第11話 僕は聖女なんかじゃない
セルジュが私を連れていった先は、町の中心から少し外れた、ほどよくにぎわった区画だった。食事を出す店が並んでいて、道にもテーブルや椅子が並べられている。
その一軒に、彼は迷うことなく歩いていく。どうやらそこは、お茶や酒、軽食などを出している店らしい。まだ昼食には少し早い時間だからか、そこそこ席は空いていた。
「こちらだ、リュシアン」
セルジュは店の中には入らず、店の外、しかもちょっと離れた木陰に置かれたテーブルにつく。とても慣れた足取りだった。この感じ、もしかして行きつけなのかな。
私がセルジュの向かいに腰を下ろしたその時、給仕が歩み寄ってきた。私と同世代の可愛らしい女性だった。彼女はにっこり笑って、抱えているメニューを私に差し出してきた。
「分からないことがあれば、聞いてくれ。何か、食べたいものがあるか？ そろそろ、小腹が空いたんじゃないか？」
メニューを受け取って開くと、セルジュがそう声をかけてきた。その気遣いに感謝しつつ、言葉を返す。
「そうだね。軽く何か食べたいな。……どうせなら、イグリーズの名物とか、そういうのがいいかも」
そこまで言ったところで、ふと思いついた。注文を聞くためにテーブルのそばで待っている給仕に、にっこりと笑いかける。
「ねえ、可愛い給仕さん。君のお勧めは何かな？ この店で一番おいしいもの、君なら知ってると思うんだ」
すると彼女は頬を赤らめながらも、お勧めの品を教えてくれた。ありがとうと明るく礼を言って、それじゃあそれを二人分お願い、と頼む。
給仕がぱたぱたと店の中に戻っていくのを見ながら、セルジュが小声でつぶやいた。
「……よくもまあ、あんなこそばゆい言葉がすらすらと出てくるものだ」
「本心だよ。可愛い子に可愛いって言って、何が悪いのさ」
「……そういう考え方も、あるにはあるのだろうが……」
「女性が照れてる顔って、すっごく可愛いよね」
ついうっかりそんな本音をもらしてしまったら、とうとうセルジュは頭を抱えてしまった。
「やはり俺は、お前のことが分からん……」
「まあまあ、これから分かり合えるかもしれないし？ ほら、料理が来たよ。うん、すごくおいしそうだ」
さっきの給仕がまたやってきて、料理と飲み物を私たちの前に置いた。どうぞごゆっくり、と可愛らしく微笑んで。
彼女に笑い返して、運ばれてきたものに目をやる。
料理は、薄く切ってかりっと焼いたライ麦パンの上に、刻み野菜と卵を炒めたものをたっぷりと載せたもの。
ガラスのジョッキに注がれたジュースは目の覚めるような見事な青紫色で、ほんのり花の香りがしている。普通の食堂にガラスのジョッキって、贅沢だなあ。でも木のジョッキでは、この美しい色を楽しめない。
「このジュース、この町の名物か何かかな？ あちこちの看板に描かれてるの、これだよね」
ジョッキを持ち上げて顔を寄せ、しげしげと眺めながらセルジュに尋ねる。
「ああ。この辺りに多く咲く花を砂糖水や酒に漬けて、それを薄めたものだ。その青紫は、花の色がそのまま移っているんだ」
「そうなんだ。いい香りで、とっても綺麗だ……どうせなら、顔の怖いごつい男とじゃなくて、可愛い女の子たちと飲みたかったな」
ついいたずら心が頭をもたげてしまって、もう一度軽口を叩いてみる。セルジュは眉間に深々としわを刻んで、小声でうめいている。
彼は気の利いたことは言えないようだけれど、その実直さは好ましい。それに、彼と一緒にいるのも、これはこれで結構面白い。
さて、それはそうとして。
「ごめん、ついからかっちゃった」
「やはり、わざとやっていたのか……初めての町で浮かれているのかもしれないが、女性に気軽に声をかけるのも、俺をからかうのも、頼むから控えてくれ。この通りだ」
私が浮かれているのは、彼が指摘したように初めての町が楽しいからというのもある。けれどそれだけではなく、ひとまず婚礼から逃げ切れたという達成感と高揚感とがまだ残っているからだった。
でも、そんなことを彼に言う訳にはいかない。だから「うん、これからは気をつけるよ」とだけ答えて、ジュースを一口飲む。
花の香りと蜂蜜の香り、それにハーブのような草っぽいかすかな香りが混ざり合った、複雑で奥深い味だ。
