


 そうしていたら、王国兵たちが眠ってしまった。なのでマリオットの兵士たちはすぐさま飛び出して、彼らを縛り上げて遠くへと移動させた。ちょうど、こないだの使者と同じように。


「リュシアン君のおかげで、後詰めの部隊も退けることができました。ただこれからも忙しくなります。今のうちに、しっかりと休んでおいてください」


 執務室に大量の書類を広げたエミールは、私とセルジュにそれだけ言うと、またすぐ仕事に戻ってしまったのだった。書類の量が、明らかにいつもより多い。


 彼は普段から、とにかく仕事に追われている。そんなところに、今は王宮の使者やら何やらを追い返し、街道を封鎖するという余計な仕事までもが舞い込んでいた。


「父さん、俺も手伝う」


「あの、僕も。書類仕事くらいはできますから」


 セルジュと私が口々にそう言ったものの、エミールは頑として首を縦に振らなかった。


 仕方がないので、ひとまず離れに戻ることにする。居間のソファに腰を下ろしたとたん、セルジュが深々とため息をついた。


「……本当に、父さんはいつも有能だ……」


 憧れとやるせなさが混ざったような声で、突然彼はそんなことを言い始めた。


「お前も知っての通り、父さんは普段からものすごい量の仕事をこなしている。しかも有事の際には、さらに速度が上がる。見ただろう、さっきの」


 その言葉に、エミールのさっきの姿を思い出す。


 書類を手に取って、一瞬さっと見て、必要な処理をして、処理済みの書類が積み重なった山へ置く。彼はひたすらに、そんな動きを繰り返していた。さっと目を通しただけで書類をきちんと理解できているとしか思えない、そんな動きだった。


「俺もそれなりに実務をこなせる自信はあるが、あの域にはまだまだ到達できそうにない。実際父さんは、俺たちの手伝いは必要としていないんだろうな」


 で、セルジュはそんな父親と自分を比べて、劣等感に襲われているらしい。


「あんな風にやれなくてもいいんじゃないかな? 君なりのやり方でやっていけばいいと思うよ。というか、エミールさんは色々例外な気がする」


 そもそも、事務能力でエミールに勝てる人間なんてめったにいないと思う。


 それに私は、セルジュもきっといい領主になると思う。エミールみたいな驚異的な切れ者の領主ではなく、みんなに慕われて、みんなに支えられる領主に。


「俺なりのやり方、か……何だろうな。俺は、何を活かしていけばいいんだろうか」


「面倒見の良さ」


 そう即答すると、セルジュは濃い緑の目を丸くしてこちらを見た。明らかに、予想外だっていう顔をしている。わあ、自覚なかったんだ。


「君ってさ、色んな人たちに慕われてるよね。それって、君がなんだかんだいって他の人の面倒を見てるからじゃないかな」


「そう……だろうか」


「うん。だってさ、あの祭壇で君と初めて顔を合わせた時、思ったんだ。この人はみんなに頼りにされてるんだなって。だから僕も、ためらうことなく君についていくことにしたんだよ」


「……その、そう言ってもらえると嬉しい」


「まあ、目つきの悪い人だなあとも思ったけどね?」


「おい」


「というか、その目つきは間違いなくエミールさん譲りだよね」


 思いっきり軽口を叩いてから、ふっと静かな声で続ける。


「少なくとも、僕は君を頼りにしてる。君の力になりたいなとも思ってる。きっと他にも、そんな風に思っている人はたくさんいるよ」


 その言葉に、セルジュはそうか、とつぶやいてほっと息を吐いた。どうやら、私の言いたいことは伝わったようだった。


 彼は目つきが鋭くて堂々として頼りがいがあるのに、時々妙に繊細なところがある。


 もっともそんなところも、可愛げがあっていいと思う。強いばかりの男性なんて、偉そうでちょっとげんなりするし。


「それにしても、出会ってから色々あったよね」


「ああ。もう何年も前のことのような気がするな」


 それから私たちは、思い出話に花を咲かせていった。出会ってから何があって、その時どんなことを思ったか、そんなことを。


 そうしているうちに、セルジュの肩の力も抜けていったようだった。聖女としてみんなを守れるのは嬉しい。でもこうやって、個人的にセルジュの力になれるのもいいな。そう実感した。




 王宮の使者と、兵士たちはみんな帰っていった。主だった街道の封鎖も済んで、警備の兵も置いた。目の前に迫った危機は、どうにかこうにか追い払った。


 あとは、ただひたすらひきこもるだけ。エミールによれば、数年くらいは余裕でひきこもっていられるだけの物資がちゃんと蓄えられているとか。


 その数年の間に、王が自滅するか、あるいはどこかで内乱が起こるか。ともかく、何かの形で動きがあるだろう。その動乱を乗り切って、それからこの国がもっとよくなるよう手助けをする。


 それがエミールの、私たちのもくろみだった。まあ、そううまくいってくれれば苦労はしない。何が起こってもいいように、心構えだけはしておこう。


 ……そう、話していたのだけれど。


 事態は、とんでもない方向に動いてしまった。




「……『全ての臣下に告ぐ。我に永遠の忠誠を誓うか、あるいは逆賊として裁かれるか。道は二つに一つ、どちらかしか選べぬぞ』か……」


 王宮からの書状を読み上げ、セルジュがうなっている。久々に、かなり凶悪な顔だ。ただ、そんな顔をしたくなる気持ちはよく分かる。


 ある日、エミールは私とセルジュを執務室に呼んだ。厳重に戸締りをした上で、彼はこの書状を差し出してきたのだ。二人とも、この内容は郊外無用ですよと、そう言って。


「これって……たぶん、僕たちが動き回ったことも関係してますよね」


 マリオットが聖女を引き渡さず、使者を追い返した上ひきこもった。ぼんくらで名高い王が、それに激怒したのかも。


「だが、お前を引き渡すという選択肢はなかった。たった一人で逃がすというものも」


 申し訳なさに縮こまる私に、セルジュがきっぱりと言い放つ。そしてエミールも、やけに悠々と言った。


「このような脅しは逆効果になりかねないのだと、陛下はお気づきではないようですね。一応は予想の範疇内とはいえ、よりによってこう来ましたか……」


 この書状を、ある程度予測していた。そんな発言に、私とセルジュはそろって複雑な顔になる。やっぱりエミールはとんでもない。


「既に臣下の心は、陛下から離れつつあります。ですので、この書状に背中を押される形で反乱を起こす者が出ないとも限りません」


 そんな私たちをちらりと見て、エミールはくすりと笑った。


「それに力で脅そうにも、そもそも王国軍自体が弱体化していますからね。兵力や装備もさることながら、士気が低い。先だっての騒動で、それを確信しました」


 私を連行するためにやってきた兵士たちの一部はエミールの罠により応接間に閉じ込められ、残りもセルジュが押さえ込んでいた。不意をついたとはいえ、仮にも王国の兵士がこんなに弱くていいのかと思っていたけれど、そういうことだったのか。


「一方我がマリオット領は、聖女の力により守られています。攻め込まれたところで、どうとでもしのげますし……十分な数の兵士も集まっていますし、みなの士気も高い」


 なんだろう。まさかと思うけれど、嫌な予感がひしひしと。エミールは慎重だし、思い切ったことはしないよね。


 そう自分に言い聞かせたまさにその時、エミールは世間話でもするような口調でさらりと言った。


「……そろそろ、潮時でしょうね。独立しましょう」

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