第25話 僕の、私の打ち明け話
食堂の前の廊下で、立ったままエミールと話す。
「……はい。とはいえ、まだ正体まではばれていません。あの、ところで」
エミールの目を、正面から見つめる。彼の明るい緑の目は、とても優しくきらめいている。
「あなたはいつ、僕が男ではないと気づいたのでしょうか。それに、僕の正体にも」
その問いに、エミールは少しためらうような表情を見せた。しかしそれもわずかな間のことで、彼は口元に苦笑を浮かべると、小声でささやいてきた。
「誠に申し上げにくいのですが、君は女性なのだろうと、最初からそう思っていました。セルジュが君を連れてきた時、ああこの方は男装している女性なのだろうな、と感じたのです」
まさか、一目で見抜かれるなんて。男装には自信があったのに。衝撃を受ける私に、彼は小さく首を横に振ってみせた。
「君はとても見事に化けておられました。他者を惹きつけるその中性的な魅力と相まって、ほとんどの者が女性だなどと思いもしないでしょう」
落ち込みかけた私を、エミールは励ましてくれているらしい。
「ですが、ちょっとした仕草や表情に、柔らかさがにじみ出ているのです。華奢であっても、男性にはかもしだせない雰囲気ですね」
柔らかさ……そんなことでばれるなんて。というか、自覚がないのだけれど。
「それに、君は不思議なくらいに気品を備えていました。君と話してすぐに、きっとこの女性は貴族の令嬢なのだろうなと、そう思いました」
会ったその日に、そこまでばれている。エミールの洞察力、どうなっているんだろう。賢い人なのは確かなんだけど……。
「そして君の正体に気づいたのは、リュシエンヌ・バルニエが行方不明だという知らせが舞い込んできた時です」
とても理路整然と、エミールの説明は続く。
「あの時君は、いきどおるセルジュをやけに懸命になだめていました。しかも、リュシエンヌさんを妙にけなすような言葉を使って。普段の君らしくもない発言の数々に、驚いたものです」
そう言って彼は、小さく笑った。
「その時、リュシエンヌ・バルニエについて聞いていたことを思い出したのです。彼女は美しい銀の髪とサファイアの瞳を持つ美しく上品な女性で、意志が強く生き生きとした目をしているのだと」
あとは言わなくてもお分かりですね? とばかりに、彼は意味ありげな視線をよこしてくる。
「もっともセルジュは、何一つ気づいていなかったようですが。それも仕方のないことでしょう。あの子は、他人を疑うことを知りませんから。亡き妻に似て、まっすぐな気性なのです」
「……やはり、彼にきちんと事情を話しておくべきでしょうか……女性であることについてはきちんと話さないといけないなと思っていたのですが、私の正体を明かすかどうかについては、ずっと迷っていて……」
できれば、このままなかったことにしてしまいたい。今まで通り男性としてふるまっていれば、いずれセルジュも落ち着くのではないか。
私のそんな考えを見抜いたように、エミールは静かに答えた。どことなく、切なげな目をして。
「そうですね……では一つだけ、私から助言をいたしましょうか。話す後悔、話さない後悔、その両方を比べて、より後悔が少ないほうを選ぶというのはどうでしょう。……抱え込んだ後悔は、いつまで経っても心の柔らかいところをちくちくと傷つけますから」
彼の言葉に、背中を押された気がした。既に私は、後悔を抱えてしまっている。婚礼から逃げなければ、セルジュに本当のことを話していれば。
これ以上後悔を積み重ねないためにも、そして抱えた後悔を少しでも減らすためにも、取るべき道は一つ。
「ありがとうございます、エミールさん。……それでは、行ってきますね」
エミールに一礼して、歩き出す。数歩進んで、ふと思い出した。
「そうだ、あの……婚礼の時にいただいていた首飾り、あれは取ってあるので後でお返しします」
するとエミールはひときわ嬉しそうに目を見張り、それからすっと目を細めた。何だかちょっぴり、面白がっているように思えなくもない表情だ。
「おや、そうだったのですか。どうか、そのまま君が持っていてください。そのほうが、二度手間にならなくていいでしょうから」
「は、はい……」
やけに含みのあるエミールの言葉に首をかしげつつも、気を取り直してまた歩き始めた。セルジュの部屋を目指して。私の正体と、事情を打ち明けるために。
とはいえ、できることなら逃げたいなという気持ちもやはりあった。ともすると止まりそうになる足をしかりつけるようにして、どんどん進む。
今立ち止まってしまったら、きっと二度と、彼に打ち明ける機会はやってこない。私はきっと、これからも知らん顔して男のふりをし続けてしまうだろう。このマリオットの屋敷を、イグリーズの町を去る、その日まで。
どうにかこうにかセルジュの部屋までたどり着いて、勢いをつけて扉を叩いた。話があるから入れてくれないかな、と言ったら、かなり間を置いて肯定の返事が聞こえた。
「……そこ、座っていろ」
室内に入って、勧められた椅子に座る。セルジュも向かいに腰を下ろして、肘掛けに頬杖をついた。
その間、彼は一度たりとも、私と目を合わせようとしなかった。眉間にはくっきりとしわが寄っているし、久々にかなり凶悪な目つきになっている。
「……話とは、何だ」
「……昼間のこと」
真正面からそう切り出すと、セルジュの顔が一気に赤くなった。
「いや、あれは、その」
「君が見た通り、僕は女性だ。理由があって、こうして男性の姿をしている」
