第34話 エミールの策
私とセルジュを連れて、エミールは応接間の前にやってくる。彼がセルジュに何か耳打ちしたと思ったら、セルジュはこくりとうなずいて立ち去ってしまった。
「さて、君にはこれから使者と会ってもらいます。思うまま、素直な心のうちを述べてくださって結構ですよ」
本当にそれで大丈夫なのかと、とっても心配ではある。けれどこれだけ落ち着いているからには、エミールには何か策があるのだろう。それを信じて、おとなしく従おう。
エミールに続き、ゆっくりと応接間に入っていく。使者とその護衛らしき兵士の目が、一斉にこちらを向くのを感じた。
「こちらのリュシアン君が、聖女だと噂されている青年です」
静かにエミールが語り、ちらりとこちらを見る。緊張で口が乾くのを感じつつ、そろそろと話し始めた。入り口の扉の前に、立ったまま。
「僕はリュシアン、旅人です。たまたま、聖女にまつわる場に姿を現してしまったせいで、聖女と呼ばれてしまっていますが」
豪華な制服を着た使者が、遠慮のない目で私をじろじろと見てくる。本当は遠慮なくにらみかえしてやりたいところだけれど、ぐっとこらえる。そんなことをしたら怪しまれる。ここはただひたすらに、ありふれた無害な旅人を演じないと。
「でも見ての通り、僕はごく普通の人間です。ここの人たちによくしてもらってるお礼代わりに、ちょっとした悩みを聞いているだけなんです。ただそれだけですよ」
さわやかにそう答えたものの、使者はさらに険しい顔になってしまう。私がどう申し開きをしようがお構いなしに、連行する気なんだろうなあ。
それでもめげずに、頑張って話し続ける。
「ここの人たちとたくさん話していると、よく分かるんです。みんな、とっても穏やかで善良な人たちばかりなんだってことが。反乱なんて、とんでもない」
そう話しつつも、頭の中にカゲロウの若者たちの面影がちらりとよぎる。
……うん、大丈夫。元々子供のおままごとみたいなものだったし、私とセルジュが二人がかりで手綱を取っているから、彼らも無茶はしない、はず。
あ、でも、聖女が捕らわれたって聞いたら、一気に暴走しそうな気もするなあ……。
ひっそりと冷や汗をかいていたら、使者がゆったりと大きくうなずいた。
「そうですね。貴殿のおっしゃることにも一理あるように思えます」
よかった、分かってもらえた。ほっとした次の瞬間、彼は静かに、しかし重々しく言い放つ。
「ですがそれでも、私は貴殿を捕らえねばならないのですよ、リュシアン殿。それが、陛下の命令ですから」
「えっ、そんな! どうにかならないんですか!?」
思わず声を張り上げたら、彼はふっと目を伏せて答えた。感情のない声で。
「君が素直に捕まってくれればよし、逆らうようであれば、マリオット侯爵とイグリーズの町の者たちを反逆罪に問うこともできます。我々に協力せず、聖女を逃がそうとした罪で」
それを合図に、使者の後ろに控えていた兵士たちが動き出す。とっさに身構えた私の腕に、そっとエミールが触れた。そしてそのまま、すっと後ろに引く。
さほど力をこめているようには思えなかったのに、私の体はあっさりと動いていた。いつの間にか開いていた扉の向こう、廊下に。
そこからのエミールの動きは、見事なものだった。扉の前で何やら忙しく手を動かしていたかと思うと、突然がちゃんという大きな音がしたのだ。たぶん、応接間の中で。
「これで、使者とその周囲の兵士たちはしばらく動けません。今のうちに、移動しましょう」
移動するって、どこに。そして応接間で、何が起こったんだろう。そんな疑問を呑み込んで、エミールに続いて廊下を走る。
「……あの応接間は、罠になっているのです。しかるべき手順を踏むと、部屋のすぐ内側に鉄の檻が下りてきます」
私の心を読み取ったかのように、エミールが走りながらささやいてきた。
「セルジュも同様に、外で待機している兵士たちを罠にかけているはずです。ただ、そこまで長く時間を稼ぐことはできませんし、今のうちに次の行動に移らなくてはなりません」
「あの、それはいったい……?」
「なにぶん込み入った話ですので、のちほど丁寧に説明します」
そう言いながらも彼は執務室に駆け込んで、平べったい木箱を手にすぐ飛び出してくる。そしてそのまま、厨房に飛び込んだ。
心配そうな料理人たちに目配せして、エミールは勝手口から駆け出していく。え、外? と思いながらも、素直に彼を追いかけた。彼はいったい、何を考えているんだろう。セルジュ、無事かな。
