第32話 カゲロウたちの群れ
その二日後、私はまた女装して昼の酒場に顔を出していた。……女装っていうのもおかしな話ではあるけれど、今の状況からするとそうとしか言いようがない。
酒場に集まっている若者たち、彼らを鍛えてやると約束したからというのもある。けれどそれ以上に、どうにも危なっかしい彼らがどうしているのか、気になって仕方がなかったのだ。
「……ほんと、目が離せないわね、ここの人たちは……」
「そうだな。油断していたら何をしでかすか分からない危うさが、いつまで経っても抜けない」
そうして酒場の片隅で、椅子に腰かけてセルジュとささやき合う。
私たちの視線の先には、若者たちが集まっていた。先日より数が多い。そして、先日よりもずっと盛り上がっている。
彼らは、名前を決めているのだった。それも、この集まりの名前を。
俺たちだってもう一人前の組織なんだから、名前くらいあってもいいだろと、誰かが言い出したのをきっかけに。
そして私とセルジュは、盛んに言い合っている彼らを、口を挟むことなく見守っている。
「ほら、さすがに待ちくたびれただろう。せっかく来てくれたのに、すまないな」
セルジュがするりと奥に向かい、冷ましたお茶と干しリンゴの薄切りを手に戻ってきた。
「あなたが謝ることないわよ。これはこれで見ていて飽きないし。ありがとう」
礼を言ってジョッキを受け取り、口をつける。たぶん一時間以上はこうしているということもあって、お茶はとてもおいしく感じられた。
せっせと干しリンゴをかじって、お茶を飲む。ふと視線を感じて隣を見ると、やけに優しい表情のセルジュと目が合った。
「……どうして私を見てるの?」
「いや、お前はうまそうに物を食うなと思って。どちらの姿であっても」
そんなことを真面目に言われて、なぜかついどきりとしてしまう。まずい、何だか顔が熱い。どうにかして話をそらしたい……と思ったまさにその瞬間、酒場に大きな叫び声が響き渡った。
「よし、決まったぞ!」
「俺たちは今日から『カゲロウの叫び』だ!!」
彼らは興奮したまま、わあわあと由来をわめき合っている。
ひらひらと飛ぶことしかできない儚いカゲロウのように、自分たちは無力な存在でしかない。けれどみんなで集まれば、小さな叫びを集めれば、いつか国をも動かせるかもしれない。
そして彼らは、普段はただ『カゲロウ』とだけ名乗ると決めたようだった。呼びやすさと、警戒のために。
こうしておけば、うっかり部外者に名前を聞かれても不審に思われにくいだろうから。何で虫の話をしているんだ、とは思われるだろうけど。
「……ところでカゲロウって、鳴いたかしら?」
「俺の知る限りでは、鳴かないな」
喜びにわいた酒場の中で、私とセルジュはこそこそとそんなことをささやき合っていた。
ともあれ、名前も決まったということで。
私は今まで通りに聖女としての仕事をこなしながら、手の空いた時にここに通ってがんがん彼らを鍛えることにした。
「はいそこ、手が止まってるわよ!」
イグリーズの町のすぐ外の草原に、カゲロウの若者たちがずらりと並んでいる。みんな懸命に木剣を振っているけれど、どうにもこうにも頼りない。
「うう、疲れた……」
「リュシエンヌさん、少し休んでいいですか……」
そして、体力もない。女の私よりすぐにばてるって、どうかと思う。
「駄目。何をするにも、体力は必要よ。素振りが終わったら、みんなで町の外を一周。休憩はそれからよ」
自分も素振りをしながらそう答えると、若者たちが一斉にうめいた。
「お、鬼だ……こんなに可愛いのに、鬼だ……」
「あなたたちこそ、いつまでか弱いカゲロウのままでいるつもり? どうせなら、もっと強い虫になりたいでしょう?」
そう叱咤してやると、みんなは何ともいえない声を出して、それでももう一度木剣を構え直していた。
セルジュがびゅんと勢いよく木剣を振りながら、楽しそうに笑っていた。
そしてまたある日。酒場にきちんと並んで座った若者たちに向かって、声を張り上げる。
「……こういった場合に第一に考慮すべきなのは、安全な輸送路の確保ね。具体的には……」
「ちょ、ちょっと待ってリュシエンヌさん! 速い、速いです!」
今説明しているのは、災害や敵襲などの有事の際に必要となるあれこれの段取りだ。乱れ切っているこの国の力になるには、必要な知識だと思うのだけれど。
「私が話している内容は、そちらの紙にまとめてあるわよ? 『優秀な文官になるために』って、無難な題をつけたものに」
私は話す内容をあらかじめ紙に記して、若者たちに配っておいたのだ。
話しながら彼らに書き留めてもらってもよかったのだけれど、それだとどんな書き方をされるか分かったものではない。合間に『来たる日、新しき時代のために!』とか書かれでもしたら大変だ。その紙を、よその誰かに見られたら……想像しただけで、寒気がする。
その点、私が用意したのは『文官になりたくてたまらないどこかの若者が、勉強用にまとめた一枚』にしか見えないはず。これなら、落としても拾われても大丈夫。
「それはそうなんですけど、難しいです……ついていけない……」
「お、俺はぎりぎり……でもこの紙、すごくよくまとまってますね」
それでも座学は、鍛錬よりもましだった。商人の息子などの、比較的難しい読み書きに慣れた人が交ざっていたからかな。
「……リュシエンヌさんって、何者なんですか……武術に優れてるだけじゃなく、こんなことも知ってるなんて……」
「そこは詮索しない約束だ。ほらリュシエンヌ、遠慮なくしごいてやってくれ」
ぼやく若者に、セルジュがおかしそうに声をかける。妙に気楽なその態度に、首をかしげて問いかける。
