第36話 秘密がいっぱい

 凱旋って、何のことだろう。ぽかんとする私とセルジュを連れて、エミールはためらうことなく教会の外に向かっていく。


 そうして彼が入り口の扉を開けたとたん、まばゆい光と共に押し殺したようなため息が聞こえてきた。そろそろと外に出ると、驚くほどたくさんの人々が並んでいるのが見える。


 人々は私を見て、うっとりとした顔でつぶやき始めた。


「聖女様だ……」


「ああ、なんと神々しくも麗しいお姿……」


「さっきの緑の光の、優しいことといったら……」


「ありがたや、ありがたや……寿命が延びますのう……」


 感動したような声が、そこら中から聞こえてくる。


 手を合わせて拝む者、涙を浮かべながら安堵の笑みを浮かべる者。喜びのあまり抱き合う者たち。


 前の聖女がイグリーズに降臨したのは、もう百年も前のこと。彼女の姿をじかに見て、記憶に留めている者は、ここにはいない。


 でも彼女の記憶は親から子へ、子から孫へと語り継がれ、今でもみんなの心の支えになっている。人々のはしゃぎっぷりを見ていたら、そう実感できた。ちょっと、くすぐったい。


 人々の視線を一身に集めながら、聖女っぽく微笑む。と、聞き覚えのある声が耳をかすめた。


「……似てる気がする……髪の色以外、全部……」


「性別が違うだろって言いたいけど、似すぎなんだよなあ……リュシエンヌさんに」


「いやお前ら、落ち着いて考えてもみろ。武術も学問も得意で、おまけに聖女様って、どう考えてもできすぎてるだろ」


「だよね。あのおっかない鬼教官が聖女様なんて……うん、ないない。でもやっぱり、そっくりなんだよねえ……」


 ……ああ、やっぱりばれてるなあ……次にカゲロウのみんなと顔を合わせる時、どう言い逃れるか考えておかないと。


 こっそりため息をついていたら、エミールがそっとささやきかけてきた。


「さあ、そろそろ屋敷まで戻りましょう。君が先頭ですよ、リュシアン君」


 彼を見て、集まった人々を見て。これ、本当に屋敷まで戻れるんだろうか。悩みつつ、そろそろと進み出る。


 と、人々が歓声を上げながら左右に分かれた。わあわあきゃあきゃあと、この上なく嬉しそうだ。


 その声に、自然と笑みが深くなっていく。


 今日、私は聖女の奇跡を起こした。その奇跡がこの町を守り、人々に希望を与えた。


 これでもう、後戻りはできない。逃げられない。『聖女』がその役目を果たし終えるまで、私はここに留まり、力を尽くさなければならない。


 けれどそんな状況になったことを、私は嬉しく思ってしまっていた。全力で頑張るとか、逃げずに立ち向かうとか、そういうのって自分らしくもないなって、そうも思うけれど。


「……僕がみんなを、守るんだ」


 周囲の歓声のおかげで、私のつぶやきは誰にも聞こえない。これは、私一人の決意表明。


 もしこれをみんなに聞かれてしまったら、町の人たちはさらに大喜びされてしまうだろう。エミールはきっと温かい目を向けてくるだろうし、セルジュは感動に頬を染めながら、照れたような表情を見せるだろう。


 うん、想像しただけでとっても照れ臭い。だから、今の言葉は内緒。


 こっそり笑いを噛み殺しながら、それでも優雅に通りを歩いていった。マリオットの屋敷を目指して。




 屋敷に戻ってから、少しだけばたばたした。私は聖女の装束を脱いで丁寧にたたみ、エミールは屋敷の者たちにあれこれと指示を出しにいった。セルジュは、私の護衛としてそばについている。


