第26話 和解できてよかった

「しかし、お前も大変だったんだな」


「まあね。でも、案外悪くないところに落ち着いた気がしてる」


 そうして二人、和やかに苦笑し合う。と、セルジュが私をまじまじと見て、首をかしげた。


「しかしそうしていると、貴族の令嬢には見えないな」


「男装してるから当然ではあるけれど、ちょっと納得いかない……」


 眉間にしわを寄せてつぶやくと、彼はあわてて言葉を足した。


「すまない、褒めたつもりなんだ。お前の考え方も技術も、箱入りの令嬢のものとはとても思えない、尊敬に値するものだ。そう言いたかった」


 唐突な褒め言葉にちょっと照れてしまったので、ちょっと話をすりかえる。


「僕の技術は全部、狩人のティグリスおじさんに教えてもらったんだよ。……だから僕も、狩人として生きていこうと思えばいける……んじゃないかな。たぶん」


「たぶん?」


「……獣を狩るのが、ちょっとね……とどめを刺せないんだ。かわいそうで」


「そういったところは、普通に女性らしいんだな」


「普通って、どういう意味だよ。僕は間違いなく女性。水浴び、見たくせに」


 肩をすくめて流し目を送ると、セルジュが目を真ん丸にした。


「こら、思い出させるな!」


「あはは、顔真っ赤」


 そんなことを言い合って、二人で明るく笑う。その時、ふとあることを思い出した。


「そういえば、結局あの噂は何だったんだろう? ほら、マリオットが兵を集めているってやつ。ここで暮らし始めてそれなりに経つけど、そんな気配は少しもしないよね」


 するとセルジュが、さらりと答えてくる。


「このところ何かと物騒だからイグリーズの守りを固めているんだと、父さんがそう言っていた。たぶん、そのことじゃないか? だがよそでそんな噂になっているのは、ちょっとまずそうだな。リュシアン、お前から父さんに説明しておいてくれるか?」


「分かった。それと、もう一つ」


 ひとまず、そちらについては気にしなくてもよさそうだ。ただそれとは別に、どうしてもセルジュに打ち明けてみたいことがあって……。


「……僕が婚礼の馬車から逃げ出さなかったら……僕たち、義理の親子になってたんだよね」


 初めて彼に会ってから、ずっとこのことが気になっていた。彼と親しくなってから、余計に気になった。君が今話しているのは、君の継母になったかもしれない人間なんだよって言ったらどうなるかな、って。


「結婚許可証はまだ取り消されてないはずだから、僕やエミールさんがその気になったら、今からでもそうなれるけど」


 様子をうかがいつつ、そう言ってみる。案の定、セルジュはこの上なく険しい顔になってしまった。


「それだけは絶対に止めてくれ。お前を母と呼ぶくらいなら、家出するからな」


 少しもためらいのないその言葉に、苦笑する。


「あはは……エミールさんも、面倒な息子を持ったものだよね。良くも悪くも意志が強くて、ちょっと潔癖で」


「それをお前が言うか? 俺が面倒な息子なら、お前は家出娘だろう」


「まあ、そうだね」


 ふてくされたセルジュがおかしくて、くすくす笑う。それを見て、彼がさらにふくれっ面になる。面白いなあ。


「でも、リュシエンヌ・バルニエとエミール・マリオットの関係をいつまでも宙ぶらりんにしておけないんだよね。エミールさんに頼んで結婚自体を白紙に戻してもらうのが、一番なのかもしれないけど……」


「俺もそう思う。一刻も早く安心したい」


「ただ『私』が未婚のままふらふらしているって知ったら、うちの父はまた勝手に結婚を決めかねないんだよね。一応、親心ではあるらしいんだけど」


 リュシアンとして過ごすのも楽しいけれど、一生このままというのもどうかと思う。


 うんうんうなっていたら、セルジュがぽつりとつぶやいた。


「だったら、お前と父さんとの結婚をいったん白紙に戻した上で、改めてこれはと思える相手と婚約するのはどうだ? それならお前も、勝手に結婚させられずに済むんじゃないか」


「確かに、それが理想ではあるね。ただ、聖女だとか何だとかのややこしい状況に置かれてる僕、しかもかなり野生児の僕と結婚してもいいっていう物好きを探すのって、かなり大変だと思う」


 自分で言うのもなんだけれど、私は妻としてはかなりの難ありだと思う。隙あらば脱走を試みる籠の小鳥みたいなもので、窮屈な貴族の暮らしにはちっともなじめていないから。一応、普通の令嬢のふりもできなくはないけど……疲れるし。


