第29話 今日は尾行日和

 ひときわ背の高いセルジュの姿は、大通りの人ごみの中でもすぐに見つかった。そしてこちらも、人ごみにまぎれて楽に後を追いかけることができた。誰かを尾行するのなんて初めてだけれど、思ったより簡単かも。


 などと思っていたら、彼はどんどん町はずれのほうに向かっていってしまった。人通りが減ってきて、身を隠しにくくなってきた。


 彼に気づかれてしまった時に備えて、周囲の店を眺めているふりをしながら進むことにしたけれど……もう少し先に行くと、住宅地に出てしまう。


 そこで彼に見つかったら面倒だ。君の家はこちらのほうだったのか、とか尋ねられたら、どう返そう。


 森や山でなら、それなりに尾行できる自信はあった。気配の消し方や、木ややぶに身を隠しながら動く方法について、昔ティグリスおじさんに教わったし、練習もした。


 でもここは町中だから……気配を消してその辺の木の後ろに隠れたりしたら、ただの変な人になってしまう。それにたぶん、余計に目立つし……。


 そうこうしているうちに、セルジュは町の一番端にある裏路地の入り口にたどり着いていた。彼と一緒にこの町を歩いたあの日、酔っぱらいにからまれたあの場所だ。まだ昼前だからか、周囲に他の人間はいない。


 懐かしいなあ、ここ。少し離れた塀の陰で目を細めていたら、セルジュはさっと左右を見て、それから急ぎ足で裏路地に入っていってしまった。


「あの奥って、酒場が集まってるって言っていたような……」


 思いもかけない彼の行動に、一人こっそりと首をかしげる。


 酒場の客はほとんど男だけれど、給仕とか踊り子とかの女性も割といる。しかも彼女たちは、客たちの目を楽しませるために目いっぱい着飾って、愛想を振りまいているらしい。


 といっても、酒場が開くのは大体夕方からだ。そんなこともあって、私は実際に酒場に行ったことはない。


 なので、これまたルスタの町のおばさんたちからのまた聞きの情報だったりする。うちの亭主が酒場の看板娘に鼻の下伸ばしててさあ! とか、べっぴんの踊り子を雇ったおかげで、あの酒場はびっくりするくらいに客が増えたらしいよ、とか、そんな感じの。


 つまるところ、女性が苦手なセルジュにとって、酒場は絶対に近づきたくない場所のはず。まだ昼だから酒場自体は閉まっているけれど、そこで働く女性たちは酒場の二階で暮らしていることが多いらしいし。


「どうして、あんなところに……」


 忍び足で裏路地の入り口に近づいて、慎重に奥をのぞく。一軒の酒場に、セルジュが入っていくのが見えた。迷いのないその足取りに、さらに謎が深まっていく。


 警戒しながら、そろそろと裏路地に足を踏み入れる。辺りは静まり返っていて、建物の横に転がされた酒樽から、かすかに酒の匂いが漂っていた。それに、残飯のものらしきすえた臭いもかすかに。


 顔をしかめつつ、さっきセルジュが入っていった酒場の前に立つ。中からは、やけにたくさんの人間の気配がした。入り口の扉にかけられた札には『閉店中』の文字。


 これだけなら、まだ分かる。店を貸し切りにしてちょっとしたパーティーを開いているのかもと、そう思えなくもない。


 しかし酒場の中は、奇妙なまでに静かだった。まるで、みんなして息をひそめているかのような。


 いよいよもって、ただ事ではなさそうだ。エミールが心配していたように、セルジュは何かまずいことに巻き込まれているのかもしれない。


 買い物袋を探り、目的のものを上のほうに引っ張り上げる。万が一の際、すぐに取り出せるように。


 それから深呼吸して、扉の取っ手に手をかけた。




「不審者だ、捕らえろ!」


「ぼ、僕たちの計画のために、このまま逃がす訳にはあ!」


 酒場の中に足を一歩進めたとたん、左右からそんな声がした。そうして、おそらく男性らしき人間が二人、私を捕まえようと手を伸ばしてくる。


 けれどこの二人、どうやら荒事自体の経験がないようだ。口ではごちゃごちゃ言っているけれど、見事に腰が引けている。


 あわてず騒がず買い物袋を思いっ切り振り回し、二人にぶつけて体勢を崩す。それから買い物袋の中のナイフを取り出した。さっき、上のほうに引っ張り上げておいたものだ。


 今までも、綱を切ったりする用に小さなナイフを持ってはいた。けれどこうして自由になれたのだし、折を見てもっといいナイフが欲しいなと思っていたのだ。木の枝とかも楽に切れる、大ぶりのものを。


 そして町をふらふらしていた時に、たまたまこれを見つけた。一目惚れだった。とはいえ、若い女性がこんなものを買い求めるのはちょっと珍しいから、贈り物にするんですと言い訳をすることになったけれど。


 どうせこれを使う時はリュシアンの格好なんだから、リュシエンヌからリュシアンへの贈り物ってことにすればいい。これなら、嘘にはならない。


 ともかく、その新しいナイフはとても手になじんでいた。さやに収めたまま、二人のすねを順に打つ。うっかり骨を折らないよう、手加減して。


 すると二人は、うめき声を上げながらかがみ込んでしまった。そこに、今度は正面からまた別の男性が突進してくる。酒場に入っただけで襲い掛かってくるなんて、さっぱり訳が分からない。


