第19話 リュシアンという仮面
それからももう何人か面会して、私とセルジュがようやく一息つくことができた時にはもう夕方になっていた。そそくさと離れに戻り、居間の椅子に腰を下ろす。
二人きりになるとすぐに、口を開く。ずっと、話したいことがあったから。
「……さっきの話、すごかったね。ほら、過去の聖女のあれこれ」
「そうだな。予想以上にめちゃくちゃだった。あり得ないにもほどがある」
するとセルジュは、疲れたような笑顔を返してきた。やっぱり、私と同じことを考えてた。
「あ、君もそう思う? これでいよいよ、僕は聖女じゃないって確信が持てたよ」
「その言葉、町の人間たちの前では絶対に出すなよ。ややこしくなる」
「分かってるって。そういえば、セルジュもエミールさんから何か聞いてないの? ああいるとんでもない話」
「いや。おそらくマリオットの家にもあれこれ伝わっているんだろうが、父さんからは何も聞いていない。俺が知っているのは、前に話した言い伝えだけだ」
町の人たちは心から聖女を信じ、あがめたてまつっている。だから人々は、昼に話したご婦人のように、代々大切に記憶を語り継いでいるのだ。
けれど、エミールは……とにかく冷静で、頭が切れて……頼りになるのは確かなのだけれど、一筋縄ではいかないところのある人だ。何を考えているのか、次にどう出るのか、いまいち読めないところがある。
「もしかして、わざと君に伏せてるのかな? 理由は分からないけど、あの人ならそれくらいやりそうな気がするし」
首をかしげつつそうつぶやいたら、セルジュがぐっと眉間にしわを寄せた。いつものことながら、せっかくの整った顔立ちがもったいないと思えてしまう、中々に怖い表情だ。
「……『自分の目で見て、自分の耳で聞いたことをもとに、まずは自分で考えてみなさい』。昔からの、父さんの口癖だ」
「ああ、すっごく納得した。エミールさんなら、それくらい言いそう」
「『今はただの一人の人間として、経験を積みなさい。いずれお前がマリオットの当主となる時に、伝えたいことがありますから』とも言っていた」
目を細めて思い出しながら、セルジュが続ける。その口調は、面白いくらい彼の父親に似ていた。
「たぶんその中に、聖女の話も含まれているんだろう。……もっともそれは、今日のあのご婦人が語っていた内容とは大違いなのだと思うが」
それを聞いていたら、自然と笑みが浮かんでいた。
「……エミールさんって、いい父親だね」
くすくすと笑いながらつぶやくと、セルジュの鋭い視線が飛んできた。あわてず騒がずひるまず、悠然と言葉を返していく。
「君の感じたもの、考えたことを大切にするようにって、君の自主性を重んじてくれているんだよね」
「……父さんの場合、自主性を重んじるというより、自分で考えることを強制しているような気がするんだが」
「それでも、うらやましいよ。いいなあ」
ついつい本音を漏らす私に、セルジュが目を丸くした。
「……お前の父親は、そんなにひどい人物だったのか? お前が話したがらない様子だったから、お前の家のことを聞けずにいたんだが」
「うん。父は僕の意志なんて、まるで無視していた。あの家では、僕はただのお飾りのお人形だったんだ。こうして自由になってみると、もうあそこには戻りたくないなって、心からそう思うよ」
うっかり身の上を語ってしまったら、そこから私の素性がばれてしまうかもしれない。だから今まで、自分の家のこと、家族のことについてはあいまいにぼかしていた。
……もっとも、エミールには既にばれているのかもしれないけれど。しかし彼は、相変わらず何も指摘せずに淡々と接してくる。私の正体を知っているのかいないのか、ちょっと分からなくなってきた。
ともかく、セルジュに私の過去をちょっとだけ話してみたいなと、ふとそんなことを思ったのだ。
「……そうか。思っていた以上に、大変だったんだな……」
そしてセルジュは、とても深刻な顔になってしまった。ほんの少ししか話していないのにこの反応って、私の生い立ちを全部聞いたらどんな顔をするんだろう。
などという好奇心を押し込めて、さらりと話をそらすことにする。いつまでもこの話題を続けていたら口を滑らせそうだし、セルジュが暗い顔をしているのは面白くないし。
「ところで、そろそろ気晴らしがしたいんだけど。どこか、いい場所を知らない?」
そして、次の日の午前中。
私とセルジュは二人して、馬に乗って草原をのんびりと進んでいた。私が乗っているのは華奢な白馬で、彼が乗っているのはがっしりした栗毛の馬だ。
毎日面会ばかりだと疲れてしまうので、定期的に休みを設けることにしていた。今日と明日は、丸ごとお休みだ。なので気晴らしに、屋敷からも町からも離れて羽を伸ばすことにした……のだけれど。
「……君まで付き合わなくても、大丈夫だよ? イグリーズ周辺の地形はもう頭に入れたし、この辺には危険な獣も賊も出ないって聞いてるよ」
