第3話 薄情者の剣

 荒れ果てたダンゲェル村。


 どこを見て回ろうとも、破壊と戦闘の跡が目立つ。


 時たま転がる屍を目にするが、獣に食い散らかされたように原形をとどめてすらいない。


 人間の死体ばかりが肉片とかしている。


 おそらくここで起きたのは争いではなく一方的な虐殺。


 駐屯していた帝国兵が出張らっていたところを狙われたんだろう。


 それらしい死体はなく、民間人が粗末な武装をして散らされた後だけが残っている。


 無事な建物すら片手で数えられる現状。


 魔族たちの本気度が伝わってくる。

 

 人間が絶滅するのもそう遠い話ではなさそうだ。


「女神ミハール、死せる者達へ道を指し示したまえ――浄化の光ラーシュ


 今日、明日、明後日。


 彼らと同じ結末を辿るとも知れない。


 そんな終わりを想像し、なんとなしに祝詞を述べる。


「…戻るか」


 薬草の独特な香りが漂う無事な一軒家。


 鼻が利く者が眉を顰めそうな建物の奥。


 一家心中を計ったであろう三人家族の姿。


 娘と妻を刃物で滅多刺し、男は傷だらけの体・・・・・・で首つり。


 魔族の手に落ちるならばと愛が辿った結末。


 俺はしばらくその光景を見つめたあと、彼らの私物であったものを持ち、踵を返して獣臭い・・・その部屋を後にした。


 密閉された小瓶が数個に何種類かの薬草。


 それらが詰まった小さな応急箱を背中の鞄に仕舞う。


 麻を編み込んで作られた子供用の丈夫なワンピースにレインコートを持ち、破壊された玄関の戸を潜ってリーニアのもとへ。


 来た道とは別の道。


 若干、遠回りして、俺は荒む心を雨音で落ち着かせる。


 死んだ者が生き返ることは無い。


 彼らの無念を晴らす意味はない。


 所詮は見ず知らずの他人。


 なにに怒る必要がある。


 落ち着け、俺。


「すぅ、……ふぅ、すぅ、……ふぅ」


 リーニアを待たせている場所の少し手前。


 軽く深呼吸を繰り返し、無駄に怖がられぬよう殺気を抑える。


 充分に落ち着きを取り戻したあと。


 雨漏れと隙間風が酷い建物の中へ。


 遠回りの最中で見つけた小さな果実一つを右手に、帰還。


「…いない」


 果実を持った右手を上げながら入室したところ、リーニアの姿がないことに気が付く。


 周囲に争った形跡もなければ、先ほどの薬屋の様に魔族らしい痕跡もない。


 俺は右手に持った果実を口に頬張り、考察。


 結論はすぐに出た。


 待っていろと言っていたのにどうやら逃げたようだ。


 予想通りいい子ではなかった。


 仕置きが必要かもしれない。


 次からはもう少し強めに脅すとしよう。


「…あのガキ、今の状況を理解してんのか?」


 理解はしていないのだろう。


 なんせ世間知らずな王女様な上に八歳児。


 目先の悪者(俺)から逃げることで頭の中がいっぱいだったに違いない。


 この先ひとりで何処へ行こうというのか。


 本当に世話が焼ける。


 ―――ゴゴゴォ。


 世話が焼ける子供に頭を抱える親の様な思考に陥っていると、不意に遠くの方から地鳴りのようなものが僅かに聞こえてきた。


 音を耳にしたとほぼ同時。

 俺は気配を殺し、足音を消して外へ。


 周辺を見渡せそうな瓦礫の山へと登り、リーニアの姿を探しながら音がする方角へと顔を向ける。


 ダンゲェル湖とは反対側。


 横殴りに降る豪雨の中、凹凸の激しい地形から巨大な狼を乗りこなし、数十の魔族の群れ。波打つようにこちらへ向かってきていた。


 滅ぼしたこの村を新たな交易路とするべく、戻ってきたのか。


 いや、違う。


 集団から感じ取れる異様なまでの殺気。


 廃村と成り果てた場所には無用な空気感。


 あれは恐らく追手だろう。


