第3章 僕と私、そして彼

第24話 ついに、知られてしまった

 先日、セルジュはリュシエンヌについて思うところを打ち明けてくれた。そしてその言葉は、迷っていた私を後悔の沼に叩き落とすには十分なものだった。


 それ以来、どうにももやもやとした思いが胸によどんでいる。自然と、ため息が増えていた。


 とはいえ、セルジュにこれ以上迷惑をかけたくない。心配させるのは申し訳ないし、何かの拍子に正体がばれでもしたら、もっととんでもないことになるに違いない。


 だから、何事もないふりをして過ごした。町の人たちの面会も、離れでもお喋りも。


 でもそうやっていると、苦しさは増すばかりだった。いつも通りに朗らかにふるまっている彼の顔を見ていると、申し訳なさがつのっていく。


 そうして私は、一人こっそりと遠乗りに出ていた。セルジュが留守の隙を狙うようにして。彼がいたら、きっと一緒に行こうと言い出すから。


「屋敷を飛び出してきたのはいいけれど……行く当てなんてないんだよね」


 前にも乗ったほっそりとした白馬にまたがり、草原の中をぼんやりとしながら進む。


「この辺りは、僕より君のほうが詳しいよね。どこか、いいところを知らないかな?」


 ふと思い立って、白馬に話しかけてみた。すると白馬はぶるると鼻を鳴らして、進む方向を変えた。


 手綱は軽く握るだけにして、のんびりと周囲を眺める。よく晴れた草原を進むうちに、澄んだ水をたたえた小川が見えてきた。


 白馬は迷うことなく足を進め、小川のすぐ横を歩いていく。その上流側にある、明るい森に向かって。


「……暑いなあ……」


 そろそろ初夏に近づいているからか、今日は暖かい……というより、少し暑い。そもそも、山脈の向こうにあるバルニエの屋敷と比べて、この辺りはかなり暖かいのだ。寒いのには慣れているのだけれど、暑いのはちょっとね。


 しかも体形を隠すための特製の革の下着が、かなり蒸れる。夏になったらどうしよう。布を巻くだけにして、服をもっとゆったりしたものにするしかないかな……でもそうなると、遠乗りや乱闘なんかはできなくなるけれど。


 そんなことを考えていたら、白馬が足を止めた。


「わあ……綺麗な泉だ」


 森の外からずっと続いていた小川が、ぷつりと途切れている。そしてそこには、水底まで見通せるくらいに透き通った泉が姿を現していた。木漏れ日にきらきら輝く水を見ていると、気持ちが浮き立つのを感じる。


 軽い身のこなしで白馬からぽんと降り、泉のそばに膝をつく。そっと水に触れてみたら、とても冷たくて気持ちよかった。


 腕まくりをして、両腕を水に浸す。ひんやりとして気持ちいい。……でも、まだ暑い。というか、この下着を脱ぎたい。できることなら水浴びしたい。


 白馬を近くの木につなぎながら、注意深く辺りを見渡す。ついでに耳を澄ませてみたけれど、人の気配はない。


「……よし、今のうち」


 小声でつぶやいて、手早く着ているものを脱いでいく。汗が乾くように、脱いだ服は近くの茂みに引っかけておいた。


 革の下着までさっさと脱いで、袖なしシャツと下履きだけの身軽な姿になる。そこで、ちょっとだけ迷った。


 野山で活動するなら、うかつに服を濡らしてはならんぞ。特に、下着には気をつけるんじゃ。そんなティグリスおじさんの教えが、どうしても頭をよぎってしまう。服を濡らしてしまうと、体温が下がって命取りになるのだとか。


 とはいえ、ここからマリオットの屋敷まではそう遠くない。だから、別に下着のまま水浴びをしても大丈夫そうではある。今日は暑いから、着たまま乾かせそうだし。


 バルニエの屋敷にいた頃は、いつもメイドたちが着替えやら湯あみやらを手伝ってくれていたから、裸を見られること自体に抵抗はそこまでない。でも、さすがにこんな森の中で無防備に裸をさらすのは、ちょっとね。


 そう考えをまとめてから、泉にそっと足をつけた。


「うわあ、ひんやりしていて気持ちいい……」


 泉の中央に向かって歩いていくにつれ、どんどん深くなっていく。けれど、一番深いところでも私の胸の下くらいまでしかない。でもこれだけあれば、潜れそうだ。


 息を吸って、すっと水の中に全身を沈める。しかし違和感を覚えて、すぐに立ち上がった。……首の後ろで結んでいる髪が、水を吸って動きにくい。いいや、誰も見てないしほどいてしまおう。