「すごい……口いっぱいに花の香りが広がって、でも甘さがしつこくなくて、すっきりした後味で……飲みやすいね、これ。名物になるのも分かるよ」
「地元の名産品を褒められると、嬉しいものだな。俺も、これは好きだ」
「君だったら……お酒割りとか？ それも大人の味って感じでよさそう」
「あいにくと、酒は飲めない。体が受けつけないんだ」
話を広げてみたら、そんな意外な答えが返ってきた。セルジュって、本当に……面白い。この見た目でお酒が駄目だとか、可愛い。
笑いをこらえていたら、セルジュが気まずそうな声で言った。
「料理が冷める前に、食べてしまおう。その間に、話す。……聖女について」
そうして、ひとまず食事にした。炒め物を載せたパンも、とってもおいしかった。
新鮮な野菜を使った炒め物はちょっとだけ塩が強めになっていて、単独で食べるとちょっと味がきつそうだけど、パンに合わせるとぴったり。そして、炒め物の塩と油がパンに染み込んで……とっても味わい深い。
ついさっき朝食を平らげたことなんかきれいに忘れて、せっせと食べ続ける。
「……世が乱れ、民が恐れおののく時、その暗雲を晴らすべく聖女が降臨する。人々はその言い伝えを信じ、年に一度あの場所で祭りを開く。ここまでは、もう話したな」
そうしたら、セルジュの声がした。熱心に食べている私に、温かな目を向けながら。
「聖女は不思議な力を使い、邪なる心を持つ者を打ち負かし、正しき心を持つ者たちを守った。そんな言い伝えもある」
「……そこまでいくと、もう完璧におとぎ話だよね？」
指についた卵のかけらをなめ取って、首をかしげる。
「となると、聖女が突然降臨したっていうのも本当だったりするのかも？ でもそうすると、僕は聖女じゃないね。僕は単に、洞窟を探検していただけなんだから」
どうやら聖女とやらは、かなりとんでもない存在らしい。だったら、私は違う。やった、これで安心して逃げられる。
そう安心していたら、セルジュの様子がおかしいことに気がついた。彼は何やら、無言で考え込んでいる。それから苦悩するように目を細め、絞り出すような声でつぶやいた。
「……あそこの岩壁には、洞窟なんてない。俺は、あの祭壇を建てる時に立ち会っていた。あの祭壇が建つ前の岩壁を、この目で見ていたんだ」
そう言って、彼は疑うような目をこちらに向けてきた。
「……本当に、お前は洞窟から出てきたのか？」
その視線にどきりとしつつ、そ知らぬ顔で言い返す。
「本当に本当だよ。確かに洞窟、あったんだから。なんなら後で、確かめてみる？」
「そうしたいところだが、あの祭壇はしばらくそのままにしておくならわしなんだ」
「じゃあ、一緒にあの飾り窓をくぐる？ 君なら、壁を伝って降りることもできるだろうし」
「おそらく俺は、あの窓を通れない」
「あ、そっか。体格いいもんね、君……」
セルジュは男性の中でも背の高いほうだし、肩幅もしっかりある。普段からよく体を動かしているのか、筋肉もいい感じについていて……うん、確かにあの窓は通れなさそうだ。通れたとしても、今度は岩壁と祭壇の壁との間に挟まりそうだし。
などと考えていたら、彼がこほんと咳払いをした。私にじっと見られているのが恥ずかしかったらしい。
「ひとまず、それについては後で考えよう」
「そうだね。今は確かめようがないみたいだし」
そうして、二人して問題を先送りにする。……お互い、嘘を言っていないのは表情で分かる。つまり、おかしいのは洞窟のほうだ。あったりなかったりする洞窟……不思議な力を使うという聖女と関係ありそうで、嫌な予感。
「……ところで、食事も終わったし、いったん場所を変えようか。落ち着かん」
声をひそめて、セルジュがささやきかけてくる。言われてみればさっきから、他の客や通行人たちがちらちらとこちらを見ていた。どうやら領主の息子であるセルジュが、よそ者の青年と親しげに話し込んでいるのが気になっているらしい。
「そうだね、行こうか」
目つきが悪いし愛想もない彼が、人々の視線に照れている。こういうところは可愛らしい。
ジュースの残りを一気に飲み干して、席を立った。口元に、大きな笑みが浮かぶのを感じながら。
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