 誰の、とは期待しない。


 十中八九、俺だろうと決め付ける。


「…獣人」


 人の姿に獣の様な耳と尻尾、そして体毛を濃くしたような魔族――獣人。


 獣の様な狩猟本能を行動原理とし、人間の多くを好んで狩りをする獰猛な連中。


 人の何十倍もの嗅覚と聴覚を持っている奴らは追跡能力に長けている。


 とはいえ、匂いが流されている豪雨の中で頼りになるほどの嗅覚は流石に獣人と言えど持ち合わせていない。


 やつらの姿は多く見えるが、俺を直接的に追ってきたのは別の魔族だろう。


枯人かれびとか」


 必然的に疑うのは獣人に次いで追跡能力を持つ枯人かれびと


 枯木の様な灰色の肌に、四つ腕と四つの魔眼をもつ魔族。


 人とは見える世界が違うやつらであれば、目に見えぬ神力の残滓を探り当てるのもそう難しくはない。


 魔族の中でも最底辺に位置する小柄な奴ら。


 脅威にならぬと無意識に高を括ったか。


 あまり神力を使わずここまで来たが、どうやら認識が甘かったようだ。


 このミスは致命的だ。


「逃げきるのは…、無理そうだな」


 絶望的な状況に思わず天を見上げ嘆いていると、止みそうになかった雨風が弱まってきているのに気が付いた。


 遠くの曇り空が僅かに晴れ始めている。


 この調子だとそう時間もたたずに止むだろう。


 天はいつも気まぐれが過ぎる。


 雨が止めば鼻の利く獣人が本領を発揮してくる。どこへ潜んでも無駄だ。


 身を隠すことなど時間稼ぎにしかならず、最終的には森で潜伏してたときのように容易く発見される。


 きっと逃走中のリーニアも簡単に見つけ出してくれるに違いない。


 ――君が守って、私の宝物――


 敵は獣人と枯人の五十数体。

 飼いならされた魔物を含めれば百を超える。


 更にあの連中を追って後方からも来ているかもしれない。


 神力で自己治癒力を促進させても未だ治癒しきれないこの脚では、リーニアを抱えて長距離を逃げることは不可能。


 天の気分も晴れ始めた。


 状況はこれ以上にないほど絶望的。


 ここで足掻くなんて自殺行為。


 そんなことは誰の目でも明らか。


 だがしかし、脳裏に過る声がこの体を突き動かして止まない。


「光の女神ミハール、御加護を」


 俺は無意識のうちに祈祷を捧げ、瓦礫の山から降りてさっきの場所へ。


 傾いた屋根の下、再び右太ももの様子を軽く視る。


 神力で自己治癒力を引き上げたおかげか、大きな切り傷がもう塞がりつつある。しかし、無理をすればまた開くだろう。酷使すればもう使い物にならないかもしれない。


「上等」


 刻一刻と迫る魔族。

 まだ距離はあるが時間はない。


 俺は再び脚にしっかりと包帯を巻きつけ、外へ飛び出してリーニアを探す。


 そして捜索を開始してから数分後。


 潜んでいた最初の場所からそう遠くないところで、コソコソのろのろと物陰から物陰へと伝うリーニアを見つけた。


 キョロキョロしては移動。

 キョロキョロしては一休み。

 そしてキョロキョロしては、俺を見つけた。


「ご、ご…」


「ご?」


「ごぺんなたい」


 絶望を浮かべる表情。


 プルプルと震える体は、雨に打たれて冷えたせいではないだろう。


 しっかりと謝れたので俺は許すことにした。


 リーニアを屋根がある場所へ連れて行き、ここまでの旅路で汚れた無駄に豪華すぎる白のドレスを強引に剥ぐ。


 そして、手に持っていた装備一式――麻のワンピース――へと秒で着替えさせた。


「り、リーニャ……食べちゃらめぇ」


「たべねぇよ」


 レインコートを羽織り、命乞いをし始めたリーニアを右脇に抱え持ち、左手で聖剣レプリカを引き抜く。


 ――ドドドドッ。


 すぐそこから連続で地を鳴らす音。


