第6話 聖女の言い伝えとは
歩きながら、セルジュが私の隣に並ぶ。そうして、町のほうを指さした。
「イグリーズの町のすぐ隣にある屋敷が見えるか? あそこが、俺と父が暮らす屋敷だ」
「ああ、あれだね。……さっきからずっと気になってたんだけど、君ってやっぱり貴族だよね。それもたぶん、領主様の息子みたいだね。だったら、僕も口調を改めたほうがいいのかな?」
「いや、そのままで構わない。敬語を使われるのは好きじゃないんだ。……とはいえ、町の人間のほとんどは、敬語を使ってくるんだが」
「へえ、どうして敬語が嫌なのかな」
「簡単な話だ。俺はたまたま領主の息子として生まれただけの若造だぞ。敬意を払われる理由がない」
きっぱりと言い切って、彼はさらに続ける。
「貴族の中にも尊敬できない者はいる。平民の中にも尊敬すべき者はいる。なのに身分で一律に態度が決まるなど……納得いかない」
ちらりと隣に視線をやったら、大いにいきどおっているセルジュの横顔が見えた。彼の意見には賛成だけど……堂々とそんなことを口にする辺り、彼もかなりの変わり者かも。私が言えたことじゃないけれど。
「と、ところでさ」
このままこの話を続けていたら、セルジュが盛大に愚痴りそうだ。そんな気がふつふつとしてきたので、とっさに話をそらしにかかる。
足を止めて振り返ると、さっきまでいた祭壇が遠くに見えた。楽器の音や誰かの歌声、楽しそうに騒ぐ声なんかが風に乗ってかすかに聞こえてくる。精いっぱいに今を楽しんでいる、そんな祭りの風景だ。
「あれって、何のお祭りなんだろう? 聖女って、聞いたことがないけれど」
そう問いかけると、セルジュもまた同じほうを見た。その眉間に寄っていたしわが、一気に深くなる。
「……世が乱れ、人々の心が不安に染まりし時、聖女が現れる。この地では、ずっと昔からそう語り継がれている」
この先の展開、読めた。やっぱりあれ、聖女がらみの何かだ。
「この町の者たちは、一年に一度祭りを開く。平和な時期であれば、それは聖女に感謝を捧げる祭りとなる」
鮮やかな赤毛をくしゃくしゃと手でかき回しながら、彼は低い声でうなる。
「最近、あっちもこっちもきな臭いからな。みな、どうにも不安がっていた。だから今回の祭りには、特に気合が入っていたんだ。自分たちの祈りが天に届けば、聖女が降臨するかもしれない。そんな希望にすがって」
申し訳ない。聖女がそんなに重大な存在だとは知らなかったとはいえ、婚礼から逃げる経路の関係上ああなったとはいえ、祭りのさなかにあそこから出てきてしまって本当に申し訳ない。
「そんな折、お前があんなところからひょっこり姿を現した。みなが騒いでいるのは、そういう理由だ」
セルジュは眉間のしわに手を当てて、深々と息を吐いている。疲れた表情だ。
「というか、そもそも僕は男なんだけど。聖『女』っていうからには、聖女は女性なんだろう?」
「男の聖女がいた記録がある」
即答したセルジュに、今度は私が頭を抱えることになった。
「記録がある、って、まさか聖女が本当に降臨したことがあるの!?」
「過去に、何度も。最後に聖女が降臨したのは、もう百年は前のことらしい。だから、当時を知る者はいなくてな」
「そっか……困ったなあ。僕があそこにいたのはたまたまだし、絶対に人違いだと思うんだけど」
「そこの判断は、父に任せよう」
そこまで話してから、また二人で歩き出した。イグリーズの町が、どんどん近づいてくる。
そのまま門をくぐって、町に入った。にぎやかな声にあふれた綺麗な町並みが、私たちを出迎えてくれた。
初めて遠くから見た時、なんだか雰囲気のよさそうな町だと思った。その第一印象を裏切らない、ううん、それ以上に素敵な町だ。聖女とか何とかの問題が片付いたら、しばらくイグリーズでのんびりするのも悪くないかも。
行き交う人たちはみんな幸せそうで、ルスタの町の人みたいに暗い顔はしていない。セルジュの姿を見かけると親しげにあいさつをしてくるし、その隣の私にも気軽に接してくれる。
