第31話 現実は理想にほど遠く
このレシタル王国の未来を憂いている、志だけは立派な若者たち。
彼らは私を、まだちょっとおびえつつも歓迎してくれた。セルジュの友人だと紹介されたからなのか、それとも私が彼らを三人まとめてのしてしまったからなのか。
気づけば私は『リュシエンヌさん』と呼ばれてしまっていた。そうして彼らの拠点だという、この酒場の奥を案内されていた。
ここの主、といってもまだ二十代半ばの青年だけれど、彼が若者たちにこの場を提供しているのだそうだ。もっとも、昼間のみだけれど。
裏路地の奥まった一角にある、小さな酒場。そこはやはり、ちっぽけでみすぼらしい場所だった。少々治安が悪いせいで多少騒いでも目立たないし、人や物が出入りしたところで気にされない、それだけが利点の場所。
そんな場所を目を輝かせて案内してくれる若者たちの目は、きらきらと輝いていた。それがまぶしくて、同時にちょっと切なかった。
そうして私は一人、帰路に就いた。さすがに、セルジュと一緒に屋敷に戻る訳にはいかない。
みんなに別れを告げて、足早に進む。まずは町の門から出て、屋敷の裏門に向かわないと。
しかしその途中、思いもかけない顔にばったり出くわしてしまった。栗色のかつらをかぶったままの私の顔を見て、彼ははっきりと目を見張っている。気づかれた。
「あ、エミールさん」
「おや、これはリュシアン君……ではなく、リュシエンヌさんとお呼びすればよろしいのでしょうか」
普段は屋敷の執務室からほとんど出てこない彼が、今日に限って珍しく外に出ていたらしい。のみならず、私と出くわすなんて……中々の偶然だ。
「はい。……このなりをしている間は、私はただのリュシエンヌです」
栗色のかつらにそっと触れながら、小声で説明する。
「……リュシエンヌ・バルニエでも、聖女リュシアンでもなく」
「ふむ、分かりました。そういった格好も似合っていますよ。もしかして、変装して町に買い物に?」
彼の視線は、私が抱えている大きな買い物袋に注がれていた。ちなみにさっき若者たちに襲われた時に振り回したけれど、中身は全部無事だった。
「そうなんです。いつもの格好だと、うかつに町を歩くことすらできませんから……」
「確かにそうですね。いつものことながら、君の変装は見事ですね」
「……でも、今一瞬で見抜きましたよね」
ぼそりとつぶやいたら、エミールが小さく笑った。そしてそれから、ふと何かに気づいたように首をかしげる。
「ところで、朝食からずっとセルジュの姿を見ていないのですが、何か知っていませんか?」
まるで事情を理解しているかのように、彼は的確かつ予想外の問いかけを投げてくる。不意をつかれてぎくりとしてしまい、あわてて取りつくろう。
……でも絶対、ばれたと思う。私が何か隠しているって。エミールは尋常じゃなく観察力があって、おまけにあきれるくらい賢いし。
「イグリーズの町に行く、帰りは遅くなるって言っていました」
冷や汗をかきつつも、できるだけ冷静にそう答えてみる。これなら別に、嘘は言っていないし。……町で出くわして、裏路地まで行ったことは内緒。絶対に内緒。
「そうですか、ありがとう。もしかして、町であの子に出会ってはいませんか?」
「あ、前にあなたに頼まれたこともありましたし、一応彼を探してはみましたが……どこにもいませんでした」
さすがにこれは、言葉をぼかすしかない。彼に会ったことを明かすより、ここを嘘でしのぎ切ったほうが、たぶんぼろを出さずに済むだろう。
しかしエミールは、何事か考え込むような表情になる。うう、沈黙が刺さる。
「分かりました。リュシエンヌさん、どうぞこれからも、あの子のことをお願いします」
とても穏やかな顔で彼が口にした言葉に、思わず目を丸くした。彼はおかしそうに微笑みながら、静かに話し続ける。
「君がそばにいてくれれば、あの子もそこまで無茶はしないでしょうから」
エミールはきっと、私が今嘘をついたことに気づいた。セルジュの隠し事に、私が関わったことにも。
「……ええと、その……はい」
買い物袋をぎゅっと抱きしめて、あいまいにそんな返事をする。どこまでばれてしまったのか分からないという戸惑いと、それでもセルジュの力になるんだという思いを込めて。
