第18話 聖女様のお悩み相談
マリオットの屋敷に戻るなり、私とセルジュはエミールの執務室を訪ねていた。というか、駆け込んでいた。そうしたら、明らかにぐったりした様子のエミールに出迎えられた。
「どうにか、町の方々には帰っていただきました。聖女リュシアンはこの屋敷で暮らしているらしい、という噂が広まっていることは知っていましたが……まさか、こんな行動に出てしまうとは……」
いつもよりほんの少し早口でそう言って、エミールはため息をつく。
「ともかく、リュシアン君はしばらくこの屋敷から出ないほうがいいでしょう。君がもし町に顔を出せば、それこそもみくちゃにされかねません」
どうやらエミールも、現状には困ってしまっているようだった。
ここレシタル王国は乱れ、人々の間には不安が満ちている。イグリーズの町の人たちは、聖女に救いを求めるだろう。そこまでは彼も、そして私たちも予測していた。
ただこの場の誰一人として、こんなに早く事態が動くなんて思っていなかったのだ。
意を決したように顔を引き締めて、セルジュが進み出る。
「……父さん。町のみなの不安を少しでも和らげなれないか、俺たちで考えてみたんだが……」
さっき森の中で話し合った内容を、二人で順に話していく。いつもはあまり表情を変えないエミールの目が、話が進むにつれ大きく見開かれていく。彼は無言のまま、私とセルジュを交互に見ていた。
「……お前がそんなことを言い出すなんて、予想外でしたね。私と同じく、お前は『聖女』に頼ることをよしとしないと、そう思っていたのですが」
「ああ。その考えは、今でも変わらない。だが、リュシアンが申し出てくれた。みなの力になりたいのだと」
するとエミールは、もうすっかり真ん丸になってしまった目をこちらに向けてくる。それから数回瞬きをして、くしゃりと笑った。
「……そうですか。こんな面倒ごとに巻き込まれながらも、そう言っていただけるのですか……ありがとう、リュシアン君。私も全力で君を支えます」
そうして彼は、軽く頭を下げてくる。感謝の意を込めた会釈なのだと分かっているけれど、彼が侯爵家の当主だということを鑑みると、かなりとんでもない行いだ。
そういえば、前にもセルジュに頭を下げられた。本当にもう、妙なところが似ているな、この親子。でも、悪くはない……むしろ、好ましいと思う。
あーあ。これくらい尊敬できる人が父親だったらいいのにな。セルジュがうらやましい。
こっそりとそんなことを考えつつ、こちらもぺこりと頭を下げた。頑張りますと、そう答えて。
そうしたやり取りから、一週間ほど後。
「まああ! 本当に聖女様だわ! 男性だなんて信じられないくらいに美しくて清らかで、それにとびきり気品があって!」
向かいに座った中年女性が、これでもかというくらいに褒め言葉を浴びせかけてくる。その猛烈な勢いに、私は完全に圧倒されていた。
きゃあきゃあと騒ぎながら私を見つめているふっくらした彼女は、ここイグリーズでも特に裕福なことで知られる商人の妻だ。その後ろでは、彼女の供をしてきたメイドが二人、やはり幸せそうな笑みを浮かべていた。
普段は夫以上のやり手だというご婦人は、今では恋する乙女のように頬を染めて、まっすぐに私だけを見ていた。私の後ろに控えているセルジュのことは、全く視界に入っていないらしい。
今私たちは、二人で考えた『民の不安を多少なりとも取り除くことができるかもしれない活動』の真っ最中だった。名付けて、『聖女様のお悩み相談』。
私たちはマリオットの屋敷の一室を借りて、そこに町人たちを少しずつ呼び、話を聞くことにしたのだ。何か困っていることや、要望などはありませんか、と。
町の人たちは私に……というか聖女に、ただならぬ信頼を寄せている。そんな私になら、町の人たちも悩みを打ち明けてくれるかもしれない。エミールやセルジュには気兼ねしてしまって話せないような、そんなことも。
直接聖女に相談できるだけでも心は軽くなるだろうし、ものによってはエミールに頼んで解決してもらうことができるだろう。そうやって地道に活動していけば、少しは町の空気も変わるかな、と思ったのだ。