 ちんたらしているうちに先頭を走っていた魔族と接敵。


 王女様な姿から村娘へとグレードダウンして持ち運びやすくなったリーニアに配慮しつつ、俺は走った。


「見つけたぞッ、人間!!」


「ジャギィの仇ッ!!」


 怨念に満ちた二つの声。


 馬鹿正直に突っ込んできた獣人を左手に持った聖剣レプリカで切り伏せる。


 このダンゲェル村を襲ったであろう魔族。


 逃走の最中、死者への手向けにと思うのは流石に傲慢が過ぎるだろうか。


「ヴぇッ、ヴヴぇヴぇ」


 小賢しく距離をあけて追ってきていた枯人。


 獣人が手放して宙をまう剣の柄を足で蹴り、矢の如く飛ばして仕留める。


「グルアァ゛ッ!!」


 乗り手を失っても牙を剥ける二匹の魔物。


 噛みついてくるその口から刃を入れ、横薙ぎ一線。


 その流れでもう一匹の前足を斬り飛ばす。


 そして、身を翻し、すぐさま地を蹴り、飛んできた槍を避けて再び逃走。


 完全に包囲されたら終わり。


 それを念頭に起きつつ、生存本能に身を任せて動き、泣き叫ぶリーニアを守りながらとある場所・・・・・へと向かう。


「雌の方はまだ殺すなッ、イキ地獄を味合わせてやるッ!!」


「食いながら犯してやるよぉおッ、人間!!」


「油断するなッ、回り込んで確実に仕留めるぞッ!!」


 涎を滴らせながら狼に跨り、威勢よく迫る獣人複数。


 じりじりと距離を詰められる。


 このままでは振り切れない。


 そう判断した俺は、抱え持っていたリーニアを空高くへと放り投げた。


「きゃぁああッ!!」


 獣人たちの視線が唐突に悲鳴を上げながら空へと登るリーニアに集中する。


 そして生まれる一瞬の隙。


 俺は音よりも早く移動し、六つの首を刈り取った。


「たすけてぇええッ!!」


 落下していく助けを呼ぶ声。


 それに呼応し、地を蹴る。


 地面に触れる一歩手前で、俺はリーニアを救い上げた。


「…ぜぇ、はぁ、はぁ……、気を、失ったか」


 落下の最中に意識を失ったのか唐突に喧しい声が止む。


 俺は肩で息をしながら構わずに走った。


「あったッ」


 瓦礫の山に埋もれた床扉。


 ついさっき訪れた場所。


 俺は飛んでくる矢と槍を避けながら、地下へと潜った。


 暗い地下通路。


 曲がり角から仄かな明かり。


 まだしぶとく生きてたかと思いつつ、少し開けた空間へと足を踏み入れる。


「……頼んだ、よ」


「はぁ、はぁ、……助かる」


 瀕死の老婆。


 ふらつきながらも立ち上がる彼女と一言だけ交わし、俺はその背後にあった扉の先へ。


 魔族の怒鳴り声を背後に聞きながら、湖の反対側へ続くという狭い通路を走った。


 ―――ドゴォォオンッ!!。


 後方から地響きと共に爆発音。


 恐らく老婆が居たところだろう。


 崩落の音が鳴り止まない。


 この辺も危うそうだ。


「無茶をするッ」


 上から降ってくる小石やら砂粒を浴びながら、リーニアをコートで庇いつつ走った。


 そして完全に崩落の音が止んだ頃。


 水気のある洞窟で、追手がないことを十二分に確認し、ようやく腰を落ち着かせた。


 ゴツゴツとした岩の壁に背を預け、未だ目を覚まさないリーニアに気を使いながらしばしの休息。


 息を整えたらまた先を急ごう。


 魔族がこれで諦めたとは思えないから。


『頼んだよ』


 遺言の様に送られた言葉。


 希望を灯した両の瞳。


 僅かに口の端を上げた老婆が何を託したのかは自明の理。


「……聖女、ミルフィーネ」


 生きてこの先にいるらしいその人。


 俺は面倒事を引き受けてしまったと、軽くため息を溢すのであった。

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