「……そうやって装束を脱ぐと、いつも通りのお前だな」


「それも当然だよ。この装束のおかげで聖女らしく素敵に見えていただけだもん。脱いだら普通で元通り」


「あ、いや、その……別に、今のお前が素敵でないとか、そういうことではなく、だな……」


「どうしたの? 様子が変だよ」


「別に、俺もいつも通りだ」


 離れの居間でそんなことをわいわいと言い合っていたら、エミールがやってきた。


「……エミールさん、もうすっかりいつも通りだね」


「さっきはあんなに見事な笑顔だったのにな」


 物静かで穏やかな笑みを浮かべたエミールの様子に、ついセルジュとそんなことをささやき合う。するとエミールが、いつも通りの声音で答えた。


「いえ、まさか本当に聖女の奇跡を目の当たりにできるとは思わず、つい浮かれてしまいました」


 エミールが浮かれていた。その事実だけでも私たちにとっては驚くべきことだったけれど、それ以上に聞き逃せない言葉があった。


「今、『まさか本当に』って言った……」


「聖女の奇跡とやらが起こらなかったらどうするつもりだったんだ、父さん……」


「ふふ、確証はありましたから。リュシアン君が聖女であること、そして彼が聖女の奇跡を起こしてくれることについて」


 やけに自信たっぷりに言い放ちながら、エミールは居間のソファにすっと腰を下ろした。首をかしげながら、私とセルジュも向かいのソファに並んで座る。


 そうして、エミールはゆったりと語り出した。


「そうですね、まずは『聖女印』について説明しましょうか。あれは聖女のみが操れるもので、その周囲に様々な奇跡の力をもたらすことができるのです」


「奇跡……使者たちを眠らせた、あの緑の光か?」


「ええ、そうですよセルジュ。リュシアン君はイグリーズの町を守りたいと願ってくれた。その思いが聖女印を目覚めさせ、あの使者たち……この町に敵対する存在を眠らせてくれたのです」


 まあそんなところじゃないかなとは思っていたけれど、改めて言葉にされるとかなりとんでもない。


「つまり、リュシアンがイグリーズを守ってくれているということか……しかしそんな力を使って、リュシアンは大丈夫なんだろうな」


 そしてセルジュは、そんなことを心配し始めた。あ、そういう可能性もあるのか。今のところちょっと疲れただけで、特に何も支障はなさそうだけれど……。


 考えていたら、エミールがちょっぴりおかしそうに微笑んだ。


「問題ないと聞いています。聖女印を発動させる時に、少々疲労するとのことですが」


「あの、聖女の力って……かなりとんでもないものなんじゃ……祈るだけで、あんなことができるなんて……本気を出せば、それこそ国一つくらい乗っ取れそう……」


 エミールの言葉の数々にあぜんとしながら口を挟んだら、彼はくすりと笑って答えた。


「ところが、聖女印を発動できる場所は限られているのです。一般的には『聖なる地』と呼ばれる場所が該当しますね。あるいは『人々の祈りが集まった地』と呼ぶことのできる場所、と言い換えてもいいでしょう」


「マリオット家って、そんなことまで語り継いでいるんですね……」


「いえ、個人的に興味がありまして……父から聞いた話や屋敷に残された記録を元に、あれこれと考察したのですよ。もし聖女の力を借りるような事態になったらどう立ち回ろうかなどと、空想したりもして」


 ちょっぴり気恥ずかしそうにしているエミールに、セルジュと二人して目をむく。


「父さんは、聖女なんて信じていないんだとばかり……」


「僕もそう思ってた……まさか、聖女について研究してるなんて……」


 ぽかんとしていたセルジュが、ふと我に返る。そうして、険しい顔でエミールに向き直った。


「……俺はずっと、聖女の逸話は全ておとぎ話だと思っていた……父さん、どうしてこんな大切なことを黙っていたんだ」


「お前はかたくなそうに見えて案外素直ですから。聖女の力についてそのまま伝えたら、きっと聖女の敬虔な信者になっていたでしょう」


 エミールの穏やかな指摘の言葉に、セルジュが目を見開いた。驚きと、納得が混ざったような表情だ。


「そんなお前が当主となってから、聖女が降臨するようなことになれば……お前はきっと、聖女をあがめたてまつったでしょう。それでは、聖女に余計な重荷を背負わせてしまいます」


「……それは……そうかもしれない……」


 反論も否定もできなかったのだろう、セルジュは呆然とつぶやいた。


 そんな彼をちらりと見ながら、無言で考える。……うん、やっぱりセルジュにあがめたてまつられるなんて、想像しただけで気持ちが悪い。聖女様、なんて呼ばれたら寒気がする。


「だからお前が自分の目で、耳で、頭で聖女について知り、しっかりと考える時間を与えるために、真実を伏せておいたのです。いつか、当主の座を譲る時まで」


 そう語る彼の目は、とても優しかった。そして愉快そうに、口元がきゅっと上がる。


「……まさか、その前にこんな事態が起こるとは思いませんでしたが」


「さすがの父さんも、この事態は予測できなかったか」


「いえ、いずれはこうなると思っていましたよ? リュシアン君がこの屋敷に来た、その時から。ただ、思っていたよりかなり早く状況が変化しているだけで」


 エミールは澄ました顔で、さらりとそう言っている。私とセルジュが顔を見合わせていると、落ち着いた声が聞こえてきた。


「聖女は、ここマリオットでのみ語り継がれる存在です。そして歴代の聖女たちは元々こちらの生まれであったり、何かの理由でよそからこちらにやってきたり……生まれも育ちも、みなばらばらなのです。それどころか、年齢も性別も」


 そういえば、過去に男の聖女がいたって聞いた覚えが。だからこそ、男装している私を、町の人たちはすんなりと受け入れたのだけれど。


「見た目は、ごく普通の人間と何一つ変わらない。そんな聖女を見分ける方法が、一つだけあるのです」


 エミールのそんな一言に、私とセルジュはそろって身を乗り出した。

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