「聞いてくださいな、聖女様。何だか最近、ネズミやカラスが多い気がして。これも、余が乱れているというあかしなのかしら……」
ひとしきり騒ぐと、女性はそんなことを言い始めた。彼女だけでなくこれまでに呼んだ他の人たちも、みんなあっさりと悩みを打ち明けていた。初対面の私に。
ここイグリーズでは、みんな小さな頃から聖女についてのあれこれを聞いて育つ。
けれど、聖女が最後に降臨してきたのはもう百年は前のことだ。だからきっと、聖女はもうおとぎ話のようなものになっているのだと、そう思っていた。セルジュもエミールも、聖女については妙に冷静だったし。
町の人たちが屋敷に押しかけてきたこともあったけれど、あの時は集団になったせいでついついやり過ぎただけだと思っている。だからこうやって一人ずつ話を聞けば、もっと冷静になってくれると……思ったんだけどなあ。
いっそ求愛されているんじゃと勘違いしそうになるくらいの熱い視線を受け止めながら、にこやかに答える。
「たぶん、こないだの冬が暖かかったから、いつもより多くのネズミやカラスが冬を越してしまったのだと思いますよ」
狩人のティグリスおじさんから教わったことを思い出しつつ、言葉を続ける。
「食物のくずや料理の残り物などをできるだけ早く片付けて、町を清潔に保てば、そのうちそういった生き物たちも減りますよ。安心してください」
「ああ、なんて頼もしいお言葉……さすがは聖女様ですわね……!」
そうして、ご婦人はまた感動したように目を潤ませた。
こんな感じで、今のところは重大な悩み事は出てきていない。私が相槌を打ったり軽く助言したりするだけで勝手に解決してしまうのが八割くらい、後でエミールに報告すればどうにかなるものが二割。
「ああ、それにしても、まさか私が生きているうちに聖女様が降臨されるなんて! 子々孫々まで語り継がなくっちゃ!」
「……あの」
まだ歓喜に打ち震えているご婦人に、そっと声をかける。ずっと、町の誰かに聞いてみたいことがあったのだ。
「あなたは、本当に僕が聖女だと信じているのですか? 僕はたまたまあの祭りの日、うっかり祭壇の裏から出てきただけなんですが」
すると彼女は、力いっぱい首を横に振った。
「たまたま、ではありませんわ。その偶然こそが、あなたが聖女様であるというあかし! どうぞ、自信を持ってくださいな!」
「……はあ」
「ふふ、それに私たちのことをこんなにも心配してくれて、わざわざ悩み事を聞いてくれる方が、聖女様でないはずないわ」
背後のセルジュが、笑いをこらえているような気配がする。全くもう、他人事だと思って。
「当代の聖女はとっても慈悲深い方なんだって、これからも語り継いでいかないと!」
しかしその時ご婦人が口にした言葉に、引っかかるものを感じる。
「すみません、『これからも』って……もしかしてあなたは、過去の聖女の話を知っているんですか?」
「ええ、もちろんです」
そうして彼女は、うきうきと語り出す。イグリーズの人々は、親から子へ、そして孫へ、代々聖女の偉業を語り継いでいるのだと。
まあ、そこまでは分かるんだけど……その内容に、今度は私が笑いをこらえる羽目になった。
かつて、イグリーズの町に盗賊の大群が押し寄せてきたことがあった。しかし聖女の守りの力により、賊は一人たりとも町に入れなかったのだとか。
また、ひでりが続いて町が危機に陥った時、聖女の祈りに応えて雨が降ったとか。
さらにある時は、暴虐の限りを尽くしていた当時のマリオットの当主を、聖女が改心させたとか。
……絶対これ、尾ひれがついてる。あり得ない。冗談抜きに、おとぎ話だ。
背後のセルジュは、どんな顔をしているのかなあ。後で彼の意見を聞いてみたい。
それはそうとして、私はそんな聖女たちと同じようなものだと思われているのか……なるほど、みんなが盛り上がる訳だ。こちらとしては、たまったものではないけれど。
こっそり頭を抱えながら、それでもそ知らぬ顔でさらにご婦人と話す。やがて彼女は、メイドたちを引き連れて帰っていった。とっても満足そうな顔で。
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