真相編




 一人の少女が居る。夕暮れの高校に、締め切られ、もはや教員すら誰もいなくなった中に佇んでいる。彼女はボロキレに身を包み、体に不釣り合いなほどのマントを羽織っている。


 一際目を引くのが、彼女が背負っているものだ。こちらもまたボロキレに包まれていて、細長い、彼女の背丈ほどあるものである。特筆すべきはその異様な存在感であろう。少女の見た目に反して、何者にも崩すことのできない、まるで大樹を想起させているのだ。


「……こんな所に高校なんてあったか?」


 少女は訝しんだが、すぐに興味を失ったようで辺りを見回す。そうして数瞬の後、学校の奥へと足を進めていくのだった。




 ――――――




 そこはどこまでも深い穴の底だった。暗いそこに、小さな明かりが灯る。それはまるで、人を歓迎するかのように揺らめいている。その明かりの中……その暗がりに似合わず、ゲーミングチェアーにもたれ掛かり、楽しそうにしている影が一つあった。


「やあやあ、これは珍しい。……久しぶりだね、神無かんな。相変わらずのかげの薄さだね。」

「十五年そこらか? そこまで長くもないだろう。」

「それは僕が知っている限り、君にしか言えないセリフだね。」


 暗がりの奥から先程の少女が顔を出す。その慣れた掛け合いからは、長年の信頼というものが感じられる。言い終わるや否や体を上げた影は、きざったらしい大学生程の青年のような姿をしていた。彼は目を閉じており、神無かんなと呼ばれた少女が目の前に来てもそれは変わらなかった。


「とりあえず椅子に掛けたらどうだい。」


 彼がそう言ったのと同時に、暗がりから椅子とテーブルが浮き上がってくる。少女は未だ泰然とした様子で、椅子に掛ける。


「いつの間にか上に高校ができていたが、前会ってからで何年ぐらいだ?」

「大体三十年ぐらいだよ。あの高校は8年前ぐらいにできたんだ。それより、今回はどんな世界を渡り歩いていたんだい。」


 青年は楽しそうに問いかけた。旧友との再会、いつもあまり話し相手がいない彼にとってこの会話は楽しいものだったのだろう。少女は何か嫌なものを思い出したように顔を顰めるが、その問いに淀みなく答えていく。


 「五つぐらい。一つ目のはこの世界とあまり変わらなかった。それこそ超能力者とか魔法使い、あまりいなかったけど剣士とかもいた。警察組織もあんま変わらなかったと思う。この世界と決定的に違ったのがダンジョンとか呼ばれる迷宮が世界に溢れていた。」

「ほうほう。」

「ダンジョンは神たちが支配してて、関わるのも面倒くさかったから一切近寄っていない。」

「それで2つ目は?」

 ………………



 彼女は様々な世界について語った。剣と魔法のファンタジー然とした世界。母星が滅んで宇宙へと飛び出し、彷徨うことになってしまった宇宙船。とある財団の言葉を用いて言うと、異常的実体、事象の一切が許されない世界。少女は淡々と続けていく。

 

 五つ目について語る時に少女は少し言い淀んだ。またも、なんとも言えないような顔をしている。


「……最後のには厄介なことに巻き込まれた。何故かやたらと強い奴が多かったし、私に気づける奴も多くて大変だった。」

「ふふふ。放浪者世界の迷子の名は伊達ではないね。」

「そう言われても嬉しくはない。」


 少女は表情を変えずに、しかしどこか憮然とした雰囲気で答えた。そうして片や閉じたまま笑っており、片や無表情で、互いに沈黙する時間が流れる。それを破ったのはどこか真剣味を帯びた、少女の声であった。


「さっきから気になっていた。”それ”は何? 契約はどうしている。」


 暗がりの隅に佇む”それ”を見つめながら、問いかける。返答次第では殺す、そんな鬼気迫る雰囲気があった。青年はそれに取り合わず、軽い感じで答える。


「ああ、もちろんさ。自分から引き入れるなんてことはしていない。ただ、迷い込んでしまったものをどうしようと構わないだろう?」

「……」


 少女は胡散臭いものを見る目で青年を見るが、意識を”それ”から外すことはなかった。青年は未だ、薄ら笑いを浮かべている。


「それなら良い。けれど……、今どき珍しい。高校生がこんなとこに入り込むなんて。」


 二人が見つめる先にある”それ”、赤子のように膝を抱え丸まっている黒髪の女子高生は、宙に浮き静かに佇むのだった。




 ――――――




「これは丁度半年ぐらい前の話なんだけれど。この子はたまたましまったようで此方側に迷い込んでしまったんだ。放っておいても狭間に飲まれて消えてしまうだけだし、こっちの方で保護したのさ。つまり彼女は死んだも同然、僕が何してもいいだろう?」


 青年は飄々とそんなことを告げた。スラスラと詭弁を並べ立てる姿は、まさに詐欺師と言ったものだ。一方で少女はその言葉に一切の契約の誤りがないことを確認して、拍子抜けしたような顔をしている。それでも若干軽蔑したような視線は向けていたが。


「……確かに契約を違えてはいない。が、やっていることは屑だ。」

「いやあ、それほどでも。」

「褒めてはいない。」


 またも気安い応酬が交わされる。やはりこの二人は長年の、それこそ百年単位での付き合いなのだろう。


「それで、どうしてこんな状態に? 見たところ魂だけがなくなっているみたいだけど。」

「ああ、それはとても面白い話があってだね。語ると長くなるのだが……幸い僕らには時間が余るほどある。語って聞かせようか。」

 ………………

 


