第20話 始まりのあの場所へ
それから私たちは、別の場所に向かって馬を走らせていた。すっかり仲良くなってしまった馬たちは、勝手に並んで走っていた。それはもう、仲睦まじく。
おかげでこちらは、時々走る方向を調整してやる以外、何もしなくていい。それくらいに楽な、というか歯ごたえのない遠乗りだった。
「もうじき、あの祭壇が建てられた場所へ着く。あちらの岩壁だが……ああ、もう片付けられているな」
馬を走らせながら、セルジュが遠くを見て目を細める。鮮やかな赤い髪が日の光を受けてきらめいているのが、何だかやけにまぶしい。
「あの祭壇を残しておくのは、聖女を待つという意味もあるんだ。今回は、もうお前という聖女の存在が広まったからな……祭壇も、いつもより早目に片付けたんだろう」
そう解説しつつも、彼の顔はどことなくこわばっていた。気持ちは分かる。あの祭壇がなくなったのなら、岩壁に近づける。ということは、あの問題に直面しなくてはならない。洞窟はあったのかなかったのかという、あれだ。
「思えば、あそこから全てが始まったんだよね……」
「そうだな。もうずっと前のことのように思える」
そんなことを話しているうちに、岩壁のそばまでたどり着いた。セルジュが馬から降りて、岩壁に近づいていく。
「ここが、あの日祭壇が建てられていた場所だ。岩壁に刻まれた目印を頼りに、毎年同じ場所に建てる」
同じように馬から降り、彼の隣に並ぶ。
「……お前は、祭壇の裏の洞窟から出てきたと言っていたな。だがやはり、洞窟は見当たらない」
「え?」
重々しく彼が言い放った言葉に、つい間の抜けた声が出た。
「どうした、リュシアン」
「…………だって、あるよ? 洞窟。そこに」
切り立った岩壁の、私の身長よりちょっと低い辺り。そこに、洞窟の入り口がぽっかりと口を開けていた。それを指さすと、セルジュが眉間にしわを寄せた。
「ないぞ」
「あるってば」
最初はセルジュが私をからかっているのかと思ったけれど、どうやらそうでもないらしい。そもそも彼は、誰かをからかうような人間じゃなかった。
「押し問答していてもらちが明かないし……ちょっと行ってみる」
そう宣言して、さっさと岩壁をよじ登る。そのまま洞窟の中に転がり込むと、ひやりとした空気に包まれた。暗がりに目が慣れてくると、壁や天井がうっすら光っているのも見える。
間違いない、ここはあの日私が通ってきたあの洞窟だ。
「お、おい! リュシアン!」
納得していると、後ろからセルジュの焦り切った声が聞こえてきた。振り向くと、彼は明るい草原に立ち尽くしたまま、途方に暮れたような目をこちらに向けていた。
「ほら、やっぱり洞窟はあったよ」
「お前、今、岩壁にめりこんでいったぞ! 姿が見えないんだが、どこにいる!」
セルジュはこちらを見てはいるものの、その視線はほんの少しそれている。どうやら本当に、私の姿が見えていないらしい。少し考えて、手だけを洞窟の外に突き出してみた。
「なっ!?」
すぐに、セルジュの裏返った声が聞こえてきた。というか、ものすごく驚いた顔をしている。
「そっちからは、どう見える?」
「その、岩壁から……お前の手だけが生えているように見えるぞ」
それは中々に怖いだろう。しかしどうして、私には見えているし入ることもできるこの洞窟が、セルジュには見えないんだろう。
少し考えて、突き出したままの手をひらひらと振ってみせる。
「セルジュ、この手をつかんでみて? そのまま、こっちまで引っ張り込んでみるから」
そう言ったら、彼は顔をしかめてうめいていた。得体が知れなさ過ぎて近づきたくないらしい。彼が見ているだろう光景を想像したら、それも納得できるかも。
でもどうせなら、彼にもここを見せたい。壁が光っていて綺麗だし。
