第2話 聖女からの助言
この世に存在する二つの力。
神力と魔力。
それらは互いに反発し合い、忌み嫌い合う人間と魔族の様に、決して混ざり合うことは無い。
両者ともに出来ることは同じ。
肉体能力の向上を基礎に、才ある者は事象の改変までこなす。
小から大を派生。
無から有を創造。
神力と魔力の可能性は無限大だ。
しかし、基礎で手一杯になりがちな俺のような非才には、炎を操ったり、水を生成したり、風を操って飛ぶなんてことはできない。
教会が
もののついでで神に選ばれた俺にせいぜい出来ることがあるとすれば一つか二つ。
我武者羅に剣を振り、姑息に時たま頭を使うだけ。
常に傷つき、生死をさ迷い、無様且つ泥臭く生きる。
それが、世界を救える
この手で世界は救えない。
せめて人ひとりが限界だ。
それ以上も以下もない。
―――「……嫌になる」
豪雨に見舞われたとある廃村。
隙間風と雨漏りが酷い建物の一室。
俺は愚痴を溢す様にボソリと呟き、騎士団の支給品である腰のポーチに手を伸ばした。
包帯と消毒液、そして針と糸を取り出し、太ももに負った少し深めの
先ほど魔が巣くう森を抜けた際、待ってましたと言わんばかりに魔族の包囲網。
どこぞの誰かさんが起こした火災により、救援と消火活動で運よく手薄の状況でなんとか強引にブチ破ってこられたが、当然無傷とはいかず。
リーニアの体力も考えつつ、移動中に傷が悪化してしまうことを考慮し、急遽、休息をとることにした。
追手がないことを充分に確認して距離を稼ぎ、痕跡を消す雨にも恵まれ、その最中で偶然見つけた廃村へ。
瓦礫の山が築かれる中、とりあえず目についた雨風を防げそうな場所を選び、今に至る。
外は土砂降り。
当分はやみそうにない。
しばらくはここで足止めだ。
「ね、ねぇっ、…これからリーニアをどうするつもりなの」
崩れかけた屋根の下。
唯一、雨漏りがない乾いた床板の上で、亡国の王女ことリーニア。
彼女は警戒する様に身を縮こませ、両腕で膝を抱きかかえながら俺を睨み、震える声音で口を開いた。
「安全な所へ連れていく」
「……食べたり、しないの?」
「するわけがない」
地方の田舎では食人の文化があるらしいが、あいにく俺は物心ついた時から帝都の教会で育った身。
王女様に非常識と思われるような食文化は持ち合わせていない。
なぜそんな疑問が彼女の中で浮かんだのか甚だ疑問である。
「じゃぁ……、仮面とって、しょ、証明なさいッ」
あぁ、成るほどそう言うことか。
この仮面だ。
俺が今付けている、聖杖が描かれた白い面、が誤解を生んだのだろう。
魔族は人間と違って特徴のある容姿をしていることが多い。
素顔を隠した者を疑うのは常識。
彼女の認識では俺は未だ、滅びゆく所から救い出した英雄ではなく、ただの小悪党な人攫い。
疑うなという方が無理な話だ。
それに今は何処に食人文化を多く持つ魔族がいてもおかしくない世の中だからな。
「ど、どどど、どうしたのッ、さっさと外しなさい!!」
面を外すことを躊躇していると、リーニアが恐怖に体を震わせながら叫んだ。
見る見る内に顔を青ざめさせていっている。
人攫いに魔族と、誤解に誤解が積み重なる状況。
そろそろ解いておかねば面倒なことになりそうだ。
だがしかし、俺は仮面に触れていた右手を下ろして腕を組みなおす。
仮面は外さない。
そう理解したリーニアは数秒後、「ひぃぃッ」と悲鳴を上げ、お尻を向けて地面に丸まった。
強気な態度は弱さの現れ。
現状を正しくもなく理解した臆病者なリーニアに、俺は思わず溜息がこぼれた。
「やや、やっぱり…、まま、魔族なんだ……、攫ってリーニャをたたた食べちゃうんだッ、お、おぉ、おいちくないよ? リーニャはおいちくないよ?」
必死に体を丸め、プルプルと震えながら呂律の回らなくなった舌でボソボソ喋る。
亡国の王女の痴態。
何とも滑稽な姿である。
不思議と親近感が湧いてくる。
「醜いんだ、この顔は」
「ひっ、ひぃいッ、」
「恥を晒すのは気が引ける」
「わわ、わかりまちたッ、だから食べないでッ!!」
「食べねぇよ」
妄想達者な八歳児。
恐怖で会話もままならない。
でもまぁ、納得してくれたと思うことにして、俺は適当な出っ張りにかけていたコートを手に取り、羽織りなおす。
「少し、外を見てくる」
「え?」
「勝手にここから離れたら食べる、いいな?」
「食べちゃだめッ、リーニャはいい子だからッ!!」
精一杯、威嚇するように吼える仔猫もといリーニア。
いい子とは思えないので早く戻ってきた方がいいだろう。
しかしまぁなんだ。
誤解に誤解してくれたおかげか、出会ったばかりと比べてだいぶ素直になった。
どうせ信用されてない今は何を言っても無駄。
ならあまり気は進まないが、しばらく誤解されたまま過ごした方がいいかもな。
恐怖による人心掌握。
楽ではあるが、今後が心配だ。
「使えそうなものが残っていればいいが…」
一抹の不安を覚えながら外へ出る。
山脈から流れる幾つもの小川が集束し出来た大きな湖――ダンゲェル湖。
その周辺に位置する荒れ果てた村。
水陸と交易路が整う地であれば、薬屋の一つはあって当然。
