第38話 二人きり、秘密の場所で
「父さんが言っていた『いい手』とやらが、まさかここのことだったとは……」
「偶然って怖いよね。というか、聖女にしか見えない洞窟って聞いた時に、たぶんまだなにかあるだろうなって思ってたから、そこまで驚きはしなかったけど。ああ、やっぱりなって思っただけで」
私とセルジュはマリオットの屋敷を離れ、洞窟の中を歩いていた。バルニエ領の湖の斜面に通じる。あの洞窟だ。
万が一王宮の兵士なんかが追いかけてきた時に備えて、乗ってきた馬たちを近くの林に隠してきたから、ちょっと到着が遅くなってしまった。その遅れを取り戻そうと、私たちはせっせと歩いているのだった。
後詰めの部隊には、たぶん使者たちの異変はまだ伝わっていないとは思う。でもだからといって、そちらの部隊が動き出さないという保証はない。大ごとになる前に、早くマリオットの守りを固めてしまいたかった。
「セルジュ、大丈夫? 緊張してない? 手に力が入ってるよ?」
「……いや、問題ない」
この洞窟は、私しか見えないし入れない。だからセルジュと一緒に入るには、こうして手をつないでおく必要がある。前に一緒に探検して、そのことを発見した。
ただなんというか、セルジュはちょっぴりこの洞窟を怖がっている気がしないでもない。得体が知れなさすぎて、警戒してしまっているのだ。
「無理しなくていいよ。そんなにかからないし、外で待っていてくれれば……」
「お前を一人、妙な場所に向かわせる訳にはいかないだろう」
「ここ、基本的に僕しか入れないから、外よりも安全なくらいだけど」
ただ、私は私で……セルジュとしっかり手をつないでいるのが、実のところ少し気恥しかったりする。
けれど、聖女にしか見えないこの洞窟の中で手を離したらどうなるか分からないので、気にしないことにする。……ううん、やっぱり気になる。大きくてがっしりしていて、温かくて……自分の手が、とても小さく感じられる。
「今回はあの聖女の装束を着なくてもよさそうだから、楽でいいな。あれ、綺麗なんだけど……うっかり汚したり破いたりしそうで怖くて。それに、僕にはちょっと豪華すぎるかなって」
ほんの少し速くなった鼓動をごまかすように、ことさらに明るくそんなことを言ってみる。するとセルジュが、ついと視線をそらした。
「いや、そんなことはない。とてもよく似合っていた。その、少し……目のやり場に困るくらいには」
今、この上なくセルジュらしからぬ言葉を聞いた気がする。セルジュが、女性を褒めた? いや待て、男装しているから男性扱いされているだけかもしれない。
思わず足を止め、セルジュの顔をまじまじと見上げる。鼓動が、さらに速くなっているのを感じながら。
今いるのが洞窟の中でよかった。ほんのり壁が光っているだけのここでなら、熱くなった頬もばれずに済む。そんなことを考えつつ、できるだけ軽い口調で返す。
「目のやり場に困るって……あの衣装、肌どころか髪までほとんど隠れちゃってたのに? 普通に男装してる今のほうが、よっぽどあちこち見えてるよ?」
「そういう意味じゃない。…………あの衣装をまとったお前は、素晴らしく美しかった。お前が女性なんだと、嫌でも意識せざるをえなくなるくらいに。まぶし過ぎて、直視できないくらいに」
「ちょ、ちょっとセルジュ! 君は僕が女性だってこと、前から知ってたよね!? 水浴びものぞかれたし、カゲロウのみんなを鍛える時はいつも女装……いや、変装してたし!」
一つ一つ指摘してやったら、セルジュが真っ赤になった。
「その、一つ目は不可抗力で、二つ目についてはお前が俺を尾行していたからだろうが!」
よっぽど照れ臭かったらしく、全力で言い返してくる。洞窟の中に、彼の声がびりびりと響いた。
「とりあえず、顔怖いよ。あと、声大きい」
「お前はこの程度ではひるまないだろうが」
「まあね」
そこまで言い合ったところで、ふとつないだままの手に気づく。二人そろって。そうして、口を閉ざして黙り込む。視線をそらしたまま。ああもう、頬が熱いったら。セルジュも真っ赤だから、まあおあいこ……って、私は何の勝負をしているのだろう。
「……話、変えようか。この中にいる間は、危なくて手が離せないし、気まずくなると面倒だし」
できるだけふてぶてしく、そう言ってのける。セルジュもまだ赤みの残る顔で、こちらを向いてうなずいた。
「……前から気になっていたんだが、お前はこの洞窟を一人で抜けてきたのか……若い女性とは思えないほどの胆力だな」
どうも彼の中では、若い女性というのはか弱いものだということになっているらしい。否定はしないけど。
「この洞窟はそこそこ広くて歩きやすいし、おまけに床も濡れてない。ありがたいことに獣の気配もしない。しかも、なぜか明るい。これなら、山歩きよりずっと快適だよ」
「そうだな。聖女のための洞窟……と考えれば納得もいくが、確かにかなり変わっているな」
「だろう? そして君も知っての通り、僕は普通の令嬢とはまるで違うからね。というか、身分に関係なく、ここまで暴れ回る女性って珍しい気がする」
ちょっぴり苦笑しながらそう言ったら、セルジュは真顔で答えてきた。
「その通りだが、ただ弱々しいだけの女性より、ずっといい。正直、俺は貴族の女性にはいい印象を持っていなかった。……平民の女性以上にすぐ泣くし気絶するし、やたらと色目を使ってくるし……だが、お前といるのは楽しい」
洞窟が薄暗いせいか、他に誰もいないからか、セルジュは恥ずかしい言葉を連発している。それも、おそらくは無自覚に。
「セルジュ、せっかく仕切り直したのにまたくすぐったい感じになってるよ」
でもそれが嫌だと思えない辺り、私もしっかりとこの場の空気にのまれてしまっているようだった。
でも、私だけどきどきさせられているのも何だか悔しい。少し考えて、小声でつぶやいた。
「……私も、あなたといるのは楽しいわ。エミールさんとの結婚から逃げたのが正解だと、そう思うくらいには。あなたが義理の息子になってしまったら、こんな風に一緒に過ごすのは難しかったと思うから」
リュシエンヌの口調でそんなことを告げると、つないだままのセルジュの手から動揺が伝わってきた。そうして小声で、短く答えてくる。
「……ああ」
それっきり、会話が途絶えてしまう。何か話していたほうが気がまぎれるんだろうなと思うのに、話題が思いつかない。
仕方なく、甘酸っぱくてむずむずするような空気の中を黙々と歩き続ける。
早く、洞窟の向こう側に着かないかな。でも、もうちょっとこのままでもいいかもしれないな。そんな相反する気持ちの間で揺れ動きながら、いつもより少しだけゆっくりと歩いていた。
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