 改めて、泉に潜ってみた。澄み切った水の中を進んでいると、まるで空を飛んでいるようで楽しい。。


 潜ったまま岸辺に向かい、立ち上がる。水の中からいきなり私が出てきたことに驚いたのか、白馬がぶるるんと鼻を鳴らした。


「はは、驚いた? ほら、僕だよ。……ちょっと雰囲気は違うかもしれないけど、ね」


 そう答えると、白馬は小さく首を振った。少しばかり戸惑っているような、そんな表情だ。


「……そんなに違うかなあ? まあいいか、もう少し泳いでくるから」


 白馬に手を振って、大きく息を吸う。そうしてもう一度、今度は一番深いところに潜ってみた。


 底の岩に手をかけて、水底に寝転ぶようにしてあおむけになる。きらきら輝く水面越しに、生き生きとした木々と良く晴れた空が見えていた。


 こうしていると、悩みごともふっとんでいきそうな気がする。また時々、遊びにこよう。


 自然と笑顔になりながら、泉の中をぐるぐると泳ぎ続けた。あえて浅いところで寝転んでみたり、水面に浮かんでみたり。思いつくまま、遊んでいた。


 そうして、水の中からざばりと立ち上がったその時。


「リュシアン? 水浴びか……うわっ!!」


 泉のほとりに、セルジュが立っていた。私たちは呆然としたまま、真正面から向き合っていた。




 セルジュは濃い緑の目を思いっきり見開いて、まるで凍りついたかのように硬直していた。


 けれどすぐに、連れていた栗毛の馬にまたがって、ものすごい速さでいなくなってしまった。


「……見られた……見られちゃった……」


 馬の走る音が遠ざかっていって、聞こえなくなって。ようやく、今起こったことが実感できてきた。


 きっとセルジュは、何かの拍子にたまたま近くを通りがかったのだろう。そして、つながれた白馬と茂みにかけられた服から、リュシアンが水浴びをしていると思ったに違いない。そして、気軽に声をかけた。


 でも今の私は、絹の薄い下着しか身につけていない。水浴びをしていたせいで、その下着はぴったりと体にくっついている。胸のふくらみも、細い腰も、柔らかな曲線を描く下半身も、その輪郭ははっきりと見て取れる。


 せめて泉の中央近くにいれば、とっさにごまかせたかもしれない。けれど、さっきの私はよりにもよって浅瀬に潜っていた。今、水は私の太ももくらいまでしかない。


「……女だって、ばれちゃったわ……それはそうとして、恥ずかしい……下着はつけてたけれど、色々見られた……」


 頬がかあっと熱くなってきたので、ざぶんと泉に飛び込む。うん、冷たくて気持ちいい……って、そうじゃない。


「……ひとまず、帰りましょうか……彼にどう説明するのか、道々考えないと……」


 そのまましゃがみこんで、水の中でうずくまる。ため息が泡になって浮かび上がっていくのを、ぼんやりと眺めながら。




 その日の夕食は、何とも奇妙なものになってしまった。いつもと同じように、エミールとセルジュ、それに私で食卓を囲んでいた。


 しかしながら、セルジュの態度だけがまるで違ってしまっていたのだ。


 彼は一度たりとも、私のほうを見ようとしなかった。不自然としか言いようがないくらいに露骨に、私のことを避けている。


 元々、セルジュとエミールの間にはほとんど会話がない。


 エミールは世間話自体があまり得意ではないし、セルジュはエミールと距離を置いている。というか、彼は父親とどう接したらいいのか、つかみそこねているらしい。


 そんなこともあって、いつも食事中の話題はほとんど私が振っていた。


 ところが今日、セルジュはその話題に全く乗ってこない。うう、とかああ、とか、うめき声のようなものを上げるだけだ。というか、ずっと顔が赤い。


 そのおかしな様子に、エミールはうっすらと事情を察したらしい。とても面白そうな目で、私をちらりと見てきた。


 そうこうしているうちに、夕食が終わった。いつもならこの後、私とセルジュは食後のお茶にすることが多い。たまにエミールも交えて。


 なので一応、セルジュに声をかけてみることにした。しかし彼はそれよりも先に、自室に戻っていってしまった。私にくるりと背を向けて、ものすごい勢いで走り去ってしまったのだ。


 見られた私よりも、見た彼のほうが動揺している。本当に、女性慣れしてないんだなあ。そんなことを思いつつ、彼が駆け抜けた後の廊下をぽかんと眺める。


 そうしていたら、背後から静かな声がした。ほんのわずかに震えているような、そんな声だ。


「もしかして……君の隠し事がセルジュにばれてしまいましたか?」


 振り向くと、必死に笑いをこらえているエミールの姿があった。今までで一番、おかしそうな表情だった。

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