最初私は、一人で遠乗りに出るつもりだったのだ。セルジュにおすすめの場所を聞いて。
思えば私がイグリーズに来てから、ずっと彼が一緒にいてくれた。最初は、私の護衛兼道案内として。そして途中からは、面会の時の付き添いとして。
なりゆきでそうなったとはいえ、かなり色々付き合わせてしまった。だから私が息抜きをしている間くらい、彼にも自由にしていて欲しかったのに。
「確かに、この辺りは特に安全だ。だが、万が一ということもある。……いや、そうではなくてだな」
並んで馬を走らせながら、セルジュが困ったように口ごもる。
「……俺も、気晴らしがしたかったんだ。お前と一緒に」
「僕と一緒に? 普段からずっと顔を突き合わせているのに?」
思いもかけない言葉にきょとんとする私に、彼はぼそぼそと小声で返してくる。
「確かに、その通りなんだが……その……」
馬を止め、彼の声に耳を澄ませる。彼もまた馬を止めて、こちらを見ずに続けた。
「お前といると、なぜか謎が増えていく。知りたいと思ってしまう。だから、もっとお前と一緒にいたい」
えっと。これはあくまでも、男性同士の友情を深めようという意味のはず。なのだけれど、セルジュときたら真っ赤になってしまっている。
こういった言葉、言い慣れてないんだろうな。昔、ルスタの町でこんな風に照れている少年を見たことがあるけれど、あの子は八歳くらいだったか。セルジュ、もう十八歳なのに。
「ああ、お前が一人になりたいというのなら、引き返すが……」
耳まで赤くなったまま、軽くうつむいてセルジュが言った。いつものちょっぴり怖い雰囲気はどこへやら、まるで恥じらう乙女だ。
「あ、別に、あなたが邪魔だとかそういうのじゃなくて!」
とっさにそう答えたものの、私の声も口調も、いつものリュシアンのものとはほんの少し違ってしまっていた。焦った拍子に、本来の私、リュシエンヌがちらりと顔をのぞかせていたのだった。
そのことに、内心大いに驚く。五年前、十二歳の時にリュシアンを演じ始めてから、一度だって女性だとばれたことはない。私の変装は完璧だった。見た目も、ふるまいも。
それなのに、セルジュの一言で、リュシアンの仮面が一瞬外れた。……照れる乙女なら山ほど見てきたし、今さら動じる理由なんてないのに。
幸い、セルジュは私の変化に気づいていないらしく、うつむいたまま動かない。今のうちに、ごまかしてしまわないと。
私がリュシエンヌ・バルニエだとばれたら、きっと彼は今まで通りには接してくれなくなる。それは、彼が女性慣れしていないからというだけではない。
彼はとてもまっすぐで、嘘やごまかしは嫌いだ。リュシエンヌが行方不明だと聞いて、彼は本気でいきどおり、彼女の身を案じていた。でも私はリュシアンとして、そんな彼のそばで知らん顔をしていた。そのことを知られてしまったら、きっと嫌われてしまう。
それは嫌だ。私は、こうやって彼と友人同士、のんびりと過ごす時間が好きだから。
「その、僕も君と話したいとは思ってるよ。ただ、君こそ一人の時間が必要なんじゃないかなって、そう考えただけだから」
いつものリュシアンの軽い調子を思い出しながら、すらすらとまくしたてる。
「僕があの祭壇にうっかり姿を現してからというものずっと、君のお世話になりっぱなしだし……せめて休みの日くらい、迷惑をかけないように……って、ちょっと、セルジュ!?」
一生懸命に喋っていたら、セルジュがこちらに身を乗り出してきた。突然のことにびっくりして、また声が裏返る。
セルジュは、もう落ち着きを取り戻していた。彼はとても優しい目で、私が乗っている白馬を見つめていた。その手が、白馬の首にそっと触れる。
馬を止めたまま立ち話している間に、私たちが乗っている白馬と栗毛の馬が、勝手に歩み寄っていた。しかも、仲良く毛づくろいをしている。そのせいもあって、自然とセルジュとの距離が近くなってしまっている。
「……父さんが、お前たちの伴侶をそれぞれどうするか悩んでいたんだが……そうか、お前たちがつがいになるのか。似合いだな」
その言葉に、また動揺してしまう。この状況で伴侶だとかつがいだとか、そんな言葉をさらりと出さないでほしい。馬の話だと分かっていても、心臓に悪い。
そう考えて、ふと首をかしげる。ちょっと待って、そんなことで動揺するなんて、これじゃあ私、まるで……。
「あ、そうだ。セルジュ、ちょっと行ってみたい場所があるんだけど」
一瞬頭をよぎった考えを全力で振り払って、ことさらに明るい声を張り上げる。セルジュと目が合った拍子に心臓がぴょこんと跳ねた気がしたけれど、どうにかこうにか踏みとどまった。
手綱を握り直して、いつも以上に軽やかに笑いかけた。リュシアンとしての笑顔で。
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