第30話 若者たちの悪あがき
一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。じっくり考えてみたけど、やはり分からない。
「……それって具体的に、どういうこと?」
結局首をかしげながら、そう尋ねることしかできなかった。セルジュは久々に凶悪な顔で、ぼそぼそとつぶやいている。
「この国はもう長くない。いずれどこかで、内乱になる。その時民を守り、新たな統治者の力になるために、俺たちは準備をしているんだ」
やっぱり、セルジュらしくない。もし彼が本当にそう考えたのなら、きちんとエミールに相談して、もっときちんとした形で対策をしていくはずだ。
彼はエミールに色々思うところがあるようだけれど、だからといってそれを理由に行動を誤るほど愚かではない。ずっと一緒にいたから、断言できる。
間違っても、こんな間の抜けた行動に出たりしない。腕っぷしも判断力もろくになさそうな、やる気だけありそうな若者をかき集めて、こんなところでこそこそするだなんて。
「……本当に、そう思っているの?」
セルジュの目をまっすぐに見つめて、静かな声で言い放つ。
「こんなやり方、あなたらしくない」
すると彼は目を見張り、息を呑んだ。私の言葉に驚いているらしい。彼の驚きっぷりに、内心こちらもびっくりしてしまう。
そのまましばらく見つめ合っていたけれど、やがてセルジュが切なそうに視線をそらした。そうして、奥に集まっている若者たちに声をかける。
「みんな、いったん席を外してくれ。俺は彼女と、もう少し話がある」
すると若者たちは、呆れるくらい素直に酒場の奥に消えていってしまった。そうしてセルジュと二人、すっかり静まり返った酒場に取り残される。
「いい加減、顔を突き合わせてひそひそ話をしているのも疲れたからな。お前も座れ」
疲れた様子のセルジュに勧められるまま、近くの椅子に座る。彼も隣の椅子に腰を下ろして、沈痛な声音で話し始めた。
「きっかけは、一人の青年だった」
彼は目を伏せ、遠くを見るような目つきをしていた。
「お前がやってくるよりもずっと前、彼はここイグリーズにたどり着いた。すっかりぼろぼろになっていた彼は、町の門をくぐるなり倒れてしまった」
倒れた彼を、町の人たちはとても親切に介抱したのだそうだ。そして涙ながらに感謝しながら、彼はここまでに何があったのかを語った。
王都の治安は、日に日に悪くなる一方だった。女子供どころか男ですら、一人で裏道を歩くことをためらうほどに。
だから彼は、王都から逃げ出すことにした。彼は身寄りがなかったし、安住の地を求めていた。そしてもう一つ、王都の現状を外に伝えたいと、そう考えたのだ。
ところが、王都に通じる街道の警備は異様に厳しくなってしまっていた。民が逃げ出さないように、そして他の貴族が攻めてくることのないように。王都の中にはろくにいなかった兵士たちが、ずらりと並んで街道を塞いでいた。
彼は大回りし、険しい山を通ることでどうにかイグリーズまでたどり着くことができた。ただ、同じようにして王都を逃げ出そうとした人たちが何人も、その過酷な旅の途中で命を落としたらしい。
青年の口からそんな話を聞いて、イグリーズの人たちは大いに同情し、憤った。そして、自分たちだけ平和に浸っていていいのだろうかと、そう考える者たちが現れた。
彼らはひそかに声をかけ合い、数を増やしていった。人から人へ、そしてよその町へと、噂が広がっていった。この国の未来を憂える者は、イグリーズへ集え、と。
イグリーズに集まる人間。その言葉に、ふと思い出す。
「もしかして『マリオットは反乱のために人を集めている』っていうあの噂って……」
「おそらくは、彼らのことだろう。……前にお前に聞かれた時は、とっさにごまかしたが」
「……確かにこんな話、うかつには打ち明けられないものね……仕方ないと思うわ」
そうして、十代から二十代の若者ばかりのこの集まりは、実に数十名の規模にまでふくれ上がった。セルジュがエミールに内緒でここに来ているのと同じように、みんな家族には内緒で活動しているらしい。
「怪しい動きをしている者たちがいると聞いた俺は、単身この酒場に踏み込んだ。そうして、あいつらがやろうとしていることを知ってしまったんだ」
悲しげな顔で説明していたセルジュが、ぐっとしかめ面をする。これは……呆れているのかも。
「あいつらときたら、まずは手始めに、王都とイグリーズとの間の街道を解放しようと考えていたんだ」
「え……?」
あまりにとんでもない言葉に、勝手にぽかんと口が開いてしまう。
「イグリーズと王都って、かなり……距離があるでしょう?」
「ああ。あいつらの中に裕福な者が何名かいるから、旅費は何とかなると考えたらしい」
「たどり着けばいいってものでも……大体、どうやって解放する気なの? まさか武力行使? 兵士相手に?」
「そのまさかだ」
「嘘……あんなに弱いのに……それとも、他に誰か強い人でも?」