 そんな私を理解できる相手でなければ、結婚なんて無理だ。そういう意味ではエミールはありなのかもしれないけど、セルジュが全力で拒否しているし。


 それに、どうせ結婚するなら好きな人としたい。お母様とその伴侶たる隣国の王とか、エミールと亡き妻とか、いい夫婦みたいだし。あんな感じで。


 そこまで考えて、驚く。私がこんな風に考えるなんて、信じられない。ずっと、恋愛も結婚も興味ないって言い切っていたのに。


「……探さなくても、いずれ勝手に出てくると思うぞ。そういう物好きが」


 セルジュがちょっぴり照れながら、そんなことを言っている。


「それって、どういう意味?」


「言葉通りの意味だ。だから、気楽に構えていればいい」


「そうかな? まあ、気長に待つか……あ、でも、旦那様を探そうと思ったら、その前に男装を止めないと……」


「いや、それもそのままでいい。お前に運命の相手がいるというのなら、何かの拍子にお前の正体を知ることになるだろうから」


 どうもさっきから、セルジュの物言いがおかしい。照れているような感じでもある。しかしその違和感の正体がつかめないので、どう尋ねたものか悩ましい。


 結局そのまま、のんびりとしたお喋りに移ってしまった。彼とはまだまだ一緒にいるんだし、焦らなくてもいいか。そう自分に言い聞かせて、疑問を胸の奥にしまい込んだ。




 話し足りなさを覚えながらセルジュの部屋を出て、離れに戻っていく。今夜は月に一度の、母とのお喋りの日でもあったのだ。


 セルジュと話し過ぎたせいで、予定の時間に少し遅れてしまった。魔法の手鏡を手に取ると、ご機嫌斜めのお母様の姿が映し出された。


『もう、遅いわよリュシエンヌ。何かあったの?』


「……うん、実はね」


 そうして、今日の昼間からのことを全部語って聞かせた。不満げに唇をとがらせていたお母様が、私の話が進むにつれ驚いた顔になり、目をきらきらさせて笑みを浮かべた。


『あらあ、あらあらあらあ! そうなの、ついに打ち明けたのね! それで、セルジュの反応は!?』


「……母さん、ちょっと落ち着いてよ。……最初は思いっきり驚いてたけど、案外すんなりと納得してた。この格好で、男の口調で話している分には、今まで通りに接してもらえそうだ」


 そう答えると、お母様はぷうと頬をふくらませてしまった。まったく、一国の王妃の表情とは思えない。もっともそんなところも、素敵なのだけれど。


『今まで通り……今まで通りじゃ面白くないわ。もしかしてセルジュは、あなたのことをエミールの妻、継母として認めてしまっているのかしら』


「それはない。僕がエミールと結婚したら家出するからなって、それはもう凶悪な目つきで断言してたから」


『あら、そうなのね! だったらリュシエンヌ、ここは押していくべきよ! 女だってばれちゃったんだし、積極的に迫っていきなさいな』


 熱く語りつつ、身を乗り出すお母様。もう、なんでこんなに乗り気なんだろう。


「あの、迫るって……僕にそのつもりはないよ? そもそも母さんはどうして、そこまで僕を誰かとくっつけたがるのさ。昔からずっと、ことあるごとに」


『だって、大切な娘にも知ってもらいたいんだもの。恋をするって、素敵よ?』


「……でも、さ。今でこそ母さんは幸せだけれど、僕の父との最初の結婚は散々なものだっただろう? おかげで僕は、恋愛とか結婚とか、そういうのに興味が持てずにいる。母さんも知っての通り」


 ぼそりとつぶやくと、お母様の雰囲気が変わった。少女のようにくるくると表情を変えていたその顔に、慈母のような微笑みが浮かぶ。


『……あなたの父との結婚は、双方の親が決めたものだった。でも私はいい妻になるんだって、頑張っていた。けれど結局、そんな思いは裏切られた』


 その声には、ほんの少し悲しさがにじんでいた。でも同時に、お母様にとってそれはもう過去のことでしかないのだと、そう感じさせる何かもあった。


『そうして今の夫と出会い、恋をして……やっと幸せをつかんだの。だからあなたにも、ちゃんと誰かを思い思われる、そんな幸せを知って欲しい。私が望んでいるのは、それだけなの』


「……うん」


『まあ、何があろうと私がついているから、安心して突き進んでごらんなさい。どうしようもなくなったら、そこも飛び出してこちらにくればいいわ。一度、あなたの弟妹にも会わせたいし』


 お母様は隣国ソナートに嫁いでから、子供を二人もうけた。十歳の男の子と、七歳の女の子。


 父親違いの弟妹に当たる二人に、会ったことはない。魔法の手鏡越しに、肖像画を見せてもらっただけだ。弟ルイは母親似、つまり私とも似ている。妹ジャンヌは父親似らしいが、おっとりとした可愛い子だった。


 聖女のごたごたが落ち着いて、遠出ができるようになったら、その子たちに会いにいくのもいいな。このイグリーズの町は、生まれ育ったバルニエの屋敷よりも、ずっとずっとソナートとの国境に近いし。


 そう考えて、苦笑する。今の私は、どうやらここから逃げ出す気はないらしい。そのことに気づいて。


 気に入らない結婚から逃げて逃げて逃げ続けた、そんな私が、ここに留まろうとしている。聖女としてあがめられ、不自由な思いをしながらも。


 それがイグリーズの人たちに対する責任感によるものなのか、それとも違う理由からなのか、そこまではまだ分からなかった。

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