俺は雨風に晒されないようフードを被り、なるべく脚に負担をかけず、帝都襲撃と時期を同じくして戦場となったであろうダンゲェル村を見てまわる。
果てしない旅へと出る今後。
一番怖いのは魔族による奇襲でも魔物による強襲でもない。
病気だ。
剣を振るって解決できることなら俺が何とかする、して見せる。
しかし、病気となるとそうもいかない。
体が出来上がった大人ならまだしも、リーニアはまだまだ未熟な子供。
今後の更なる過酷な旅で体調を崩すことは目に見えている。
幸い教会の教育のおかげで多少は医学、薬学にも触れられた。
軽い傷や病気ていどなら、なんとかなるだろう。
重い方だとどうしようもないが…。
風邪薬の一つや二つ、せめて薬を調合するための材料だけでも今のうちに入手しておきたいところである。
因みに、食料は騎士団の倉庫から長持ちしそうなものを適当に掻っ攫ってきたので二の次だ。あれば助かるが。
「…ん?」
無残な死体が幾つも転がる道を外れ、裏の路地。
その端に崩れた建物。
周りと差して変わらない凄惨な風景。
通り過ぎようとしたところ、何かの気配を感じ、足を止める。
「これは…、床扉」
なんと無しに瓦礫を撤去していると、地下へ通じる扉を見つけた。
もしや保存食や薬草を保管しておく場所かと思い、人ひとりが通れそうな入り口を潜り、階段を下りる。
明かりは無く、暗闇が先に続いている。
常人であれば手探りの状況。
しかし、この身は仮にも騎士団員。
俺は体内に張り巡らされている
枯れた幹は新鮮な血液を取り込むことで活性化。
奇跡を宿主たる俺へと授ける。
内側から沸々と湧きあがってくる不可視の力。
神力という名のそれを両の瞳に宿し、視力を強化。
暗視能力を得て先へと進む。
このぐらいわけはない。
「地下通路、…か」
個人宅の地下室にしては些か歩く。
もしやただ単に保管室ではなく、待避所か、あるいは緊急避難経路的なものかもしれない。
思い返せば瓦礫で入り口付近をカモフラージュしていたような。
魔族に見つかった痕跡は無かった。
そしてこの先に感じる
俺は練り上げられた神力を体全体に巡らせ、自身の警戒心を煽る。
「……だれだい?」
狭い地下通路を歩いた先、一つしかない曲がり角から仄かな明かり。
警戒しながら中を覗くと、ちょっとした空間に老婆が一人。
背後にある簡素な扉を塞ぐように地面へと腰を落ち着かせていた。
「聖杖が刻まれた面にその恰好、教会の騎士団員様じゃないかい」
仮面の意匠に姿を見て、俺が何者かを言い当てる老婆。
彼女は先端に発光する玉がついた杖を軽く持ち直し、座ったまま口を開く。
「様子を見るに、どうやら
色々と事情を察した様子の老婆。
俺は警戒しつつも、なぜこんなところに一人で居座っているのかと尋ねる。
「老い先短いババァにはよぉ、ちとこの先が辛くてね、少しばかり休憩してるのさ」
そう言って、どこか諦めたように笑みをこぼす老婆。
切り傷によるものか、打撲によるものか、額からは血が滲み流れていた。
「ここで会ったのも何かの縁……、あんた一つ、頼まれちゃくれないかぃ?」
「見ての通り余裕がない、悪いが他をあたってくれ」
死にゆく者の頼みを受けられるほど余裕はない。
面倒事に巻き込まれる前に立ち去ろうとする、が――、
「聖女は生きている」
老婆の一言。
思わず足を止める。
教会の最大戦力にして、
四、五年前に実力者揃いの第一騎士団と魔族滅殺を掲げ、遠征に出たっきり音沙汰のないそれ。
世間的には死んだ者だと扱われている。
しかし、老婆は生きているという。
腐っても教会関係者。
騎士団の下っ端だった俺は、その
「私は聖女のお目付け役、教会には所属しとらんで面識がないのは当然」
「…聖女がこの先に居ると?」
「あぁ、いる、この扉の先、湖の先へと通じる地下通路がある、進めばきっと会えるだろう、………破滅の世、あの方が希望、頼む」
「あって間もない俺を信用する気か」
「僅かな気配を辿れるぐらいに腕は立つ、何もせず立ち去ろうとするだけでも上々、……きっと次は魔族が来る、…最後ぐらい夢をみさせておくれ」
死にゆく老婆の願い。
血を流し過ぎたのが原因か、目の焦点が合わなくなってきた。
呂律もだいぶ回っていない。
呼吸は浅く、不安定だ。
もう長くはないだろう。
「俺にはやることがある」
リーニアの存在。
絶望的な状況でも俺が希望として足掻き続ける理由。
亡き最愛の人が残した宝物。
俺は祈も捧げたことのない女神に「守る」と誓った。
腐っていても聖人。
女神に誓いを立てたなら死んでも守るが騎士団の掟。
希望の聖女?。
知ったことか。
そんなものは勇者にでもくれてやれ。
俺は人ひとり分の命で手一杯だ。
右手にリーニア。
左手に俺。
これが限界、これ以上も以下も無い。
欲をかけば全てを失う。
バカバカしい。
「この薄情者が」
老婆の声を背後に、俺は地下から地上へ。
面倒事を抱えずに済んだと、ホッと溜息をつく。
――人を助けろ、そうすればお前も助かる――
未来を
過去に一度だけ受けた助言。
俺は頭を振り、後ろ髪を引かれているような錯覚に悩まされながら廃村の探索を再開させた。
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