「いないな。全員、間違いなくお前より弱い」
「……あなたが彼らに関わっている理由、分かった気がしたわ」
そうして、二人同時に疲れた微笑みを浮かべる。
この国の現状を憂える心だけはあふれんばかりに持っているものの、ちょっと向こう見ずで、しかも考えなしだ。彼らを放っておいたら、間違いなく大変なことになる。
「だから俺は、あいつらが暴発しないように見張りつつ、人材として育てていくことにしたんだ」
「育てて?」
「ああ。それぞれの素養に合わせて、事務作業や剣術などを教えているんだ。それなら、もしあいつらの存在が外に知られても、『国の力になるために修行していた』で通せる。それに、他に集中できることを与えることで、あいつらの気をそらせるしな」
「そういうことね、納得したわ。でも、あなた一人であの人数を教えているの? 大変じゃない?」
「大変だ。そもそも俺だって、基本の学問と武術を身につけているだけで、他人に教えるほどじゃないからな……正直、もっと教師役がいればと、そう思わずにはいられない」
ため息をつきながら赤い髪をくしゃくしゃとかき乱していたセルジュが、ふとこちらを見て動きを止めた。
「……そうだ」
何となく、嫌な予感がした。話をそらしたほうがよさそうだと口を開きかけたその時、セルジュがきっぱりと言う。
「リュシエンヌ、手伝ってくれ。お前なら問題なく、教師役を務められる」
ああもう、やっぱり。彼が苦労しているのは分かったし、力になりたいとは思うけれど……。
「……でも、ここに『僕』が出入りしてるってばれたら、かなり面倒なことになりそうじゃない?」
思い切り声をひそめて、そう指摘する。彼は一瞬言葉に詰まっていたけれど、すぐにきりりと顔を引き締めた。
「もしそうなったら、俺が全ての責任を取る。お前には迷惑をかけないよう、全力を尽くす」
何をどう責任を取るのかについて、具体的な言葉は何一つない。けれど彼の力強いまなざしに、不安がすっと消えていくのを感じた。
きっとあれこれ起こるんだろうなという気がするけれど、彼がいるなら何とかなりそう。そう思えた。
「……分かったわ。大したことはできないと思うけれど、それでもいいのなら」
苦笑して小声で答えると、セルジュがぱっと顔を輝かせる。晴れやかなその表情に、なぜか見とれてしまった。
「ありがとう、リュシエンヌ。……みんな、こちらに来てくれ」
けれど彼は私のそんな視線には気づかずに、奥に向かって呼びかける。
「彼女はリュシエンヌ、俺の友人だ」
すぐにぞろぞろと集まってきた若者たちに、セルジュが朗らかに言い放つ。きょとんとしていた彼らが、一斉に困惑した表情になった。
それはそうだよね。女性が苦手なセルジュが、よりにもよって若い女性を友人だと言って紹介したら、私だって同じ顔になる。
しかしセルジュはみんなのそんな空気に気づいていないのか、やはり上機嫌で言った。
「これから彼女も、みんなにあれこれ教えてくれることになった。……武術の腕前については、もう十分に確認したな?」
「よろしくね、リュシエンヌよ。一応、護身術くらいなら教えてあげられるわ。私はそんなに強くないから、教師役が務まるといいのだけれど」
続けて私があいさつすると、若者たちは目を見開いて立ち尽くしてしまった。そのまましばらく考え込んでいたようだったけれど、やがてそろそろと声をかけてきた。ちょっぴりおびえながら。
「えっと、よろしく……」
「君みたいな人が手を貸してくれるのは、助かるよ……」
彼らがやけにしおらしくしているのがおかしかったのか、セルジュが笑いをこらえながら口を挟んでくる。
「そう縮こまらなくていい。リュシエンヌは少々変わっているが、とても気のいい女性だからな」
彼はさっきから、やけにご機嫌だ。それに、女装している私にまったく動じていない。そう、さっきのひそひそ話から、ずっと。
おそらく、この場に私が踏み込んできてしまったという異常事態に気が動転して、私が女だということを忘れているのだろうな。
今の彼はちょうど、リュシアンとしての私に接している時と同じような態度を取っているから。
これをきっかけに、女性慣れしていったりしないだろうか。普段の彼の様子だと、奥さんをもらう時に苦労しそうだ。もう十八歳なんだし、そろそろそういった話も出てくるだろうし。
……あれ、今ちょっと、もやっとしたかも。みんなにばれないよう、軽く唇を噛む。
「どうしたリュシエンヌ、ぼうっとして。みんながお前にここを案内したいって言っているぞ」
そんな私に、やはりにこやかにセルジュが声をかけてくる。やはりリュシアンに向けるものと同じ笑顔に、ふっと気分が晴れる。
まあいいか。今は気にしないでおこう。この感じだと、そういう話はもっとずっと先だろうし。
そうしてセルジュに導かれるようにして、奥へ向かう扉へと足を運んだ。
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