セルジュは黙ったまま、動かない。そんな彼を見つめ、膝の上に置いた手にぐっと力を入れる。そうして、そろそろと次の言葉を紡いだ。
「……それと、ね。私の、本当の名は……リュシエンヌ。リュシエンヌ・バルニエよ」
「リュシエンヌ・バルニエ!?」
弾かれたように顔を上げて、彼は私の顔をまっすぐに見つめた。どうやら驚きが、照れに勝ったらしい。
「ちょっと待て、どうして、そんな、お前が!?」
「……順を追って話すわ」
深呼吸して、説明を始める。
父が勝手に決めた結婚に従いたくなかったこと、マリオットが反乱のために人を集めているという噂を聞いたこと。だから逃げ出して、何もかも捨てて新しい自分としてやり直そうと思ったこと。
「でも、ただ逃げ出したのではすぐに捕まってしまう。だから私は、湖に身を投げたふりをしたの」
けれどそのせいで、エミールやセルジュに心配をかけてしまった。……あと、たぶん、父にも。
ほろ苦いものを感じながら、さらに言葉を続けた。
「湖の崖、その途中に洞窟があることをたまたま知っていたのよ。そこを抜けると、遠くに町を臨む草原に出ることも」
「……先日確かめた、あのおかしな洞窟か」
「ええ。私は花嫁衣裳のまま洞窟に飛び込んで、男装して反対側から出てきた。……そして、あの祭壇の壁にぶち当たったの。あとは、あなたも知っての通り」
するとセルジュは、困り果てたように髪をかき回した。
「……信じられん……どういうことなんだ、その偶然は……」
「全面的に同意よ。私も、あなたの口からエミールさんの名前を聞いた時は、それこそあなたをぶん殴ってでも逃げようと思ったもの」
「……さすがに、それは無理がないか?」
「私もすぐに、そう判断したわ。だから、素直にエミールさんと会うことにしたのよ。まずばれっこないだろうって、腹をくくって」
えりのところに留めたブローチに手を触れ、そっとため息をつく。
「ただ、割と早く彼にはばれていたわ。私が女だってことも、リュシエンヌ・バルニエだってことも」
それを聞いたセルジュが、ふっと顔をゆがめる。牙をむいた犬を思わせる、恐ろしげな表情だった。
「バルニエ伯爵は、娘のことを心配していた。それを知っていて、父さんはずっと黙っていたのか……俺も、彼女が行方不明だと聞いてずっと気にしていたのに……」
独り言のようなそのつぶやきに、そろそろと答える。これ以上、セルジュとエミールの間の溝を広げたくない、その一心で。
「きっと彼は、私のことを気遣ってくれてるんだと思うわ。彼は私を守るために、私を後妻に迎えようとしていたのだから」
「どういうことだ? ……さっきから訳の分からないことばかりで、混乱してきた……」
またしても頭を抱えてしまったセルジュに、エミールが話してくれたあれこれを洗いざらい打ち明ける。
口止めはされていないし、エミールもセルジュと和解したいと思っているのだし、別に話しても構わないだろうと、そう心の中で言い訳しながら。
「……と、いうことなの。だから、予定とはちょっと違う形でやってきた私……というか僕が自由にふるまえるよう、彼は僕が隠したがっていたことについて、周囲には黙っていてくれたんだと思う」
「大体の事情は分かった……と思う。だが……」
深々とため息をついて、セルジュは額に手を当てた。目を閉じて、ぼそぼそとつぶやく。
「……やっぱり、その口調は慣れないな。リュシアンの姿で女言葉を話されると、その……どうしていいか、分からない」
またしても赤くなっている彼に、一瞬きょとんとする。少しだけ考えて、首の後ろでくくっていた髪をほどく。銀色の長い髪を広げて、セルジュのほうに身を乗り出す。
「だったら、これでどうかしら?」
甘くささやくと、セルジュが目を見開いて、それから体をのけぞらせる。女性が苦手なのは分かっていたけれど、こうも露骨に避けられるとちょっと傷つく。
「お、おい、からかうな!」
なんて、先にからかった私が悪いのだけれどね。
「これが私の本当の姿なのだけど?」
笑いをこらえながらもうちょっと迫ってみると、セルジュは懸命に後ずさろうとして、椅子ごとがたんと後ろにずれ動いた。必死過ぎて、ちょっと面白い。
「わがままだなあ」
笑いながら髪をくくり直して、ついでに口調もリュシアンのものに戻す。すると、セルジュはあからさまにほっとした顔になった。分かりやすい。
「ともかく、今まで黙っていてごめん。君に嫌われるかも、軽蔑されるかもって思ったら、中々言い出せなくて……」
ぎゅっと縮こまって、小声でわびる。向かいから、心底不思議そうな声がした。
「俺がお前を軽蔑? どうしてそんな流れになるんだ?」
「だって僕、性別も素性も、君と出会ったいきさつも、何から何まで嘘だらけだったし……」
視線をそらしてぼそぼそとつぶやいたら、今度は朗らかな笑い声が返ってきた。
「だがそれは、仕方なくついた嘘だろう。お前なりに後ろめたく思っていたようだし、軽蔑なんてしない」
「よかったあ……」
ずっと気になっていたことが、ようやく解決した。それも、一番いい形で。安堵にほっと息を吐くと、自然と笑みが浮かんできた。
驚くくらい、胸が軽かった。彼に嫌われなかった、軽蔑されなかった。そのことが、とにかく嬉しくてたまらなかった。
向かいのセルジュも、まだちょっと複雑そうな表情ではあったけれど、まっすぐに私を見て笑いかけてくれた。
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