第28話 町中を、こっそり堂々と

「……予想以上に、楽勝だったわ……」


 離れを飛び出してから少し後、私はぽかんとしながらイグリーズの町を歩いていた。さっき買った飴を、口の中で転がしながら。




 もちろんここまで、用心には用心を重ねていた。マリオットの屋敷の正面玄関は使わずに、裏門から外の草原に出て、町をぐるっと回り込むように移動してから町に入ったのだ。


 きょろきょろしないように気をつけながら、それでも内心大いに警戒しつつ、町の中心部、人の多いほうに向かってみる。


 聖女だとばれないためには、あまり人目につかないほうがいい。けれど今の私は育ちのいい若い女性にしか見えないはずだから、裏路地や町外れをふらふらしているのはおかしい。だから、大通りにいるのが一番目立たないのだけれど……。


 いつでも逃げ出せるように身構えながら、大通りをゆったりと歩く。けれどすれ違う人たちはみな、私が聖女リュシアンだとは気づいていないようだった。


 これなら、いけそうだ。周囲の反応に気をよくして、もうちょっと大胆になってみる。


 すぐ近くに、気になるお店があった。店先には、可愛い小物や雑貨が並んでいる。ふらりとそちらに足を向け、品物を眺めてみた。


 すると店員が近づいてきて、そちらのスカーフ、今流行ってるんですよと、笑顔でそんなことを教えてくれた。しかも、私に似合うものを一緒に見つくろってくれた。


 結局スカーフを二枚と、それとタンスなんかに入れておく匂い袋まで買って、私はその店を後にした。店員と顔を突き合わせて話し込んだのに、聖女だとばれなかった。やった。


 それですっかり調子に乗って、あっちこっちのお店を見て回った。


 今まではずっと男装していたし、セルジュまでついてきていたので、女物を主に取り扱う店には気軽に立ち寄れなかったのだ。


「ああ、満足……」


 そうして思う存分買い物をして、そろそろ屋敷に戻ろうかなと大通りを離れたのだった。




 ぶらぶらと歩きながら、すっかり小さくなってしまった飴を飲み込む。買い物袋に手を突っ込んで、もう一つ飴を引っ張り出した。


 この買い物袋はしゃれた花柄の、大人っぽい生地の袋だ。荷物が増えすぎたので、まとめようと思って買ったのだ。可愛くて素敵。


 ちなみに飴のほうも、中々の掘り出し物だった。優しい甘みが気に入ったし、喉にもいいのだそうだ。


「よ、そこの君。荷物重くない? 持ってやろうか?」


 二つ目の飴を口に放り込んだその時、にやついた男の声がした。その時、ふと気がついた。


 あ、しまった。この辺って、治安が悪いってほどでもないけれど、ちょっとがらの悪い若者がよくたむろしてるから、女性はまず通らないんだってセルジュが説明してくれた辺りだ。


 ついいつもの感覚で、気にせずに足を踏み入れてた。なるほど、女性が通るとこうなるのか。などとのんびり考えている間にも、若者が二人、連れ立って近づいてくる。


 身なりといい態度といい、いかにも悪そうな……しかし、本当に道を踏み外すほどではない微妙な感じの人間だ。あと数年もすれば、真面目に働いて奥さんと子供を養う立派なお父さんになってたりするんだよね、こういうのに限って。


 バルニエの屋敷にいた頃、よくルスタの町をさまよった。そこでも、こういう連中をちょくちょく見かけた。


 で、近所のおばさんたちがあれこれ噂していたものだ。裏の家の誰々もおんなじようにぐれちゃったけど、今は一家の大黒柱よお、だからあの子もじきにもち直すわあ、とか何とか。


 懐かしいな。ルスタのみんな、元気かな。そんなことを思いつつ、にっこり笑ってばっさり断る。


「大丈夫よ、自分で持てるから」


 ところが若者たちは、一歩も引かない。


「気にするなよ、俺たち暇だからさ」


「良かったら、一緒に遊ばねえか? いいとこ知ってるんだ」


 女の子の口説き方、間違えてるよ。そう言いたいのをぐっとこらえて、もう一度しとやかに、しかしきっぱり断る。


「今日は一人でいたい気分なの。ごめんなさい」


「そう言うなよ。つれないなあ?」


「きっと楽しい時間が過ごせるぜ」


 しつこい。しかも二人して、さりげなく私の行く手をふさいでいる。どうしよう、これ。叫んだら、近くの人たちが駆けつけてくれるだろう。でも、できれば目立ちたくない。こんんなところで聖女だってばれたら、面倒だし。


 悩んでいたら、腕をつかまれた。通りすがりのか弱い女性を力ずくでどうこうしようなんて、さすがにこれは見過ごせない。よし、こらしめよう。


 大体この二人、一目で分かるくらいに弱いしなあ……。普通の女性ならともかく、私なら余裕で勝てる。武器代わりの革紐も、ちゃんと腰に巻いてあるし。こうしておけばただの飾りにしか見えないのが、この革紐の強みだ。


「おい、何をしている」


 空いたほうの手でさりげなく腰の革紐に触れたまさにその時、不機嫌そのものの声がした。って、この声って!


 内心大いに焦る私を無視して、若者たちは露骨にうろたえ始めた。


「あ、俺たちは、その……」


「こちらの女性は嫌がっているだろう。さっさと去れ」


「す、すいませんでしたー!!」


 そんな叫び声と共に、若者たちは走り去っていく。全速力で逃げ出したと言ったほうが正しいかな。


 間の抜けたその姿を見送って、そろそろと振り向く。そこには予想した通り、セルジュが立っていた。


 あーあ、見つかった。どうしてお前がこんなところにいるんだとか何とか、問い詰められちゃうんだろうな。いや、私が女性の姿をしているせいで戸惑ってしまうかも。


 しかし彼の反応は、そのどちらでもなかった。


「その。君……大丈夫か? 怖い思いをしただろう。よければ、大通りまで送るが……」


 なんとセルジュは、やけにためらいがちにそんなことを言い出したのだ。『君』って、もしかして……目の前にいるのが私だって気づいてない?


 彼は私よりずっと背が高いし、私がかぶっているかつらは前髪が長めだ。それにそもそも彼は女性が苦手で、ろくに目を合わせようともしない。これなら、気づかれなくても当然か。


 こちらから名乗るしかないかなと思ったその時、ふといたずら心がわき起こってきた。うつむきながら、無言でうなずいてみる。


「分かった。……こちらだ、ついてこい」


 セルジュは短く答えると、すぐにこちらに背を向け、歩き出した。その広い背中を見つめながら、いつもよりしとやかな足取りで後を追う。


 彼は、ずっと無言だった。大通りに着くとすぐに、別れのあいさつをして去っていった。それも、逃げるように。


「彼、本当に女性が苦手なのね……」


 セルジュの姿が見えなくなってから、ぼそりとつぶやく。


 こうしてみるとつくづく、リュシアンとして彼に出会えてよかったと思う。男同士だと彼が勘違いしてくれたからこそ、私たちは親しくなれたのだから。


 もしリュシエンヌとしてここにやっていていたなら、彼との距離は中々縮まらなかっただろう。今みたいに仲良くお喋りして笑い合うなんて、夢のまた夢だ。


「あ、いけない。見失う前に、追いかけないと」


 買い物が楽しくて、あとセルジュの反応が面白くて忘れかけていたけれど、私はセルジュが町で何をしているのか、様子を見にきたんだった。


 顔を上げて、少し足早に進む。セルジュが去っていった方向へ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る