第17話 森の中での語り合い

「座らないのか、リュシアン。おそらくこの事態が落ち着くまで、たっぷり一時間はかかるだろう。町のみなはここまで追いかけてはこないだろうから、警戒しなくてもいい」


「あ、うん」


 勧められるがまま草地に腰を下ろして、顔を上げる。と、セルジュと真正面から目が合った。


 その拍子に、さっきのことを思い出してしまう。いきなり町の人に囲まれて、そこからセルジュが助け出してくれて。で、彼も必死だったのか、私を抱きかかえたままここまで走り続けて……。


 あ、駄目だ。急に恥ずかしくなってきた。さっきまでの私たち、客観的に見たら結構とんでもない姿だった。


 私を男だと思っているセルジュは気にも留めていないのだろうけど、私は恥ずかしい。年頃の乙女として、若い男性に抱きかかえられるなんていうのは割と一大事だ。


 急いで立ち上がり、くるりと彼に背を向ける。火照った頬を、見られないように。


「ちょっと待ってて、少し探し物をしてくる」


 彼の返事を待たずに、そのまま駆け出していった。春先の、明るい森。ここなら、きっとあれがあるはずだ。ティグリスおじさんに教わったことを思い出しながら、きょろきょろと辺りを見渡す。


 あ、あった。よく日の当たるところに生えている低木、その細い枝には赤くて小さな丸い実が鈴なりになっていた。一枝だけ手折って、またセルジュのところに戻ってくる。


「はいこれ、どうぞ。さっき助けてもらったお礼」


「この木の実……見たことはあるな。もしかして、食べられるのか?」


 セルジュは素直に枝を受け取り、赤い実をまじまじと見ている。こういう実って、おいしそうに見えても毒があったりするから、正体がはっきりしない場合は口にしないのが普通だ。


「うん、おいしいよ。昔、おじさんに教えてもらったんだよ。ほら、僕の恩人の、あの狩人のおじさん」


「ああ、彼か。ならば、食べても大丈夫だろうな」


「あ、でも、熟し切ってない実はものすごく酸っぱいんだよね。それはそれで、健康にいいんだってさ」


 そう話していると、頭の中でおじさんの声が聞こえてくるような気がした。


 この赤い実は栄養があって、疲労回復にはとてもいい。見つけたら、一枝だけもらっておけ。


 実を食べた後は、枝をその辺の地面に挿しておくようにな。この木はとても生命力が強いから、そこから新しく木が生えていく。狩人たちはそうやって、この木をあちこちに増やしているんじゃ。狩りの間の、そして旅の間の助けとなるように。


 懐かしさと寂しさに、胸がぎゅっと苦しくなった。唇を噛みしめて顔を上げると、赤い実を口にして顔をほころばせているセルジュの横顔が目に入った。まるで子供のように無邪気なその拍子に、またちょっとどきどきしてしまう。


 どうにもこうにも、いつもの調子が出ない。今日の私、何か変かも。


 もっとも、朝っぱらから町の人たちに取り囲まれて、セルジュと二人でこんなところに逃げ込んでいるのだから、それも仕方ないのかもしれない。うん、そういうことにしておこう。


「ふむ、確かに甘いな。この実がこんなに美味だったとは知らなかった。……うっ」


 そんなことを考えている間も一粒ずつじっくりと味わっていたセルジュが、ふと動きを止めた。そうして、ぎゅうっと顔をしかめる。どうやら、酸っぱい実に当たってしまったようだった。