「……ねえセルジュ、あなたちょっと楽してない?」
「ずっと一人でやってきたんだ、少しくらい休ませてくれ」
そう言ってセルジュは、ほっとしたように笑いかけてくる。ちょっと釈然としないものを感じながらも、まあいいかとも思えていた。
とまあ、色々ありつつも、少しずつカゲロウの若者たちは成長していった。
セルジュの負担を大幅に減らすことができたし、教え子たちの成長を実感するのも楽しい。案外、こういうのも悪くない。教え子たちがほとんどみんな年上だっていうのが、いまだにちょっと落ち着かなくはあるけれど。
ただ、それとは別に少々、面倒なことも起こってはいた。
「なあ、セルジュ様があんな風に女性と一緒にいることって、今までなかったよな?」
「俺の知る限り初めてだ。それにセルジュ様、リュシエンヌさんがいると表情が柔らかくないか?」
「あ、お前もそう思ってたのか。……大きな声じゃ言えないけど、お似合いだと思う」
カゲロウの若者たちは、いつしかそんなことをこそこそとささやき合うようになっていたのだ。本人たちは内緒話のつもりなのかもしれないけれど、丸聞こえだ。
いつものように町の外で素振りをしながら、隣のセルジュにささやきかける。若者たちの視線がむずむずする。
「……ねえセルジュ、私がここに来る回数、減らしたほうがいいんじゃ……何だかこう、みんなの態度が妙な気がするのよね」
「だが、お前がいると彼らがやる気になるし、俺には話しにくいこともお前になら話せているようだからな。お前さえ嫌でなければ、これまで通りで頼む」
セルジュはそう答えつつも、なんだかちょっぴり様子がおかしかった。私が彼のほうを向くと、露骨に視線をそらすのだ。
「別に嫌じゃないし、私は構わないけれど……あなたのほうが困ってるんじゃないかって気がするの。こちらを見ないようにしながら素振りするの、難しくない?」
「あ、いや、それは……単に、今どうふるまっていいか分からないだけだ。……そもそも俺は、女性が苦手だから」
まるで重大な秘密を暴露しているかのような堅苦しい声音で、セルジュがつぶやく。
「今さら何を言っているのよ。でも私があの酒場に飛び込んでからのあなたは、割と普通にしていたわ」
すかさず小声でそう答えたら、彼は言葉に詰まったように口を引き結んだ。
「……その……お前のことは、別に苦手ではないということに気がついただけだ。その、女性であっても」
「つまり、他の女性はやはり苦手、ってこと?」
「ああ、たぶん。見ての通り俺は体格と顔立ちのせいで、怖いと思われがちでな……うっかり少女を泣かせてしまってから、女性に接するのが怖くなった」
そう語る彼の顔は、久々に凶悪な表情になっていた。うん、この顔を見せられたら、気の弱い少女なら間違いなく泣く。
「逆に、色気をむき出しにして迫ってくる女性もいて、あれはあれでとても怖かった……」
……まあ、彼は男前だし、侯爵家の跡継ぎだし。言い寄る女性もいたんだろうなあ……もしかしてそんな女性を追い払っているうちに、さらに顔が怖くなったとか。
「……あなたはあなたなりに、苦労してたのね」
「そうかもしれない。ただ今困っているのは、もっと別のことなんだ……」
彼の視線が、うろうろとさまよっている。どうしたのかな? と思って顔をのぞき込むと、彼は戸惑いつつも目を合わせてきた。
そんな私たちを、カゲロウの若者たちが興味津々といった顔で見ている。素振りの音が止まって、草原が静かになった。
しかしセルジュは自分に向けられた視線に気づく余裕すらないらしい。口を閉ざしたまま、真っ赤になってうつむいてしまう。それから蚊の鳴くような声で、ぼそりと言った。
「そうやって女性の姿をしているお前は………………可愛い、と思う」
突然飛び出た一言に、今度は私が一気に照れてしまう。
「えっ、ちょっ」
「お前は俺が全力でにらみつけたところで、動じることすらないだろう。その強さは、とても好ましい」
「セルジュ、あなた自分が何を言ってるか、自覚してる?」
「かと言って、俺にこびてくる訳でもない。そのさっぱりとしたところもまた、好ましい」
「ねえ、落ち着いてってば」
わあ、みんなにやにやしてる。早く、セルジュを止めないと。絶対後で、自分のしたことを思い出して落ち込むやつだ、これ。
彼の腕に手をかけて、揺さぶる。しかし彼は優しい目でこちらを見て、さらに続けた。駄目だ、止められない。
「……俺にとってお前は、親友のようなものだと思っていた。だがこうしていると、ただの親友とも違う気がする。何だろうな」
「わ、私は知らないから! 親友でいいの!」
こうなったら、何が何でも話を終わらせよう。セルジュの声をかき消すようにきっぱりと言うと、今度は明後日のほうから声が飛んできた。
「あ、照れてるぞ。ああしてるとリュシエンヌさんも、すっごく可愛いよな」
「ほんとだ。いつもはおっかない鬼教官なのに」
「やっぱりお似合いだな、あの二人」
その声に、セルジュがふと我に返ったようだった。真っ赤になって、真っ青になる。その顔色の変わりっぷりに、ようやく動揺が収まってきた。
「……セルジュ、やっと戻ってきたわね」
「……すまない。俺は、なんてことを……」
「いいの。いい、何事もなかったふりをするの。全力で」
「ああ」
そんなことをささやき合って、私とセルジュはまた素振りに戻った。なおも注がれている温かい視線を、ただひたすらにやり過ごしながら。
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