それを聞いたエミールはにこりと小さく笑い、会釈するとそのまま去っていった。いつになく、その足取りが軽いように思えた。
セルジュがマリオットの屋敷に帰ってきた時には、もう日は暮れていた。そして夕食後、彼は私と一緒に離れに来ていた。話したいことがあると、そう言って。
居間に置かれた二つのソファに、向かい合うようにして腰を下ろす。
「しかし……昼間のあの女性と、今のお前……顔は同じだというのに、まるで雰囲気が違うな」
「それはもう、長年かけて研究したからね。より男性らしく見えるふるまいとか。……エミールさんにあっさり見破られたことだけは、今でも悔しいけれど」
軽い口調でそう言って、首をかしげる。どうも、セルジュの様子がおかしい。
彼は夕食後、よくここにお喋りにくるようになっていたけれど、今の彼がまとっているのは、いつものそんな気楽な雰囲気ではなかった。
「ねえ、セルジュ。何か言いたいことがあるの? やけに深刻な顔してるけど」
私の問いに、彼はまっすぐにこちらを見た。その強い視線に、射抜かれたような錯覚を感じてしまう。
「……リュシアン、お前の意見が聞きたい。昼間の彼らについて、どう思う」
「……素直に答えると、結構厳しい答えになるんだけど……」
「ああ。むしろ、そういった率直な意見が欲しいんだ。……あいつらを外側から見ることができるのは、今のところ俺とお前だけだからな」
あの酒場に集まっていた中で、国を変えるのだという熱に浮かされていなかったのは、私とセルジュだけだった。そういう意味では、彼が私の意見を欲しがるのも分かる。
深呼吸して居住まいを正し、一気に言い切る。
「……彼らは、ただの寄せ集めでしかない。セルジュがいなかったら、たぶんとっくに自滅してる。何かしら騒ぎを起こして、衛兵に捕らえられて、それで終わり」
ばっさりと切り捨てると、彼はそうだな、と小声でつぶやいた。
「だが、あいつらはそうするしかなかったんだ。俺にはその気持ちが、分からなくもない。だからこそ、あいつらに手を貸してしまった。そうすべきではないのだと、理解していながら」
「……うん。君の気持ちも、分かる。あと、彼らの気持ちも」
セルジュは分かっている。あの若者たちには理想しか見えていないことも、ああやって集まること自体が危険であるということも。
でも彼は、若者たちの思いを尊重し、少しでも建設的な方向に進めるよう、導いている。そのせいで余計な隠し事をするはめになっているし、他にも色々苦労を抱えてしまっているというのに。
「セルジュは、僕よりずっと立派だね」
窓の外に目をやって、静かにつぶやく。彼のほうを見ることなく。
「僕は今まで、面倒ごとからは逃げてばかりだった。父のことが嫌で、見合い話が嫌で、何もかも捨てて逃げ出した」
そうして聖女になって、イグリーズの人たちの、セルジュの役に立ちたいって思うようになった。こんな風に、何かから逃げなかったのは生まれて初めてかも。
「……だから僕には、君がまぶしく思えるんだ。不器用だなとも思うけれどね」
とはいえセルジュは、私とは比べ物にならないほど面倒なことに関わっている。そんなものに臆せず立ち向かうことができる彼を、すごいと思ったのも確かだった。
私のそんな褒め言葉に、セルジュは苦笑する。そして、首をゆっくりと横に振った。
「単に、逃げるだけの度胸がないだけだ。そうして思い切れずにいるうちに、ずるずると逃げられなくなっていって……言葉にすると、少し情けないな」
「……でも、セルジュのそんなところを、僕は信頼しているのかも」
思ったままをつぶやくと、セルジュははっと目を見張った。
「きっとさ、他のみんなも同じなんだと思う。不器用ながらも懸命に、全力で向かい合ってくれる君だから、ああやって大人しくいうことを聞いてくれてるんだと思うよ?」
セルジュは何も言わない。そんな彼の目をまっすぐに見て、ゆっくり微笑みかけた。
「だから、もっと自分に自信持ちなよ。僕も手伝うし、きっと彼らの問題だって何とかなるよ」
「……そうか。ありがとう。お前がそう言ってくれるなら心強い」
ちょっと照れ臭そうに、彼は答えた。その表情は、最初よりも少しだけ和らいでいた。
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