「あ、外れを引いたね。ちゃんと熟れてるのを見分けるのはかなり難しいんだ。実は、僕もよく分からない。ティグリスおじさんは完璧に見分けてたけど」


 彼の様子がおかしくて、声を上げて笑う。ようやく、彼の目をまっすぐに見ることができた。


「おい、なぜそこまで笑う。別に面白いものでもないだろう」


 セルジュが不機嫌そうに言った。顔はとびきり怖いけれど、本当に怒ってはいない。それが分かるくらいには、私は彼の表情が読めるようになっていた。


「ううん、面白かった。いい顔してたよ」


「だったら今度は、お前が食べてみろ」


「ええっと……僕、今は特に疲れてないし? それにその実、さっきのお礼だし?」


「いいから食え」


 そうやって二人にぎやかに騒ぎながら、赤い実を食べ終えた。ティグリスおじさんの教えについてセルジュに説明しながら、枝を地面に挿す。


 そうやって一息ついてから、ふと思ったことを口にした。


「ところで、僕たちいつまでここにいればいいのかな。屋敷に戻って、まだ町の人たちがいたら面倒なことになりそうだけど……」


「大丈夫だ。あちらが落ち着いたら、父さんが使いを出してくれる。俺たちはここで待っていればいい」


「えっ、ここに行くって、あらかじめエミールさんにそう言ってあったの?」


 思いもかけない言葉にきょとんとすると、セルジュは気まずそうに視線をそらした。


「いや、実は……俺は子供の頃から、屋敷を飛び出した時はいつもここに駆け込んでいたんだ。その、一人になりたい時とか」


 無意識に頭をかきながら、セルジュは続ける。ぴょこぴょこ跳ねる赤い髪が、何だか可愛らしい。


「だから父さんなら、俺がここにいると分かっているだろう」


 彼の声には、まぎれもない確信の響きがあった。言うかどうか少し迷ってから、素直な感想をつぶやいてみる。


「……セルジュって、何だかんだでエミールさんのことを信頼してるよね。お母さんのことがなかったら、結構いい親子だったんじゃないかな」


 前に似たようなことを言って、セルジュににらまれた覚えがある。でも今回は、ちょっと違った反応を見せた。


「……思うところは色々あるし、許せないのも確かだが……それでも、父さんが有能であることに違いはないから、な……俺の行動くらいは、お見通しだろう」


 ものすごく不本意そうに、そして照れ臭そうに、セルジュはぼそぼそと答えたのだ。ああ、やっぱり彼、父親のこと結構好きなんだ。


 亡き母の思い出が残る離れを私に使わせたことや、リュシエンヌを後妻として迎えようとしたことが、ただひたすらに許せないだけで。


 ……セルジュとエミールの仲がぎくしゃくしている理由って、エミールの、それと私のせいのような気がする。


 申し訳ないなという感情と同時に、別の思いもわいてくる。


 確かにエミールはちょっと変わったところもあるけれど、信頼できる人だ。彼が父親だというのは大変かもしれないけれど、うちの父よりはずっとましだ。


「いいなあ。そんな風に信頼できる父親で。うちの父とは大違いだよ」


「そうなのか? ……父さんも大概、変わり者だと思うが」


「それは確かに。でも僕の父はいつも僕の行動に文句をつけてくるし、僕の意見も聞かずに勝手に伴侶を決めようとしてきたし」


 かつてバルニエの家にいた頃のあれこれが、次々と思い出されてくる。うっかり具体的なことを話してしまわないように気をつけながら、さらにまくしたてた。


「自分のことは棚に上げて、僕には品行方正であれと説教ばかりするし」


 ああ、思い出したら腹が立ってきた。口をとがらせて、ふんと鼻を鳴らす。


「家も親も、もううんざりだった。僕の実家には、悩みを聞いてくれる人なんていなかったし、救ってくれる人もいなかった。僕はずっと一人で、悩みと立ち向かっていたんだ」


 もっとも、この言葉は完全に正しいとは言えない。私は月に一度、魔法の手鏡を使ってお母様と話していたから。


 おっとりしているのにかなり行動力があり、そしてとびきり明るいお母様は、私にとっては唯一の心の支えだった、特に、ティグリスおじさんがいなくなってしまってからは。


「だから僕は、こうして家から出られてせいせいしているんだ。旅暮らしなら、国の情勢も無視できるしね。国が傾くというのなら、どこへなりと、好きな場所に逃げるだけだから」


 そう言い切った時、セルジュが一瞬だけひどく悲しそうな顔を見せた。なんだろう、つい最近、こんな顔を見たような。


 ああそうだ、町人たちから逃げるようにしてこの森に来た直後のことだ。民の不安は大きいのだな、ならば俺が動かないと。彼はそんな感じのことを言っていた。


 きっとセルジュは、領主の息子として責任を感じているのだろう。聖女に救いを求める民があんなにたくさんいる。自分にも何かできないか、と。


 うん、やっぱりどうにかして彼の力になりたい。お世話になっているというのもあるし、私もこのイグリーズの町が好きになっていたから。


「そんなことより、一つ思いついたんだけど」


 暗くなりかけた空気を吹き飛ばすように、わざと明るい声を張り上げる。隣のセルジュが目を見張った。


「さっき、セルジュは言ってたよね。民は不安なんだって。そしてエミールさんも前に、聖女がよそに行ってしまったら民は不安になるかもって、そんな感じのことを言ってたよね」


 イグリーズの民にとって、聖女は希望のよりどころなのだ。さっき屋敷で、それを嫌というほど思い知らされた。エミールがわざと情報をぼかしていてもなお、民たちは私を聖女だと信じ、助けを求めてきたくらいに。


 だったら、聖女が積極的に民の力になってやれば、民の不安は和らぐのではないか。そうすればセルジュやエミールも、もっと安心できるのではないか。


 ふと思いついたそんなことを、順を追って話してみる。セルジュはふんふんとうなずきながら話を聞いていたが、最後にこう尋ねてきた。


「方針としては、とてもいいと思うが……お前、どうやって民の力になるつもりなんだ?」


「実は、何も考えてない」


 けろりとそう答えると、セルジュはぷっと吹き出した。さっきまで時折見せていた暗い表情が消えてよかったなと、そんなことを思う。


「それは、堂々と言うことなのだろうか……?」


「仕方ないよ。だって僕は聖女だなんて言われているけれど、ただの旅人でしかないんだから。特別な力なんて、何も持たない」


「いや、それでもみなにとって、お前は聖女なんだ。お前が動いてくれる、そのこと自体に意義がある。だから、どんなささいなことでもいい……と思う」


 そう言ってもらえることは嬉しかった。ちょっとした思いつきでしかないけれど、何となくうまくいくような、そんな気もした。


 明るい森の中、二人並んで座り、あれこれと話し合う。私に何ができるか、何をすればいいか。自然と、話は熱を帯びてきた。


 結局私たちは、エミールが出した迎えの者がやってくるまで、ずっと話し続けていたのだった。

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