 それから、彼は女子高生――名前を結唯というらしい――を確保してからの話を語った。曰く、迷い込んできた当時の彼は、人の書いた小説のあるジャンルに興味を持っていた。そのジャンルこそループものであり、渡りに船と実際にやってみたということだ。

 

 ただ、それを実行するのはなかなか大変だったらしく、調整が大変だったらしい。理論を長々と語っていたが要約すると、ループさせる対象の記憶とその時のインターネット上の情報を同期させて、ループ対象に夢を見させるみたいな感じらしい。何でも記憶とインターネット上の情報を同期させるのが一番大変だったとか。


「それで、一日を繰り返させることに成功したと。」

「ああ、でも面白いのはここからなんだ。」


 一層興奮した様子で彼は言った。


「結果的に、彼女は百年近くの時間をループして過ごしたんだ。彼女はほぼ諦めていたのだけれど、最後の最後に本当に驚いたことが起きたんだ。」

「……」


 少女は冷めた目で話の続きを促す。


「ある日、彼女は脱出を成した。それも全く予想していない方法でね。その方法は僕には分からなかったんだけど……結果何が起こったかは分かる。彼女の持っていた手帳にを託して夢から投げ出したんだ。」


 青年は更に続けた。


とうに過ぎたように思えた永遠を待ち続け、僕には思いもよらない手段を思いついたんだ。ふふふ、なんて面白いんだ! ここまで愉快なことになるとは思っていなかったよ!」

「……そう。」


 未だ冷めた目を向け続けているが、そこには少々の驚きと感心の色が見られた。これ青年に捕まって自力で抜け出せる一般人はそうそういないと知っているからだろう。彼女は顔も知らぬ女子高生に同情しつつ、運が悪かったのだなあと心の内で溜息をついた。


「ああ、そうだ。よかったら外で手帳を探してみてくれないかい? 知っての通り僕は外に出ることができないからね。」

「あまり期待はするな。……もし見つけたら、少々の手助けをしておこう。」

「ふふ、ありがとう。」


 青年はとてもいい笑顔で礼を言う。それはもう、通りかかった人が二度見するくらいには良い笑顔だ。少女は若干ながら疲れたような表情を見せてこう返す。


「礼はいらない。残念なことに、あなたのしでかしたことの後始末には慣れている。……そろそろ時間か。」

「おや、もうかい。もっと居てくれたって良いんだけどねぇ。」

「あなたとは別で会う約束をしている。じゃあまた何十年後かに。」


 そう言うと少女は立って、暗がりに向けて足早に歩き始める。青年は笑顔を残念そうな顔に変え、素早い少女の動きを見ていた。


「またね。次はもっと面白い話を期待しているよ。放浪者さん。」


 青年は椅子に腰掛けたまま、少女の背後に言葉を投げかける。しかし少女は何も返さずに暗闇に消えていってしまった。


「つれないねぇ。」


 僅かに寂寥の滲む呟きは、あの少女と同じように暗闇へと掻き消える。青年が椅子と机を消し、顔を上げる。仄かに光る明かりを見つめ、少しの笑いと共にそれを消したのだった。




 ――――――




 「ん?」


 学校を出て直ぐの事、とある手帳が少女の目に留まったのだ。その手帳は学校に近づいて来ている二十代ほどの男が持っていた。落胆した様子で、少女の、いや学校の方を見つめているのだ。少女はじっと、それを見つめると呟いた。


「……これも彼女の運命か。」


 少女は男に歩み寄る。男は手帳を片手に肩を落とし、まだ錆の一つも見つけられない正門の前で立ち尽くしている。まだ少女には気づいていないようだ。少女は男のまで来る。そうして、彼女は手帳から何かを掴み取ったような挙動をする。男はまだ少女に気づいていないようだ。こういう時に文句を言われることがないのは、少女の呪いの少ない利点だろう。


「災難だったな、あんなやつに捕まるなんて。……安心して逝け。」


 何かを掴んだ手を持ち上げ、優しげな声でそう言う。声を聞いて直ぐ、その何かは幽かに震えて消え去ってしまったみたいだ。暫しの間少女は夜闇を見上げ、小さく嘆息する。


 少女が横を向くと、男が来た道を引き返していこうとしている。最後まで少女に気が付かないままであった。


 少女は歩き始めた。またこれからも放浪を続けるのだろう。また今回のようにおせっかいを働くのだろう。少女の、神無の願い呪いはこれからも自身を縛り付けるのだろう。ふと、少女は後ろを向く。そして、小さく微笑む。


「さよなら、次はちゃんと一緒になれるといいな。」


 暖かな夜が街を包み込む。春、であろうか。様々なことが終わり、また始まる時だ。暖かな風が吹き、訪れる者も去る者も、みな等しく祝福する。愛する人を失った者も、日常を過ごす者も、永遠を生き取り残されたものも、穴の底で嘲笑う者も、そしてとある不幸な高校生の魂も。


 この世は不条理で理不尽だ。いつだって”絶対”はないし、命は容易く零れ落ちる。それでも彼、彼女等は今日を生きていく。


「『朽ちない花の何と愚かなことか』か。…………次はどこに行こうか。」


 どことなく仄明るい夜は、今日も温かく全てを受け入れている。

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