 この狭い酒場では、腰の革紐は使えなさそうだ。仕方なくナイフ一本で攻撃を受け、さやのままみぞおちに突きを入れ、崩れ落ちたところで刃を首筋に当てる。


「これ以上襲い掛かってくるというのなら、この人の命は保証できないわよ!」


 酒場の奥のほうに集まっている人影に、そう言い放つ。明らかに彼らは、私のことを敵だとみなしているようだった。……これ、もう撤収したほうがいいような……。


「待て! 彼女は敵じゃない!」


 こっそりため息をついたその時、セルジュの声がした。酒場の中に満ちていた殺気が、一気に和らいでいく。彼らの態度の変わりように、驚いて目を見張る。


 そうしている間にも、彼は私の前まで進み出てきた。そのまま私の腕を取って酒場のすみっこのほうに連れていく。


 他の人たちに聞かれないようにしているのか、彼は顔を寄せて声をひそめてささやきかけた。


「リュシア……リュシエンヌ。どうしてお前が、こんなところにいる」


「……ばれてたの?」


「さっきの立ち回りで。あれだけ動ける女はそうそういないし、身のこなしに見覚えがあった。で、こうして近くで見てみれば、やはりお前だった。まったく、どうしてここに……」


 私が普段と違う格好をしているからか、彼はどうにもぎこちない。それでもちらちらと、私のほうを見ている。さて、どう答えたものだろう。エミールの名前は出さないほうがよさそうだし。


「最近、町に遊びに出られなかったから……変装して、こっそり買い物してたのよ。そうしたら、たまたまあなたに出くわして」


 そこまで言ったら、セルジュが目を丸くして私をじっと見つめてきた。徐々に、その顔に理解の色が広がっていく。


「……ちょっと待て、お前、さっき俺が助けた……」


「……今気づいたの? やっぱりさっきは、私の顔を全然見ていなかったのね」


 くすりと笑って、耳元でささやきかける。


「あなたが私に気づいていなかったのが、面白くて……それでつい、こっそり後をつけてしまったの」


 それを聞いたセルジュが、横を向いて深々と息を吐く。


「つい、でここまでやるか……裏路地に一人で入ってくる時点でどうかと思うが、得体の知れない酒場に気配を消して踏み込んでくるなど」


「怪しかったから、一応備えておいたの。案の定、襲撃されたけれど」


「女性の姿でも、そういったところは変わらないな……気配の消し方も、さっきの戦い方も、見事ではあったが」


「ありがとう。これも、昔ティグリスおじさんに教わったのよ。本来は、狩りの時に獣を追いかけるための技術なの」


 軽やかに礼を言ったら、セルジュはこちらから目をそらしたままため息をついた。


「ちなみに俺は褒めていないぞ。あきれてるんだ」


「でしょうね」


 笑いをこらえつつ、そっと酒場の奥に視線を向ける。さっき私に襲いかかってきた三人以外にも、たくさんの若者たちがそこに寄り集まって、私とセルジュをじっと見ていた。


 見た目によらない大暴れをしてのけた私を警戒しつつも、セルジュなら何とかしてくれるだろうと信じ切っている目だ。完全に、セルジュになついている。言い方はおかしいけれど、そんな言い回しが一番ぴったりくる態度だ。


 セルジュ、大勢に囲まれるのは苦手なほうだと思ってたけど……この人たちと、どこでどうして知り合ったんだろう。


 さらに不思議なことに、若者たちの身なりはばらばらだった。割と粗末な格好をした者もいるし、逆に妙に育ちのいい者もいる。


 そしてみんな男性で、十代後半から、二十代前半といったところだろう。趣味の集まりには見えないし、仕事の集まりにはもっと見えないし。


 大体、踏み込んできた部外者を力ずくで捕らえようなんて、どう考えても普通じゃない。


 そんなあれこれを考えつつ、こそりとセルジュに尋ねてみる。


「ところで、あなたこそこんなところで何をしていたの? ……明らかに普通じゃないんだけど、この状況」


 セルジュは困ったように眉を寄せ、小さくうなる。その顔色からすると、やっぱり面倒なことになっているっぽい。


 エミールの読みが見事に当たったなあ、と思いつつ、セルジュの顔をじっと間近で見つめた。早く話しなさいよと、圧力をかけるように。


「……ここでしらを切ったら、お前は勝手にかぎ回って、さらに騒ぎを起こすんだろうな……」


 やがて、そんな私の祈りが通じたのか、セルジュがあきらめたようにつぶやいた。私の行動を正しく予測しているのが、ちょっと愉快でもある。


「……父さんには話さないと、そう誓えるか?」


「ええ、誓うわ」


 これから何を打ち明けられるのか、さっぱり見当がついていない。でも、即座にうなずいた。不謹慎にも、ちょっぴりわくわくしながら。


 セルジュは背筋を伸ばして、厳かに告げた。


「……俺たちは、この国の未来を憂いてここに集っている」

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