……とはいえ、ここの人たちも不安を抱えているのだろう。王都を筆頭に、この国は乱れ放題乱れているから。だからこそ、聖女を呼ぶための祭りなんてものを開いたのだ。
そんなあれこれに思いをはせて、しみじみとつぶやく。
「いい町だね、ここ」
私の言葉に、セルジュは嬉しそうに微笑んだ。そうすると、驚くほど優しい雰囲気になる。こっちのほうがよっぽどいいなと思うけれど、指摘したらまた怖い顔になりそうなので黙っておく。
「ああ。俺もこの町が好きだ。こうしていると、父さんがみなを守ってくれているのだと実感する」
あ、さっきは『父』って言ってたのに、『父さん』になった。たぶんこっちが素なんだろうな。うちと違って、親子仲がいいのかな。
ついくすりと笑ってしまったせいか、セルジュはまた眉間にしわを寄せてしまう。ああ、もうちょっとさっきの表情を見ていたかった。
「ところでお前、旅人だとか言っていたな。その洞窟とやらに入る前は、どこを旅していたんだ。あと出身はどこで、どこへ行くつもりだった」
「出身はバルニエ領ルスタ。そこの近くの山岳地帯を歩いていたんだ。そうしたら足を滑らせて、地面の裂け目か何かに落ちたんだと思う。気づいたら、洞窟の中にいた」
あわてず騒がず、涼しい顔で答える。どこかでそういったことを聞かれる可能性もあるだろうし、ちゃんと事前に考えてある。
出身地についてどう答えるかについては、少し悩んだ。
正体をより確実に偽るには、バルニエ領以外から来たと言ったほうがいいような気がする。だったら、お母様がいる隣国ソナート出身ということにするのもありかも。
そんな風にあれこれ考えて、結局こうなった。私が知っているのはバルニエの屋敷とルスタの町、そしてその周辺の野山だけだ。余計な作り話をして、ぼろが出たら面倒なことになりそうだから。
そしてここにやってきたいきさつについても、そこまで嘘は言っていない……とは思う。落ちたのではなく飛び降りたのだし、落ちた先も地面の裂け目ではなく湖の崖の洞窟だけど。
「そして、旅の目的は……家にいづらくなったからなんだ。ちょっと、家庭の事情でね。しばらくあちこちをさまよって、新たな居場所を探そうと思ってる。あてのない旅だよ」
私は、男装には自信がある。ただ、どうしても育ちの良さだけは隠せていないようなのだ。
ルスタの町でふらふらしていた時も、どこかの坊ちゃんがこっそり遊んでいると思われていることが多かった。わざわざ上等過ぎない服を探してきたというのに。
それも踏まえて、言い訳を用意した。貴族とか豪商とかにありがちな跡継ぎ問題とかそういうのに巻き込まれて、生まれ育った場所にいられなくなったのだと、言外にそうほのめかすものを。
さて、この言い訳を使うのは初めてだけど、うまくいったかな。肩をすくめながら、セルジュの反応をうかがう。
「……そうか。大変だったんだな。無理に聞き出して悪かった」
彼は悲しげに目を細め、謝罪してくる。……いくらなんでも、素直に信じ過ぎだ。彼、まっすぐに育ったんだなあ。さっきから罪悪感が、ぐさぐさと胸を刺してくる。
わ、話題を変えよう。そう思って改めて辺りを見渡した時、周囲の風景が変わっていることに気がついた。
いつの間にか、私たちはもう町外れまでやってきていたのだ。町の正面にある門の辺りはにぎやかだったけれど、この辺りは静かだ。大きくて豪華な家が並んでいて、道行く人も少ない。
そして私たちの行く手には、ひときわ大きな屋敷が見えていた。周囲の建物よりも明らかに古く、華美ではないけれど手の込んだ装飾の施された建物だ。
その屋敷に目をやって、セルジュが言う。
「あそこが、俺の父であるエミール・マリオットの屋敷だ」
エミール・マリオット。もうすっかり忘れかけていたその名前が突然出てきたことに、驚きすぎて何も言えなかった。
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