そんなことを思いつつ、前を行くエミールの背中をひたすら見つめ、全力で走り続ける。万が一にも兵士たちに見つかるまいとしているのか、エミールはやけにくねくねと、細い路地を走り続けていた。
不思議なくらい、人がいない。町のはずれならともかく、この辺りはいつも誰かしらが歩いているのに、気味が悪いくらいに静まり返っている。きっと、王宮の使者が来たという知らせのせいで、みんな家に隠れて息をひそめているのだろう。
しばらく走っていたら、いきなり目の前が開けた。ここ、町の広場だ。聖女をまつる教会があって、町の人みんなの憩いの場になっている。……ちょっぴり、嫌な予感がした。
そして案の定、エミールはためらいなく教会に入っていく。その奥には、がらんとした部屋があった。突き当たりの壁に美しいステンドグラスがはめ込まれているから、礼拝堂かな。
そのステンドグラスのすぐ前で、ようやく彼は足を止めた。
「ふう、どうやら追っ手の気配はありませんね。それではリュシアン君、これを羽織っていただけますか」
ここまで大切に抱えてきた木箱から彼が取り出したのは、服の上からすっぽりとかぶる形のローブだった。白と青と金を基調としていて、とても優雅で上品な雰囲気だ。
着てみたら、まるで私のために作られたのかというくらいにぴったりだった。身動きするたびに布地がしなやかに揺れ、飾りの金属片がしゃらりと鳴った。
「次は、こちらを。その上から、こちらをどうぞ」
エミールはさらに、うっすら透けたヴェールと、繊細な彫刻が施された金のサークレットを手渡してきた。細かいことは気にせずに、言われるがままそれらを身につける。
……ここには、姿見はない。だから確認はできないのだけれど、今の私、すっごく聖女っぽい姿になっている。
私を礼拝堂に連れてきて、あらかじめ用意されていたらしい衣装で聖女らしく着飾らせて。王宮の使者と兵士たちを一刻も早く何とかしなくてはならないこの状況にはあまりに不釣り合いな行動だけれど、エミールのことだからちゃんと意味があるのだろう。
「よく似合っていますよ、リュシアン君。……それではさっそくですが、祈ってください」
どうにかこうにか自分を納得させたところで、またエミールが妙なことを言い出した。駄目だ、さすがに訳が分からない。
「あの、祈るって……何を、どうやってですか?」
初めて会った時から、エミールはこうだった。判断は正確で、指示そのものも分かりやすい。けれど、絶望的なまでに理由を説明してくれない。セルジュがいてくれれば、いい感じに説明を引き出してくれるのだけれど。
私が思い切り戸惑っていることに気づいたのか、エミールが目を見張った。
「作法については、どのようなものでも構いません。イグリーズの民を守りたい、この地から災いを退けたい、そんな思いを込めていただければ大丈夫ですよ」
みんなを守りたい。ずっとずっと、この町が平和であって欲しい。そんな思いなら、いくらでも込められる。
両手を胸の前で組み合わせて、礼拝堂の突き当たりの壁を見上げた。そこには、とても大きなステンドグラスがはめ込まれている。聖女とおぼしき女性の姿をかたどった、とても美しいものだ。
私と同じ衣装をまとい、慈愛に満ちた笑みを浮かべている聖女をまっすぐに見返して、心の中で力いっぱい叫ぶ。
大切な人たちを、大切な場所を、守りたい。
それなのに、私にはどうすることもできない。私が逃げても、捕まっても、結局みんなに迷惑をかけてしまう。
けれどエミールは、ここで祈れと言った。だったら私が祈ることで、何かが変わるのかもしれない。いや、変わる気がする。
過去の聖女が奇跡を起こしたと、ここイグリーズではそう語り継がれている。もしそれがおとぎ話ではなく、本当にあったのだとしたら。
私にも、できるのかもしれない。自分が聖女だなんて、実は今でも信じていないけれど。でも今だけは、聖女でありたいと思った。奇跡を起こすことができれば、きっとみんなを守れるから。行き詰まったこの状況を変えることだって、できるかもしれないから。
どうか、聖女の奇跡を、今ここに……!
ぎゅっと手をきつく握りしめたその時、体が熱くなるのを感じた。
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