そんなことを考えつつのんびりとそのまま待っていたら、セルジュがこちらに歩み寄ってきた。凶悪なまでの仏頂面で、そろそろと私の手を握る。
と、彼はまた驚きに目を見張った。
「……本当だ、洞窟があるぞ……」
「あれ、突然どうしたの?」
「お前の手に触れたとたん、洞窟とその中にいるお前が見えた。どういうことなんだ……」
また考えて、今度は彼の手を放してみる。考え込んでいたセルジュが、さらに目を丸くした。
「おい、また見えなくなったぞ」
「不思議なこともあるものだね……」
それから二人でしばらく試行錯誤して、いくつかの事実をつかむことができた。
どうやらこの洞窟の存在は、私にしか分からないらしい。だからセルジュや町の人たちは、、この洞窟に気づかないまま祭壇を建てられたのだ。
けれど私に触れていれば、私と同じようにこの洞窟を見て、入ることもできる。セルジュは無意識なのか私の手をしっかりと握りしめたまま、洞窟の中で呆然としていた。
「光る壁、なめらかな床……自然のものとも、人の手が入っているものとも思えない……」
「変わったところだよね。ところで、もう一つ確かめてみない? この中で、僕の手を離したらどうなるか」
「それだけはごめんこうむる。最悪、岩の中に閉じ込められるかもしれないだろう」
セルジュはそう言いながら、しきりに洞窟の出口を気にしている。早く外に出たいらしい。
「僕にしか分からない、そんな洞窟か……」
もしかすると反対側の出入り口、湖の崖に空いたあの穴も、他の人には見えないのだろうか。だとしたら、私が逃げた足取りは、あの湖で消える。もう、追ってこられない。
そう考えてちょっとほっとしている私の隣で、セルジュがぼそりとつぶやいた。相変わらず、私の手をしっかりと握ったまま。
「……まさか、な」
「どうしたの? まさかって、何が?」
「……お前だけに見える、不思議な洞窟……ここはもしかすると、聖女と関係がある場所なのかもしれない」
内心ぎくりとした。私も薄々、そんな気がしていたから。
聖女が奇跡の力を使えるなんて信じていないけれど、でも他に、今の状況をうまく説明できるものが見当たらない。
冷や汗をごまかすように、からかうような口調で答える。
「セルジュにしては珍しい意見だよね。聖女の力とかそういうの、信じてなかったよね? まあ、それは僕も同じなんだけど」
「……その通りだが、今はこう考えるのが一番自然だろう。やはり、信じがたいが……」
「うん、信じたくないし、嬉しくないけど……」
まさか聖女が、本当に特別な力を持っているかもしれないだなんて。あまりのことに、頭が痛くなってくる。
「あのさ、セルジュ……ちょっと、お願いがあるんだけど」
「どうした、ずいぶんとしおらしいな。遠慮せずに言ってみろ」
「この洞窟のこと、できれば内緒にしていてほしいんだ……僕の心の整理が、つくまでは」
「もちろん、黙っている。俺もまだ、この状況が理解できていないからな」
そう言って、セルジュは苦笑する。淡い光に照らし出された彼の顔は、とても頼もしかった。
「……ありがと」
なぜか照れくささを覚えながらそう答えた時、外で馬の鳴き声がした。
「ああ、あいつらも突然置いていかれて困っているな。戻ろう、リュシアン。もうしばらく馬を走らせれば、夕日が綺麗な丘にたどり着ける。そこまで行ってみよう」
気まずいような気恥ずかしいような空気をあえて無視しているのか、セルジュがひどく落ち着いた口調でそんなことを言う。
私もそ知らぬ顔で、にっこりと笑いかけた。しっかりとつながれたままの手を無視しながら。
「へえ、それは見てみたいな。案内よろしく」
そうして二人で、洞窟を出ていった。胸の中に、ざわざわするものを抱えたまま。
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